昼休みに1,100円床屋で髪を刈った。
にーちゃん「どのくらい切りますか?」
私「耳がちゃんと出るくらいにして、横と後ろは刈り上げてました」と、これはいつもの返答である。

私「白髪が増えて、テッペンは薄くなっても、髪は伸びるよねぇ」
にーちゃん「男の人はやはり横と後ろが気になって(床屋に)来るみたいです」

つまり前髪と真ん中の伸びは遅くなっているのだが、横と後ろの髪の毛は若い頃と同じ速度で伸びるのであろう。
にーちゃん「何でそうなるンでしょうねぇ」
私「何でだろうねぇ」
ほぼ一か月に一度は髪を刈ってもらう私である。

新製品を加えた総合リーフレットの編集に専念した。
天気予報通りの雨になったが、夜はカミサンと待ち合わせして、小料理屋で一杯。千葉駅の改札階から上が新規オープンしており、どの店にも客が入っていた。ますます駅に人が集まり、周辺の店には脅威であることだろう。

午前中は研究農場で来客対応、嬉々としてエスケープ号で向かう。
住んでいる海沿いから、山王町までの上りのコースは、ナビタイム自転車版で見れば片道9.9kmだ。打ち合わせを終えて昼飯時に近所をポタリングして、午後からもう一つの打ち合わせを済ませて戻る。

朝はウインドブレーカーにマフラーと手袋が必須だったが、昼は随分と気温が上がったな。防寒着はリュックに仕舞い込んで、ベストにジャケットで帰還した。行き帰りで20km、その後は会社に向かい仕事をして帰宅したから、今日の走破距離は累計30kmと言ったところか。天候にも恵まれて、幸せな自転車乗りである。

打ち合わせの相手は商社の若いの、専門分野にいるとは思えないほど知識がない。今時こんなものなのか、畜産が廃れるわけである。儲からないから人材を集めない、教育の機会を与えない、英語はできるらしいけどネ。エサの世界の前途は暗い。

僕らの世代は、就職してからは伝手を辿って闇雲に情報収集に努力したものだ。商社にも我々にレクチャーできる技術屋がいた。
ちょうどチャレンジフィーディングだ、リードフィーディングだと、米国の穀物戦略に乗せられて飼養管理技術が大きく進展した時代だったこともあって、皆して勉強したものだ。

縮小する我が国の畜産、技術屋もどんどん減っていて、どの企業も人手不足だ。世界は、抗生物質からの脱却で機能性の天然物に目を向けているが、日本発では大昔からある微生物製剤が健闘しているくらいで、他に見るべきものはない。
何だか、面白くもない状況になってきたものだ。

我がPCが思わしくない。
我が社で標準の青いRGBでディスプレイを繋いで(今時ねぇ、)おり、hpマシンなので二つあるディスプレイポートにアダプタを介して、白いデジタル線で二つ目のディスプレイを繋いでいる。

今や仕事はメールと共にやってくるので、ボケるアナログ画面には主としてアウトルックを展開しておき、メインの高精細のデジタル画面でワードだ、エクセルだを広げて仕事をしている。たまに参考で開く画像データを、メーラーの上に重ねたりするわけである。

昨日から、このデジタルディスプレイが度々沈黙する。
以前もこの症状はあり、ポートを差し替え、コネクタを差し直したりすれば回復する。要するに接触不良なのだと認識していた。
昨日は夕方からはシングル画面で我慢して仕事をして、今日の朝に電源を投入したが、直っていない。まあ当たり前で、我々生物とは異なるので自己治癒能力があるはずもない。
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で、朝イチでラジヲ体操をしてとりあえずのメール返信をしたら、近所のホームセンターまで愛車を走らせ、接点復活剤を買ってきたのだ。ポートに、アダプタの両端に、白いディスプレイケーブルの両端に、そしてディスプレイ端子にスプレーして、電源を入れれば見事に復活した。
これで気持ちよく仕事ができるというものだ。

周囲の若者に自慢したが、接点復活剤?へえ~ってなもんである。端子の表面に形成された薄膜が導電性を確保する、なんて意味が分からんらしい。このデジタル世代の若者がこんな基本的なことを知らない、機械が動く原理を知らず、ただ便利を享受していて、その便利のもとに日常がどんどん積み重なっている。恐ろしいことだと思ったのだ。

