事務所では販促物の総点検に取り掛かる。まだ体がフワフワするようで、自転車通勤は控えている。
風邪薬が切れたので、クリニックに薬をもらいに行けば、体調最悪の時の血液検査の結果が出ていた。白血球数が多いだの、明らかに感染症の兆候が現れていて面白い。抗生物質をもう一週間分貰ってきた。

さで、五月最後の日だ。午後からお客様を訪ねて、そのまま成田空港に来ている。実家の畑仕事に向かうのだが、一度搭乗したJetstar機からエンジントラブルとかで降ろされてしまった。
代わりの機材を準備すると言うので待っているが、果たして今日中に札幌に辿りつけるだろうか。

書き留めておこう。
26日の土曜日は、夕方から常務取締役まで務めた方のお通夜(偲ぶ会)であった。亡くなったのは19日と聞いたから、関東では焼き場が混んでいるらしい。

私も復調間際で、無精髭にマスクをして礼服をまとい出席した。
前社長、前々社長、前々副社長から、最近卒業した諸先輩まで、いろいろな方にお目にかかった。北海道組は姿が見えなかったけれど、十和田から来たM氏などは日帰りである由。

良くも悪しくも、会社人生だった最後の年代だろうか。
会社としても、優秀?な大卒・院卒を取り始めた最初の年代、氏は工場の品質管理から営業の技術支援、理路整然とした弁舌を買われてか労働組合の委員長なども務めて、いつしかエサ部門のトップに君臨した。

入社が数年遅かった私だが、なお氏は二つ三つ年上だった。私は仕事一筋、組合活動などに興味はなかったので、氏の八面六臂の活躍振りを呆れて見ていたクチである。同年代の同僚の使い方には頓着せず、しかし配下には慕われた面もあったようだ。

健康を害して早めの引退、この数年はかつて組合活動で丁々発止とやりあった社員とのパークゴルフが楽しみだったとは、人生分からぬものである。会社の今を振り返れば、氏の業績が見通せる。事業環境の激変もあるが、総じて及第点は付けられぬ事だろう。ただ、私の担当事業への投資を後押ししてくれたことは感謝しているのである。

風邪気味ながら決めていた仙台行きもあり、土日と無理をした。
ドライブは楽しかったが帰宅と共に症状は悪化、特に喉が俄然痛さを増してきた。咳をする度に、物を飲み込む度に痛むのだ。

21日の月曜日 会社を休んで寝ていた。
22日の火曜日 起きられず、午後から再び病院に行って、セフェム系抗生物質と消炎鎮痛剤イブプロフェン、咳止めシロップとうがい薬を処方してもらった。
23日の水曜日 何とか復調の兆しが見えてきた。抗生物質はやはり偉大な人類の発明である。

24日の木曜日 ようやく出勤、まだ体がふらつくのでエスケープ号は止めにして、電車で通勤。
25日の金曜日 マスクをして通勤の二日目。今日も自転車は止めておいた。
不祥事を受けて会社では臨時株主総会。新体制の発表があった。これからが正念場だ。

19日 体調はかなり回復して、朝7時前には我が家を出る。
東関道から圏央道に横移動して、後はひたすら常磐道を北上する。いわき市を過ぎたあたりから「放射線量」のリアルタイム表示板がチラホラと目につき始め、そのうち「ここから帰還困難地域」などと看板がある。道路から見下ろせば、汚染土壌を詰めた袋らしきものの膨大な蓄積、荒れた田畑と住宅がイヤでも目に付く。
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仙台市内では、駅前がお祭り騒ぎだった。息子の引っ越し先にポルテ号に積んできた荷物を届ける。我々は青葉城址を見てからホテルに入る。これから引っ越し業者が来るので、息子はこれを受け取ったら、夜は仙台市内で美味しいものを食べようと企んでいたが、私はまだ無理である。カミサン一人に行ってもらい、私はまたしてもホテルにこもって寝る、寝る、寝る。

20日 朝はホテル近くの土産物店を物色して、遅めに戻り始める。
今日も常磐道、天気は快晴のドライブ日和だ。
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「ここから帰還困難区域」の看板。
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放射線量を示す電光掲示板が、上りと下りのレーンにそれぞれ数枚設置されており、最大値は「3.0マイクロシーベルト/h」であった。移動距離は10数キロだっただろうか、常磐道は浜通りの真ん中をほぼ直線で南北に貫いているのだから、水戸・いわき方面と仙台とを結ぶ重要ルートで、震災復興にも大いに意味があったのだろう。

インターチェンジ建設中だの、高速道路の拡幅工事も進められていたようだ。これも震災復興の一環なのか、単に予定が震災で遅れているものか。
アクセスが改善されても、汚染された大地は帰還困難、野生の王国だ。この地域は今後どうなる事やら。

17日は国際展市場で ifia Japan 2018 を冷やかしに行った。機能性原料の展示会があったのだ。

しかし3時を過ぎた頃だったか、体調に違和感。早めに戻ってきたが、自宅に着く頃には発熱しており、布団に入ったらそのまま起き上がれなかった。

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18日 息子の引っ越し手伝いで午後半休としていたが、こりゃ全休である。朝イチで病院に行き、薬を貰った後はひたすら寝ていた。睡眠と休息は免疫の基本なのだ。

3時に迎えに行くことになっていたので、それまで寝ていて、何とか起きてポルテ号を走らせる。晩飯を作ったが、満足に食えず、ひたすら寝た。大汗をかくのは、体が病原菌と闘っているのだろう。何とか直さねばと焦るばかり


