果物とヨーグルトと紅茶で、やや軽めの朝食。
講演会とやらに参加するカミサンを見送ってから、家の掃除。そしてようやくPCの回復ドライブを作成する決心をした。時間があれば取り掛かろうと思いながら、PCを更新してからずっとサボっていたわけである。
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マニュアルによれば、できれば32GBのUSBのフラッシュメモリを用意して、しかもUSB2.0規格のポートに繋げという。3.0では不具合が発生する可能性があるとか。生憎と2.0ポートはマウスとキーボードで塞がっているので、わざわざ2.0規格のハブを引っ張り出してきて接続した。

で、これが時間がかかる。
作成をクリックしたら、画面の真ん中にバーが出たのでしばらく待つ。数分待たされて、ドライブF:にメモリが見つかりましたとかで、あらまだ始まっていなかったのね。で、これを進めると、またもや画面にバーが出て、左側からジリジリと緑になり始めた。いかん、これは待たされそうだ。

で、雨が止んだのをいいことに買い物に出た。
戻ってしばし、ようやく作成終了。メモリに作成年月日を書き込んで引き出しに仕舞う。使うことがありませんように、、、

昼間はずっと雨は止んだまま。幕張のクラフトビール屋でカミサンと待ち合わせてIPAで乾杯、歩いて帰宅するころ、ポツリポツリと降り出した。

明日から10月。業界ではシンポジウムや展示会の時機到来である。暇なシニアの身の上で、機会を見つけていろいろ参加してやろうと企んでいる。
札幌の実家の畑も、片付けに行かなくっちゃなぁ。

担当する製品群に関して、その将来性を見据えるレポートを書かねばならなかった。シニア社員で出不精になっていたが、ここは奮起して周辺に情報収集していた。

で8月の盆前には那須、9月に入って新潟、富山、今週はディスプレイの前に座ってまとめにかかり、そしてぎりぎりの28日は午前中に香取に行って、現場に詳しい方と話をしてきた。
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久し振りに来た佐原の街、駅の向こうには真新しい合同庁舎があった。駅と直結しているかと思いきや、連絡橋はあっても繋がっていない。何故?と思ったが、JRは一時間に一本の路線なのだ。これは繋げる必要はないですかね。

頭の中で組み上げていたストーリーを、詳しい方のお話を聞いて補強できて、来た甲斐があったというものだ。事務所に戻り、書きかけの報告書を一気に仕上げる。6ページにまとめてみた。うむ、そこそこの出来である。
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帰宅して、道の駅「水郷さわら」で買ってきたマッシュルームでアヒージョ、つるむらさきのお浸しなど作り、白ワインでいただく。
レポートを書き終えて、ああ9月も終わりだ。
今月の販売実績は、山崩れだ台風だ地震だ停電だで思わしくない結果に終わりそうだ。お客様が大変なので、当方も大変だ。まあ当たり前のことであるが。

29日 朝は初物の柿と梨をむき、ヨーグルトと紅茶。
カミサンは病院に行ったので、私は台所に立ち、小茄子を漬け、カブも処理して漬物にして、落花生を茹でる。昼飯は野菜たっぷりの温蕎麦にした。

昼からは雨が降り始めた。この土日は外出せずに過ごそう。今度の台風が、また悪さをしませんように。

17日 札幌から戻った次の日は、月曜日ながら敬老の日。
自宅にいてゆっくり休ませていただこう。

18日 この週は馬用サプリメントで販売店回りを計画していたのだが、欠品してしまいご迷惑をかけている。そろそろ次ロットの出荷目処が見えるはずなので、これを待ってお詫びに行こうと、巡回を断念した。
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19日 更新されたPC、NECの事務用機でデュアルコア・4スレッドとは現在ではやや地味ながら、動画やゲームをするわけでもなし、会社での使用には問題なかろう。たまたま机の中から、往年の名器PC9800の頭脳たるV30プロセッサが出てきたので、これを眺めるうちに、私の入社当時の、PC黎明期の記憶が蘇ってきた。

画面がカラーでなかった頃、PCにマウスが付いていなかった頃、日本語処理は出来ずとも作表ソフトと格闘したあの頃を、書き留めて原稿募集中の社内報に投稿してやろうと思い立った。暇な我が身である。