動かなくなったら買いかえればイイじゃん、と言うことか。壊れているわけじゃないんですけどね、年寄りの感想である。

鏡餅を焼いて、昆布とスルメでとった出汁にセリと豚肉を放り込んでお雑煮。なかなか美味くできた。
ようやく寒気も緩んで、窓を開け放って家の掃除に精を出す。室温は16.4℃、着込んでおれば寒くはない。

昨日まではとても寒かった。しかし、年が明けての自転車通勤は寒風を切って走るのが新鮮だった。年末の仕事納めの日からご無沙汰であったので、二週間振りなのだ。

年が明けての帰省と出張、例によって土日が休めずにいたから、ようやくこの日曜日で一息つけた感がある。来週後半は母の退院が控えている、やるべき仕事も少々ある、リフレッシュして取り掛かるのである。

11日は前月の実績速報日、そこそこの成績をメール配信。
12日は第3Qまでの解析と午後らは二つの事業分科会、粛々と進めて参ろう。

9日に長沼の研究所で打ち合わせを終える頃、大粒の雪が派手に舞い始めた。これはやはり荒れるのかと思いつつ、千歳の定宿まで移動して泊まる。翌日の朝は早めに起きて、恐る恐る部屋のカーテンを開ければ、何のことはない千歳市内は積雪がほとんど無い。
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しかし、大事を取って一般道は避けて自動車道路で江別の研究所にアプローチする。
やはりと言うべきか、札幌を過ぎるあたりから積雪が目立ってきて、江別市内は圧雪状態。車の速度も落とさざるを得ない。

午前中の打ち合わせを終えて、さあ後は帰るだけ。
母の病院で医師と看護師らとのカンファレンスに顔を出し、母の退院日を決めた。その後のケアプランを作り直してもらい、ケアマネさんには大変に申し訳がない。

終わって千歳空港、羽田に舞い戻り帰宅してビールにありついたのは11時前だった。

夕刻に長沼の研究所で新製品の打ち合わせ。
気温が高く、路面の雪は雨で緩んでザラザラ状態。幹線道路などはアスファルトが露出している。車は汚れるものの走りやすい。

雪を心配したが、それほどのことはない。明日も気温は下がらぬようで、なんとか江別の研究所まで行けそうだ。積雪と凍結を恐れながら、千歳の定宿に泊まっている。

明日は朝から打ち合わせをいろいろ、午後には母の病院に取って返してカンファレンス。退院の日取りに目処を付けたら千葉に戻る予定である。

5日は休んだ同僚たちも、今日から始動。さあ今年の仕事も始まった。相変わらずの事故者続出、人手不足の中だが、スケジュール通りにこなして参りたい。ものである。

5日 新年の朝礼があったものの、私の部署は全員お休み、結構な事である。こちとら有給休暇を使い果たしているので、たいして忙しくもないのだが出勤して電話番をする。定時を終えて、羽田空港から新千歳空港。千歳市内の宿に入ったのは22時過ぎだった。
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6日 宿でノンビリしていたら、早朝に千歳に入ったカミサンと息子がすでに私を追い越して札幌駅に到着とか。私としては体力温存策だったが、急がねば。とりあえず実家に向かう。
雪の山から甥の車を掘り起こし、カミサンを迎えに行き、一時帰宅する母を迎えに行く。
夕方には下の息子も合流して、夜は母を迎えて遅まきながらの新年会。

7日 母の一時帰宅二日目、昼飯を食べたらカミサンと下の息子は先に戻る。

8日 今日は母を病院に戻す日だ。残る三人で昼を食べて、上の息子は叔母様方に挨拶してから帰る由。夕刻には母を病院に送って行き、これで今回の私の仕事はお仕舞だ。

大晦日には下の息子が来てくれて、家族三人で宴会。
寒締めほうれん草のキッシュ、牛とラムのステーキ、温野菜サラダなど作り、NHKの紅白は途中まで見た記憶があるが、息子が何やらチャンネルを替えてしまい、まあどうでも良し、私は寝ます。

1日には、朝に雑煮を食べて、昼前には上の息子が来て、昼には昨日食べなかった蕎麦。夜は残ったキッシュに、納豆キムチの油揚げ包み焼、葱と豚肉のストウブ鍋など作り宴会。