私と同じ歳と記憶していたが、氏が1955年4月との事なので、私よりは1/3年ばかり若かったことになる。
彼がTVの歌番組で活躍していたころ、死んだ妹から「ヒデキとおんちゃん(私の事)が同じ歳なんて」と、よく言われたものだ。アカヌケナイ兄貴で悪うございました。

正直、それほど歌のうまい歌手とは(私には)思えなかったが、シャウトのきいた楽曲を得意とし、ワイルドな印象の半面でファンを大切にする誠実な姿勢を貫いて、闘病を乗り越えて最後まで歌う事にこだわった人生だったようだ。

自分のレコード増産で作業量が増えた工場に出向き、従業員に対して「皆さんに残業させてしまいます」と詫びて、ミカン箱の上で歌ったそうな。漢である。ご冥福をお祈りいたします。

14日に恩ある先生との飲み会で、フェイスブックに誘われた。
先生のように「功成り名を遂げた方」ならば、自信をもって情報公開できるでしょうが、こちとら功績もなき凡人、しかもまだ会社勤めの身であれば、少なくとも退職までは止めとこうと思います、などと応じたものだった。

飲み会後に三人で写真を撮ったら、これをフェイスブックに上げますと仰る。酔っぱらった勢いで「では私も」と先生に友達申請してしまった。
すぐさま承認してもらったところ、まあ同じ業界に属しているものだから、私の会社の同僚も含めて知り合いが出てくる、出てくる。
これまた酔った勢いで、友達申請しまくったところ、瞬く間に10数名から反応が届き、魂消た。フェイスブック恐るべし、である。

コメントだの、いいね!が届き始めて、すっかり恐れをなした私は「これは魔の空間に足を踏み入れてしまった」と悟った事である。「この人も友達じゃね?」とまだまだ聞いてきて、確かに見覚えのある方も多いのだが、もう余程の事がない限り友達申請しないことを決めたのだ。今後は厳選させていただきます。

FBは、できれば顔が写っている写真に簡単なコメント付きで当面付き合ってみよう。12年ほど続けてきたこのブログを、やはり私の電脳空間での住処にしよう。この事であった。

そうそう、最近ブログ更新の無くなった知り合いをFB上で見つけたのは、収穫だったのかもしれないな。

朝9時の飛行機で千歳を発ち、羽田空港からバスで出社する予定である。高速が混んでいるのかバスは下道を走るのだが、ここも渋滞している。この様子では、自宅でエスケープ号に乗り換えて出社する時間はなさそうだ。

降りた羽田は初夏のよう。札幌では重宝した上着は不要である。
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14日 江別の研究所で定例の打合せ、終われば時間があるのでバス停までテクテク歩く。
夜は、恩義ある先生に、喪が明けぬと言うのに出てきていただき、それでも楽しく昔話。研究農場の番頭さんにも付き合ってもらった。取材半分なのだが、それでも昔話が楽しいのは、私も歳をとった事である。
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13日のうちに札幌入り。夕方に実家を訪ねれば、甥がひ孫ちゃん二人を連れて、遊びに来ていた。
暖かくなると聞いていたが、上着一枚では肌寒い札幌。市内の花壇のいたるところで、チューリップが咲いている。毎度この季節、チューリップが目立つ北海道である。

とんでもなく暖かいと思ったら、今週に入って気温が下がり雨に祟られた。9日も10日も雨で電車通勤、ようやく11日の金曜日はエスケープ号で通勤出来て、体が喜んだ。

飛び込んできた文書作成をこなして、青空のもと漕ぎ返るが、夜はカミサンは女子会である。豚肉と春キャベツでチーズ焼きなど作りてビールと共に夜が更けた。
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12日の土曜日、先週の日曜日に買ってベランダ環境に馴致させておいた苗たちを、コンテナに植えた。今年も唐辛子、ゴーヤ、そしてエアコン室外機の上にはバジルの鉢も置いたのである。
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昨年同様に、まずはアブラムシとの戦い、そしてカメムシとの追いかけっこになるのだろうか。今のところ、苗にはついていないようだが、彼奴等は湧いて出るからな。(自然発生説)

明日からは、月曜日の研究所での打ち合わせに備えて札幌の実家に移動することになる。いったいどんな服装で行けばよいのやら、悩むところである。

今日は朝から雨模様、気温は驚くほど低い。
当然ジャケットを着ていくが、それでも寒いほどだ。空が恨めしい電車通勤の二日目である。

昼を過ぎても気温は上がらない。季節を逆戻りの感がある。前月実績の速報をして、明日の会議に備えてまとめなどする。頼んでいる製品ロゴなどがまだ未着であるのは、如何したことだ。

7日 連休空けの月曜日、久々の出勤だが夕方から雨と言われて自転車には乗れないのは悲しい。
借上げ社宅である自宅のトイレのタンクから水漏れがする。管理会社を通じて修理を依頼すれば、当然ながら立ち合いが必要となったので、午後休とした。引っ越しを控えた息子が、保証人となった私の印鑑証明が欲しいというから、ちょうど良い。昼から市民センターで合流して、印鑑証明をゲットした後は一緒に昼飯を食べる。
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連休後半の5日は、引きこもりにも飽きて、カミサンと東京駅から日比谷ミッドタウンまで歩いた。そのまま歩いて永田町から国会議事堂をかすめて赤坂見附、半蔵門から東京駅まで皇居を4分の1周ほど歩いて戻り、東京駅で息子らを呼び出してビールを飲む不良老夫婦である。ちなみにカミサンのおごりであった。

6日は家の掃除をした後は、ホームセンターに出掛けて、ゴーヤ、唐辛子、バジルの苗を買う。今年のベランダ菜園は、手を抜かずにしっかりやりたいものである。去年は札幌通いが忙しくて、ままならなかったのだ。