20日 朝イチで、亡くなった同僚の一周忌の追悼式があった。
そうか、あれからもう一年がたつのだ。いやいや、一年しか過ぎていないのだ。あれからいろいろな事があり過ぎた。

21日 てなわけで、せっせと記事を書く。
メインフレームに載せたLP計算を端末で走らせた思い出、そのうち台頭してきた表計算ソフトを率先して学んだ日々、インターネッ環境のない時代に試行したパソコン通信による事業所間のファイル転送。

初代のダイナブックを持ち歩き、ダイヤルアップでモデムからサーバーにつないで、バイナリをishでテキスト変換していた。懐かしい思い出だが、振り返ればインターネット環境もマシンスペックもとんでもなく進歩したものである。

22日 幕張のクラフトビール屋に下の息子を誘ったら、上の息子も仙台から来るという。ゲームショーを覗いて帰りたいらしい。
勢いあまって、夜は蕎麦屋でも酒を飲む。

23日 掃除して、洗濯して、網戸も洗って、気になっていたベランダも掃除して、家中のエントロピーを下げる。
泊って行った息子を送り出し、カミサンとポケモン採集。

レイドバトルでミュウツーをゲットして気をよくしたら、スペシャルリサーチを乗り越えてセレビィとミューまで捕れてしまったのは、上出来であった。

24日 秋分の日の振り替え休日。
今日はお弁当とお茶を持って、ピクニック気分でポケモン採集の続き。あと一週間で9月も終わってしまう。10月に入れば、上半期の実績が見えてくる時期なのである。

実家の母が病院に行きたいという。半年に一度、人工関節のモニタリングをしているのである。
大昔に両股関節を手術しており、かなりガタが来ている。しかし高齢での全身麻酔は体の負担が大きいし、人工関節の入れ替えは大変な作業になるらしいから、再手術は諦めている。
で、大事に使いましょう、と云う事になる。その定期検査なのだ。
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14日の金曜日を休みにして、成田空港から8時台のJetster。こんなに空席の目立つ機内は初めてだ、いつもの賑やかで存在感のある中国人観光客の姿が見えない。

さて、昼前に実家に着いてみれば、何と病院は午前中であったとか。午後と聞いたからこのタイミングで来たのだが、もう間に合わぬではないの。
母は「午前と言った」と言い張るが、私は午後と聞いたから午前中の飛行機で行きますと応えたのだ。ダイイチ千葉から飛んできて午前中の札幌の病院に間に合うわけないジャン。私は自宅を朝の5時半に出たのだ。

そー言えば、私が成田から飛ぶとカミサンに伝えたはずが、カミサンは「羽田」と言ったと譲らない。私が言い間違えた可能性もなくはない、どうも母も私もカミサンも、年をとって勘違いや早飲み込みや、そして意固地が増している。皆してポンコツである。気をつけよう。

病院には行けなかったが、実家では買い物や畑仕事でそこそこ忙しかった。近所の生協では、豆腐と牛乳とヨーグルトと卵が品薄ですでに売り切れだった。帰路にもしやとセコマに寄ったら、豊富の牛乳とヨーグルトをゲットできたのが有難かった。
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16日の日曜日、夕方に成田に戻る。
新千歳空港は利用客の数は普段と変わらない気がしたが、レストラン階はすべて閉店。数少ない飲食店には長蛇の列。
こんな時期に来てくれた観光客には誠に気の毒である。

10日は美浦まで顧客対応で一走り、行き帰りに一日を費やした。
11日の今日は、ぐっと気温が下がった。通勤時にはジャケットを着てもよいくらいで、一気に気配は9月下旬だ。
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昨日の続きで、市内の配送センターまで検品に行く羽目になる。
途中歩いた「みなと公園」では、赤・白・黄色の蓮の花が咲いていた。
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ようやく、暑さから解放されるのだろうか。
日没が早まってきて、終業の頃には暗くなり帰路の自転車にはヘッドライトが必要な季節になった。しばらくさぼっていた自転車のタイヤに、空気を入れてやることにしよう。