2日は、上の息子が昼前に帰るというので、豚ブロック肉をストウブ鍋で塩レモン煮にして持たせ、午後には下の息子にも持たせて、夜は老夫婦で残り物をいろいろ。

3日は生野菜が少なくなったので買い物、一個398円のレタスに魂消る。買ったけど。夜は麻婆豆腐その他をいろいろ。

そして今日の4日は、朝から近所のイオンの抽選に行きすべて外れのティッシュペーパー。明日から出張不在となるので作り置き料理もいろいろ。
何だか料理ばかりしていた正月、楽しかったけど。

佐々木譲の武揚伝決定版の三巻を読了。読み応えがあった。
戊辰戦争・函館戦争が終わって、武揚が投降したところで残りは数ページ。投獄され、赦免され、明治政府に登用されてからの幾多の働きは、この本の中では夢の中だった。

五稜郭で敗れたのが33歳、73歳まで生きた武揚の人生からみれば、幕臣としての意地を見せエゾ共和国を夢見て戦った日々が半分だが、作者はこれを武揚伝と言う。確かに武揚の黄金期はここまでなのかもしれない。

しかし、投獄されてからの残りの半生も波乱万丈、彼はただ近代日本の繁栄に自らを捧げたのだ。

我が国初の公害訴訟たる足尾銅山の鉱毒事件の際の担当大臣として、最終的には調査委員会を設置して操業停止命令を出しているが引責辞任。これを受けて企業側は公害防止対策を実施して操業再開に漕ぎ付けるも、結果的には当時の技術では十分な対策ではなく事態は収束しなかった。

武揚が亡くなる数年前のことだ、もはや彼の胆力も衰えていたのだろうか。そんなことを考えながら、この幕末から明治にかけての偉人を振り返った正月だった。

今年が皆様にとって良い年となりますように。
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大晦日は、南半球の牛肉の塊を食す。
タスマニア産のブラックアンガス。400gの極厚ステーキ。素敵!
今年一年の出来事を書き留めておく。

母の通院、三度の入院と二度の退院で、仕事を絡めた札幌行きは今年一年で実に28回を数えることとなった。56回も飛行機に乗ったのは新記録だな、多分。
LCCがなければ破産している、Jetstarに感謝。それでも一回3万円以上はかかっているだろう、×28回、うーむ。
仕事に託けた時には、社費で行かせてもらっているのだが、、
そして、二つ歯のインプラント手術。これも大いに金がかかった。

今野敏をたくさん読んだ。任侠シリーズでこの作者を知り、警察小説の名手とてこれらを読み漁り、ちょうど孤拳伝も文庫で再販、STシリーズは読破、安積班シリーズはネットで全巻取り寄せた。

香月日輪の妖アパと三人悪のシリーズ、異世界居酒屋のぶシリーズ、そしてそろそろ読了する武揚伝、今年は移動時間が多かっただけに本が読めた。

二週間に一度の札幌通い、土日が休めず事務所に出れば体が辛い。年をとったなと思う。休日に自転車で市内を走り回る時間が取れないのも、体にはよくないようだ。

貯まっていた有給休暇は既に使い果たし、欠勤扱いも三日。これ以上休めない中で、さて母の退院後はどうなることやらだ。

1月 年末のカミサンの入退院で、久しぶりに札幌には戻らず千葉で正月を過ごす。中旬には出張がてらに母の顔を見に行く。月末には最初のインプラント手術、奥歯に土台を立てた。

2月 母が、通っていたお琴の会で尻餅をついたのが1月、で足に痛みが出てきて、整形外科やら脳神経外科を受診するために帰省。翌週には、痛みに耐えられないとて札幌市内の病院に入院させるべく再び札幌へ。

3月 同僚が二名転出した。ローランドの電子ピアノを買った。通っていたスタンドバーL&Jが閉店、聞けばマスターは年前に他界されていた。月末には前歯にもインプラントの土台を立てた。土日に二度、札幌に母を見舞った。

4月 母が退院した。同僚が体調を崩し長期の休暇に入ったので、職場は大変なことになった。とりあえず停滞していた販促物の作成など支援する。奥歯のインプラントに仮歯を立てた。うーむ顎の骨で噛んでいる感ある。

5月 母の通院やら、実家の畑仕事やらで、この月は三度にわたり計12日間も札幌にいた。仕事もあったのだが。
奥歯のインプラントを完了。長年使った洗濯機と冷蔵庫を新調、長男から夫婦箸を貰って喜んだ。

6月 実家から戻って、翌日の朝に母からヘルプあり。立てなくなったらしい、会社を休んで飛んでいく。結局 夜まで思わしくなく、救急車を呼ぶ羽目になった。脳神経外科に緊急入院。一週間ほど休みを取って対処した。月末にも見舞いと転院に向けての打ち合わせなどする。カミサンの誕生日あり、大台に乗ったね。

7月 母を老人病院のリハビリ病棟に転院させた。翌々週に医師やケアマネさんとのカンファレンスがあり、その後の見舞いを合わせて三度札幌に通う。結局は骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折だった。札幌市内のマンションを貸していた方が退去、新たに募集せねばとハウスクリーニング手配などした。

8月 不動産屋とマンションの管理契約、母の一時帰宅にカミサンにも助けてもらい、墓参りもこなす。今年もホッカイドウ競馬の冠レースあり、楽しんで戻る。前歯のインプラントにも歯を立てた。ポルテ号にカミサンが片手でも運転できる補助具を装着。我が愛車はルイガノ号からジャイアント・エスケープ号となった。

9月 大規模の太陽フレアが報じられた、が何事もなし。母が老人病院から退院、やれやれ。しかし、戻れば我が社は大変なことになっていた。野党のスキを突いたらしき訳分らん解散に至る。

10月 中旬に母から立てなくなったの報。整形外科に連れていき、再び先月までいた老人病院に再入院となった。腰椎の3番と5番に続いて、今度は2番とか。母は体を動かすたびにイテテテを繰り返す。またもや二週間に一度の札幌通いが復活した。
総選挙では野党に動きあり。すわ大連合か!で与党をビビらせたのも束の間で、排除しますの一言で与党の圧勝。呆れた。

11月 二週間に一度の見舞い(と洗濯物の受け取り)で札幌。仕事では、時節柄で飼料イネ関連の研究会やらで忙しかった。既に二度の忘年会あり。

12月 年末で取引先への挨拶が忙しい。63歳の誕生日を迎えて、親父様よりは長生きしたぞ。入社同期の忘年会とカミサンとの忘年会。クリスマス前に母の見舞いは済ませて、年が明ければ中旬にカンファレンスと退院の準備が待っている。今年も正月は千葉で迎えることとなった。
今日は仕事納め。
昼まで実績データをまとめるなどして、昼飯は外に出る。
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このところ厳しい冷え込みだ。昼休みの散歩の途中、船着き場でカモメが接近してきた。しばし語らう。?

午後は周辺の片づけ、机の拭き掃除などして、16時から会社の親睦会の総会。終われば、この一年ご苦労様の乾杯だ。
ビールを二杯ほど飲んだら、早めに帰宅した。
さあ、今年の仕事も終わったゾ。

入社以来初めての、有給休暇を使い果たして、母のサポートに追われた一年だった。
朝から八丁堀の取引先に向かい、年末のご挨拶。
終わって東京駅まで首都高をくぐってテクテク歩くと、京橋辺りで蕎麦屋に遭遇。ちと早いが鰹節屋の直営と言うのが面白くて、入ってみた。
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取り立てて旨い蕎麦ではなかったが、おかかご飯はユニークだ。ソソラレタが糖質制限の身にダブル炭水化物は厳禁である。

事務所に戻り、午後からは出版社の方と来年の広告宣伝の打ち合わせ。新製品を二つ控えているのだ。
23日 カミサンにも付き合ってもらい、母の見舞い。
お決まりの成田空港の立ち食い寿司に喜んで、その後はJetstatで新千歳空港。札幌駅からバスで母の入院する病院へ。
洗濯物を受け取り、夕飯の材料を買って実家に泊まる。

洗濯はカミサンに任せ、私は夕食の支度。とは言っても総菜をレンチンしただけなのである。あっ、ヒラメは切ったな。
ブラタモリを見て、守り人を見る。

24日 洗濯物を回収して、母に読ませる本を選んで、再び母のもとへ。妹の旦那と長男も見舞いに来てくれた。大晦日と元日は我慢してもらって、年明けの一時帰宅とカンファレンスの打ち合わせなどする。

そろそろ二度目の退院が見えてきた。
今度は、すぐまた入院にならぬよう、事前に準備を万全にしておきたい。すくさまもう一度の入院などに至れば、私には仕事をやめる選択肢が浮上する事になる。
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戻った成田空港では、近所の幼稚園の作成らしきクリスマスツリーが迎えてくれた。