全国的な大災害が目立ったばかりの夏だったが、気がつけば既に秋である。

北海道を襲った5日の台風、いたるところで大木がなぎ倒された。
我が社の施設にも木が倒れ掛かるなどの損傷ありとか、心配していたら今度は6日未明の大地震だ。

震源地では大規模な山崩れ、そしてまさかの北海道全域(発電所を持つ離島を除く)での大停電、電力供給ネットワークの脆さを露呈した。
札幌本社では6~7日は社員は自宅待機、交通機関は動かず、事務所に出ても電気が来なければPCも動かない。

私は千葉にいて仕事柄、道内事業所との電話やメールのやり取りが多いのだが、固定電話は不通、やむを得ない場合には携帯電話、そして固定PCでのメールは開けない。やきもきしながら、まずは電源回復を待つことになった。

不謹慎にも、7日の夜には新橋で退社した先輩方との飲み会。
夜に実家からの電話で、電源回復を知らされ、とりあえず一安心したところだ。

北海道では酪農家が搾乳機械を動かせない、何とか搾乳できても牛乳の冷蔵保存装置(バルククーラー)が動かない。
だいたい乳業メーカーも停電で稼働できず、集乳ローリーも来なければ牛乳も出荷しようがない。

事故った厚真火力発電所は北海道の主力パワープラント。海外炭の使用を前提に苫東の海に面した立地だ。
苫小牧から日高に向かって海側を走れば、発電所の雄姿と、その横の巨大な石炭貯蔵場が嫌でも目に入る。全道の電力需要の4割を担うとされた泊原発が停止中であり、近年は火力発電所の高稼働が続いていた。そこが被災したのだから影響も大きかったのだろう。

危機に及んで、すぐに原発を再稼働させ電力回復ができたなら、原発の株も上がったのかもしれない。
しかし、原発は臨界まで持っていくのに一苦労する鈍重な・重厚?なメカニズムであって、そーは行かない。むしろ使用済み核燃料の冷却にも、もちろん施設内の制御機器にも、外部電源が必要なのだ。

ほくでんサンにしてみれば、泊の再稼働が見通し不透明の中で、高負荷となっていた主力発電所が被災したのだからお気の毒ではあるけれど、そろそろ電力の地域分散と相互補完ネットワークを考えてほしいものだ。原発はもう諦めましょうよ。

そー言えば、昔読んだSFに、何らかの原因で荒廃した地球を舞台に、人類文明の灯火たる原子力発電所の稼働を死守する物語があった。電力を失えば人類は文明を喪失してしまう。子孫に文明を継承するために、我々は原発を守らなければならぬのだ。
それなりに面白く読んだ記憶がある。昔の原発は人類の叡智の結晶、科学力のシンボルだった。バラ色だったあの頃、、、

3日は昼まで事務所仕事、サプリの在庫切れのお詫び電話をぎりぎりまで対処。いったい何やってるンだ、対応が遅すぎる。と内心憤りつつ、、、
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市内で銀行口座のメンテをしてから東京駅、新幹線に乗ればあっという間の長岡だった。
昔、微生物飼料のルートセールスをしていた頃は、ほぼ毎月のように来ていた。長岡を拠点として、新潟県内を回り、今度は金沢に移動して富山県・石川県・福井県と販売店とお客様巡回して、名古屋に降りたりしていたな。もう20年以上も前のことだ、長岡の街も大きく変わっていた。

4日は三条市にある試験場を訪ねて情報収集、終われば戻って、今度は上越妙高で特急から新幹線に乗り換えて富山。
ちょうど台風が迫っており、富山駅に到着すれば在来線は運休していた。横殴りの雨の中を、ホテルに急ぐ。
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まだ早いけどホテル併設の居酒屋で一人酒、げんげの唐揚げやら白海老の刺身をいただいて早めの就寝が吉と出た。
この時間の富山は、台風の目の中だったようだ。雨と風が収まり、上空の雲が渦巻いていた。そして、その後は再び猛烈な雨。
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5日 起床すれば快晴、まさに台風一過だ。そして気温が高い。
再びレンタカーを借りて、今度は富山の試験場を訪ねて情報収集。終われば富山駅前で遅い昼飯、つい刺身定食など食べてしまう。旨かったけど。

新幹線で東京駅まで直行できるご時世、午後6時には帰宅できた。
今回の情報収集は有意義だった。も少し補強して、レポートにまとめるつもりなのだ。