武揚伝の第二巻を読了。
最後の将軍たる徳川慶喜の優柔不断と、勝海舟の実なき大言壮語に振り回されつつ、徳川家家臣として任された海軍を率いる責務を負って、実直なる武揚の働きは怒涛のうちに二巻を終える。

いささか勧善懲悪が過ぎる感ありとて、しかしこの様な近代史は初めて也。実に鮮やかに、この時代を見せてくれる。こんな教科書があれば歴史の勉強も面白かったろう。
19日 新幹線で武揚伝の第一巻を読み耽り、京葉線に乗り換えて読了した。うーむ読み応えがある。激動の時代に雄々しく生きた男の物語。まだ触れられていないが、我が国の酪農にも深く関わった人物である。
午後からは残務整理。カミサンは忘年会なので、帰宅して一人ポトフなど作りて食す。
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20日 朝イチでポルテ号を点検に預ける。
ようやく新製品の名前が決まった。さあ、巻きで仕事をせねばならぬ。まずはロゴタイプのデザインだ。

今夜は私が忘年会。これで三回目だな。入社同期が前年と合わせて8名集まり、一番年長だがシニアで暇な私が幹事役。もはや社内でもいろいろな場所に散り、職位も様々だが、忌憚なく話せる仲間である。

21日 午前中は部内の月次ミーティング、午後からは販売プロジェクトの成果発表、販売のロールプレイングは抜けてきて残務整理。今夜は久し振りにカミサンと外食、まあ老夫婦での忘年会だ。

22日 新製品を含む総合リーフレットの作成に取り掛かる。私のここ数年の仕事の集大成とも言える販促物で、これは気を抜けぬ。良いものを作りたいと意気込んでいる。

夜は、キャベツと豚肉の炊きもの、葱焼き、蕪の漬物など。
いつもの通勤時間に、反対方向の電車に乗る。
東京行きは踏切の安全確認とやらで、10数分遅れた。東京駅からは久方振りの東海道新幹線。
佐々木譲の武揚伝、第一巻に取り掛かった。
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雪化粧の富士山を拝みつつ、京都で折り返して大津。レンタカーを借りて栗東の販売店に年末ご挨拶。
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大津に戻り、車を返して、浜大津までテクテク歩いて、京阪電車で京都市内にアプローチ。四条大宮の定宿に泊まっている。

栗東トレセンには酒屋があって、その名も「勝馬」なる酒を売っていた。近所の酒蔵に作らせた縁起物の日本酒である由。しばし悩んだが、一升瓶を下げて新幹線で戻るのもナニだと諦めた。車で来ていれば買い求めたかもしれぬ。
16日 63歳になった。馬齢を重ねている、午年だけに。
土曜日なので寝坊して、掃除して、買い物がてらにカミサンとラーメンを食べて戻る。午後からは猛然と誕生会の料理を作る。

叔母さまから頂いた明太子でタラモサラダ、豆とジャガイモにいろいろ野菜の温野菜サラダ、寒締めほうれん草でキッシュ、メインは牛ランプ肉のステーキ。息子らが来てくれて、飲んで食べて語らって、楽しい63歳の誕生日である。

62歳ですい臓がんで他界した父、症状が出てからは早かった。何とか長男の顔を見せることができたのは、もう30年以上前である。

父より長生きしたことになる。こうなれば亡くなった義父の決まり文句が耳に残っている。母が生きているうちは死ねない、この事であった。
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17日 朝は一日遅れの苺のタルトでハッピーバースデー、昼は残り物野菜でソースを作りパスタ、でカラオケ屋に出掛けた。
ビールを飲みつつ、ピカチューのベーコンピザを食べつつ、歌う。
寒風が吹く中を、息子らと別れ帰宅。明日は京都、さあオヤジよ、12月後半に向けて備えるのだ!
今日もとても冷え込んだ朝。午前中は残務をあれこれするうちに、午後イチで会社創立記念日のセレモニーと、優秀事業所・社員の表彰式があった。
その後は事務所を出て、取引先に年末ご挨拶。
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中山競馬場付近の取引先を目指せば、イヤでも目に付く真ん丸の道路。行田団地である。
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その昔、ここには軍の無線塔が立っていた。かのニイタカヤマノボレも、ここから発信されたと言う。

大正4年の稼働とか、当時の人は現代のネット情報の濃密さを知れば驚くだろうな。軍事用のみならず、本土を離れた船舶乗組員に大相撲の結果を知らせたなどの記録も残っているそうな。

14日 美浦の取引先までひとっ走りして戻る。カミサンは女子会なので、帰宅すれば一人寂しく鍋物をつつく。寒波襲来の日々が続いている。
久々の休日、カミサンとノンビリ朝飯として、昼は一蘭までラーメンを食べに行く。近所のスーパーで買い物をして、研究所の柑橘を収穫に行った。
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夜は鰤しゃぶの後で、牡蠣を鍋にして温まる。余した牡蠣はオイルで煮て瓶詰めとした。

収穫してきた鬼柚子を浴槽に放り込んで、香しき柚子風呂。
幸せのうちに就寝の予定である。Win10の更新作業が長かった。
7日 早朝から千歳駅、沼ノ端駅まで移動して車で拾ってもらった。めったに降らぬ雪が苫小牧から日高に降ったばかりとかで、悪路を想定して早めの移動としたのだが、結局は浦川まで路面にはなかったね。
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販売店さんらと昼飯を食い、競馬の関係施設を見学させていただいて、南千歳から札幌。ススキノの定宿に着いたのは午後7時。ビールを飲んで、さっさと就寝した。

8日 病院に母を見舞い、洗濯物を受け取り実家で洗濯。その他、持っていくものをまとめて、不在郵便物を受け取りに南局、年賀はがきを買う。次いでミュンヘン大橋のコーチャンフォーで、母に読ませる本を買い、頼まれていた三年日記、スイスへ送るクリスマスカードとカレンダーなどを買って母のもとに届ける。

お医者様と介護士さんらとのカンファレンス、残す一か月と少しの入院期間とその後について打ち合わせた。

夜は取引先とススキノで打ち合わせと飲み会。札幌市内は夕方まで雪がかなり降った。温度が低いので路面は凍ったまま溶けず、その上にフワフワの新雪が乗る最悪の道路状態。歩行者は滑って転ぶ、車は交差点で一度停まると発進できない。

9日 洗濯物を収穫して、三度 母のもとへ。今日も道路状況は最悪で、バスも車もノロノロ走る。バス移動を諦めて地下鉄とJRで新千歳空港。空港内の郵便局で、カレンダーをEMS:国際スピード郵便で送る。スイスまで2600円也。

Jetstarで成田空港まで、待ち時間と機内ではひたすら今野敏の孤拳伝3に没頭する。相打ちとは、腕を上げたなロバート・ソン。

ポルテ号を受け取って東関道を戻れば、千葉北ICでまさかの大渋滞。ゆったり戻って夕飯を作るはずが、バタバタと拵えて席についてTVをつければブラタモリの時間だった。
5日 朝から再び虎ノ門。午前中の研究会に出席して、終われば展示を撤収して、先生方有難うございました。首都高を飛ばして千葉まで戻り、遅い昼飯を食べてから事務所に帰還。

個人面談があって、雑務をこなしていればアッというまに退社時間に至る。冷蔵庫にがんもがあったナ、大根を買って帰り、炊き合わせなど。冷凍のホタテもバタ焼きとした。
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6日 先月の販売実績の速報日。売り上げも史上最高だが、返品額も新記録だ。私はヌルイので「まあしょうがない」だが、若き統率者はこれをどう見るか。

昼を過ぎて、成田空港からJetstar。千葉も寒気が覆っていたが、千歳はさすがにキンと冷えている。明日は雪が降った日高だ。時間に余裕を見て移動することにしている。
虎ノ門は発明会館で研究会。早朝から車で都心を目指した。
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聴講しつつ展示もせねばならぬので、近所の駐車場に車を止めて台車でゴロゴロと会場に持ち込む。

駐車場は何と15分で500円、一時間停めていたら2,000円!!!
しかし、探せば一日上限4,000円のところがあって、ここに車を止めたのだった。

有意義な発表をいくつか聞いて、5時に終われば、首都高が混まぬうちに戻ってきた。明日はもう一度出かけねばならぬ。明日も駐車場が空いていることを祈る事である。
3日 思い切り寝坊して、朝昼めし兼用を作りて食す。
家の掃除、ベランダのバジルの整理、アレカヤシを剪定して室内へ、赤唐辛子はまだ青い実があるのでぎりぎりまで置いておこう。
念願の衣替えを実施した。今日は一歩も外には出なかったな。

2日 昼前にはカミサンがセミナー参加、その後は女子会とか。
私は銀行口座のメンテをしつつ昼飯を食べ、クリーニングに出していたジャケットを受け取るなど。夜は一人であれこれ作りて食す。

1日 朝礼、雑務、午後から歯医者に抜けて、来週の展示品を車に積み、クリニックに寄って降圧剤を受け取って帰宅。

暴力を振るったとされる横綱が辞めたり、ミサイルがこれまで以上の性能を誇示して飛んだり、大企業の不祥事が連鎖して、近所ではいよいよイオンが開店したりで、気温は低め。季節は確実に冬に向かっている。
25日の土曜日、成田11時発のJetstarで新千歳空港、快速エアポートで札幌に移動すると周りが白くなってきた。

札幌市内はふわりふわりと雪が舞う程度だったが、母のいる川沿の病院あたりでは短靴で歩くのに支障があるぐらいの積雪、そしてたまたま見舞いに来ていた甥家族に車で送ってもらった我が実家は、なかなかの積もりようだった。
藻岩山を回ると、天候が変わるのである。
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26日 毎年頼んでいる実家前の道路の除雪を、今年も近所で重機を持っている方にお願いして、洗濯物をもって病院に母を訪ねる。

バスで真駒内、地下鉄で札幌駅、快速エアポートで新千歳空港。
飛行機で成田に着くまで、ずーっと読んでいたのは異世界居酒屋「のぶ」。何故か箱庭的な中世の都市に店開きしている居酒屋。

客はトリアエズナマを飲みオトーシを楽しみ、そしてタイショーが提供する和の調理法で生み出される季節の異世界の(日本の)料理に舌鼓を打つ。そして、集う人々の人間模様。

店の裏側は日本につながっており、仕入れはここから。電気も水道も通じているが、中世の客には、飲用可能な水が湧き出る蛇口も、夏は涼しく冬は暖かな店内も、そしてキンと冷えたトリアエズナマも、タイショーの操る包丁の切れ味も、レイシュを注ぐグラスの完成度も、すべて魔法である。

店の表の異世界は古代ローマ(否、名前からしてゲルマン人?)の都を思わせるものの、夜空には月が二つかかったりして、どうやら地球ではない。或いは月が二つあった頃の地球なのか。

面白い。
実に面白い。この作者はタダモノデハナイ。
24日 このところ、ピンと冷え込んだ日々が続いている。
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今日などは空には雲一つなく、これは冷える訳である。

さあて、新製品に関するスケジュール作りをしながら、今夜は会社の忘年会である。幕張のホテルがバスで迎えに来てくれて、午後7時を待たずにスタート。

ビュッフェ形式なので極力「含水炭素」は取らずにいたものを、ビンゴで当たった景品がペットボトルいっぱいの麦チョコとは皮肉である。隣のテーブルに居た誰かさんにあげました。
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二次会には流れず、開店したばかりの検見川浜イオンでIPAを買い求めて、カミサンと乾杯。明日は札幌だ、早めに就寝。
19日 我が家で昼から下の息子の誕生パーティー。たくさん食べて飲み過ぎて、翌日の朝は腹を下して何度も目が覚める始末。情けなし。

20日 思い立って、都内の関連法人に事情を聴きに行く。ついでに午後から二件の取引先との打ち合わせも入れられて、有意義だった。寒い日でジャケットにリュックを背負い手袋とマフラーだが、寒さが身に染みた。
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法人に出向している同僚と先輩とで酒を飲んで帰宅。

21日 昨日に増して寒い日だ。
製品リニューアルの準備などしながら、今日からかみさんが京都に行くので、ラーメン屋で食事を済ませて帰宅した。

カミサンが戻ってきた翌日は、私の会社の忘年会。そして土日は母の見舞いで札幌だ。カミサンとは暫くすれ違いが続く。一人でも、きちんと食事を作り、規則正しい生活をするべきである。
午後から飼料用米の意見交換会があった。
小伝馬町の馬喰町との境目辺り、ここは私が札幌から転勤してきて数年間務めていた我が社の事務所があったところだ。
今から思えば短い東京通勤だったけれど、濃~い思い出が詰まっている場所である。
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江戸通りを渡った先の豚カツいもやさんは健在であった。ご当地銘酒「神田橋」を買い求めた隣の酒屋は、営業していないようだ。
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昼に、夜に、よく利用していた中華「味の一番」もそのままだ。

会合ではいろいろ話題が出た。当方が関わるものも多いのだが、紛糾を恐れてバックレたりしながら、問題意識を持ちつつ帰宅。
我が社の関りを少し調べてみる必要がありそうだ。
13日 打ち合わせ場所は北大の裏側にある。時間があるので、駅前ホテルから北大構内をテクテク歩く事にした。
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樹木は既に冬を迎える準備で盛大に葉を落としている。学生らのほかには、近所のお散歩らしきご夫婦、或いは犬を連れた方々、そしてやはり早朝からいるのだな、声高に話しカメラを構える亜細亜系の観光客の家族。
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小一時間で打ち合わせを終えて、再び北大構内を戻る。クラーク博士にご挨拶をして、昼過ぎには新千歳空港に移動した。
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雨が降り出した千歳を離陸して、成田空港への着陸時には大きく機体が揺れた。帰宅した午後7時過ぎ、千葉にも雨が降り始めた。

14日 雨模様でエスケープ号での通勤は諦めた。
久しぶりの日常が戻ってきた。出張報告やら、出張精算やら、資料の打ち合わせで、それなりに忙しく定時を迎えて帰宅。
もはや11月も折り返そうとしているのだな。
10日 同じホテルに泊まっていた同僚と合流して、レンタカーで研究所に向かう。新製品やらリニューアル品やらの打ち合わせ。来年度に向けて粛々と進めねば。

昼前に終えて、今度は本社で会議のある同僚を送っていき、今日の私の仕事はお仕舞だ。
駅前でレンタカーを返して、出張のついでに有難く母の病院でのカンファレンスに向かわせてもらった。母の主治医、介護職、病院の健康相談員の方々と、今後の治療の方向について打ち合わせる。

母は、腰痛が日を追って改善しつつあり、また帰宅への気力も湧いてきたようである。

11日 土曜日。母の洗濯物は昨日のうちに済ませて、部屋干しだが扇風機をかけてあった。その他、言われたものをあれこれ持って病院へ。

たまたま高校の同期会で来札したカミサンを迎えに行き、今度叔母様方と京都に持っていく分骨を受け取り、母の見舞いは時間が許さぬ。明日にして、大通りまでカミサンを送っていく。

12日 起床すれば粒雪がパラリパラリと舞う朝。周囲の山々は薄っすらと雪化粧だ。カミサンと共に母を見舞い、カミサンを最寄り駅まで送って一度実家に戻り、片付けものをして、母にミカンを届けたら、今日は札幌駅近くのホテルに泊まっている。

月曜日にもう一息仕事をして、千葉に戻る。いろいろと細かな仕事が、私を待っている。ソツなくこなして参ろうゾ。
明日の会議に備えて、千歳に泊まっている。
レンタカーを借りておかねばと早めの羽田発JALに乗れば、わが社の社長も乗っておられた。びっくり。
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コンパクトカーで頼んでいたレンタカー、ヴィッツかマーチのつもりでいたら向こうの都合でマークXを貸してくれた。9千円台で思わず良い車でドライブができる。

ホテルに入って窓から見下ろせば、焼き鳥屋の提灯。
数串を頼んでおいて、コンビニでビールを買い、も少し時間があるのでビデオ屋でレンタル切れの中古DVDを買う。5枚で千円だって、安すぎネェかこれ。こーゆーメディアも、使い捨ての時代か。

ホテルに戻り、焼き鳥とビールをお伴にPCでSF映画鑑賞。今夜は早寝が吉と出た。
気候シフトとか、気候ジャンプとも言うらしい。
農研機構のサイトを見ていたら、1998年の気候シフトにより北海道でもワインの高級原料たるピノ・ノワールの栽培が可能になったとの記事。断定したな、驚いた。

Wikiによれば、レジームシフト(Regime shift)とは、気温や風などの気候要素が数十年間隔で急激に変化すること。2000年を少し越えた頃に「あの時はレジームシフトであったのか」と言った議論があって、「そうだったのかもしれないが、もう少し長い目で見なければ判らない」が結論だったと記憶していた。

今になって見れば、もはや断定すべきと言う事か。
気温の変化とか、海流の蛇行とか、漁獲量の変動も乱獲によるばかりでなく、地球規模の生態系に影響を及ぼす諸環境の変曲点であったのか。

平安時代の奥州平泉で藤原氏が栄えた頃、今より気温が高かったからとの話もある。地球温暖化とやらでは説明できない、大きな動きがあるのだろう。人間の浅はかな観測では、なかなか捉えきれないものだ。

農業者は、これを体現し、果敢に挑戦すべきであると思う。