カテゴリ:日常の雑感、覚書( 1472 )

月・火と出張で、水曜日から出社。
金曜日は雨が降るぞと脅かされて、自転車通勤ができなかった。

とても寒く、ワイシャツ一枚で自転車に乗ると風邪をひく。ウインドブレーカーが欠かせない梅雨寒である。それでもベランダゴーヤは順調に枝を伸ばし、グリーンカーテンもサマになりつつある。
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毎年の通り雄花が先行するが、ようやく雌花を発見。開いたら受粉してやろう、媒介する虫のいない都会である。
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バジルも順調、そろそろモツァレラチーズを買ってきて、初回のカプレーゼを作りたいところだ。
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久しぶりに何もしない日を自宅で過ごしている。カミサンは今夜は女子会、私は昨夜の残り物をリメイクしてビールを飲んでいる。まだ咳が離れないので、今夜は早めの就寝が吉と出た。

一週間前に実家の花壇と野菜畑に苗を植えた。
そろそろ苗も大きくなっただろうと、張り切って実家に来てみれば、札幌は恐ろしく寒い。苗もほとんど育っていない、花などは枯れているものもある。一時の高温の後は雨もなかったようなのだ。
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昨日の夜も冷え込んで、そのせいか朝にはゴーヤの先端が頭を垂れている。慌ててアミノ酸液肥を噴霧するなどしたが、この低温だ、効果は知れている。

北海道恐るべし。内地の我が家ではあれだけゴーヤが繁茂しているというのに、北国はこの様子なり。まだなおこの一週間は低温が続くようである。

札幌の実家よりは小規模だが、千葉の我が家でもゴーヤをコンテナに植えているのである。
かなり繁茂してきたので、突っ張り棒を買ってきてネットを大きく広げてみた。
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これから札幌出張、どれだけ伸びているか帰ってくるのが楽しみである。

1日 昨夜は何とかJetstarの代替機に乗れて、しかしお陰で千歳に着いたら10時になってしまった。今日は有給休暇、実家の畑が私を待っている。

母を乗せて、苗物を買い出しに行く。近年、ホームセンターなどでは苗を売るのが早過ぎる。札幌周辺であれば5月はまだ地温が上がっていない。マルチングやビニールハウスをするならまだしも、路地栽培では5月も20日過ぎから、ちょうど6月に入った今頃がベストだ。但し、豆類の種蒔きなら、もう少し早くとも良いのだが、最近はエンドウ豆やスイートコーンまで苗にして売っているから便利な世の中だ。
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2~3日で、ネットを張り、コンテナを載せ、ゴーヤを定植。その他の苗物も畑に植えて、少し遅いが隠元豆と枝豆も播種。
腰を痛めた母のために、今年はしゃがんで収穫する葉物野菜は作らぬことにした。
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葉物野菜を作らぬとなれば、時間に余裕がある。玄関横の花壇にも花苗を植えて周辺美化。

去年は、母が入退院を繰り返していたので、畑がメンテできなかった。今年は、胡瓜だ、トマトだ、ズッキーニに茄子と、成り物を主体にしてみたが、出来はどうなるだろうか。月に一~二度しか来れないのが、やはり辛いのである。

書き留めておこう。
26日の土曜日は、夕方から常務取締役まで務めた方のお通夜(偲ぶ会)であった。亡くなったのは19日と聞いたから、関東では焼き場が混んでいるらしい。

私も復調間際で、無精髭にマスクをして礼服をまとい出席した。
前社長、前々社長、前々副社長から、最近卒業した諸先輩まで、いろいろな方にお目にかかった。北海道組は姿が見えなかったけれど、十和田から来たM氏などは日帰りである由。

良くも悪しくも、会社人生だった最後の年代だろうか。
会社としても、優秀?な大卒・院卒を取り始めた最初の年代、氏は工場の品質管理から営業の技術支援、理路整然とした弁舌を買われてか労働組合の委員長なども務めて、いつしかエサ部門のトップに君臨した。

入社が数年遅かった私だが、なお氏は二つ三つ年上だった。私は仕事一筋、組合活動などに興味はなかったので、氏の八面六臂の活躍振りを呆れて見ていたクチである。同年代の同僚の使い方には頓着せず、しかし配下には慕われた面もあったようだ。

健康を害して早めの引退、この数年はかつて組合活動で丁々発止とやりあった社員とのパークゴルフが楽しみだったとは、人生分からぬものである。会社の今を振り返れば、氏の業績が見通せる。事業環境の激変もあるが、総じて及第点は付けられぬ事だろう。ただ、私の担当事業への投資を後押ししてくれたことは感謝しているのである。

風邪気味ながら決めていた仙台行きもあり、土日と無理をした。
ドライブは楽しかったが帰宅と共に症状は悪化、特に喉が俄然痛さを増してきた。咳をする度に、物を飲み込む度に痛むのだ。

21日の月曜日 会社を休んで寝ていた。
22日の火曜日 起きられず、午後から再び病院に行って、セフェム系抗生物質と消炎鎮痛剤イブプロフェン、咳止めシロップとうがい薬を処方してもらった。
23日の水曜日 何とか復調の兆しが見えてきた。抗生物質はやはり偉大な人類の発明である。

24日の木曜日 ようやく出勤、まだ体がふらつくのでエスケープ号は止めにして、電車で通勤。
25日の金曜日 マスクをして通勤の二日目。今日も自転車は止めておいた。
不祥事を受けて会社では臨時株主総会。新体制の発表があった。これからが正念場だ。

17日は国際展市場で ifia Japan 2018 を冷やかしに行った。機能性原料の展示会があったのだ。

しかし3時を過ぎた頃だったか、体調に違和感。早めに戻ってきたが、自宅に着く頃には発熱しており、布団に入ったらそのまま起き上がれなかった。

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18日 息子の引っ越し手伝いで午後半休としていたが、こりゃ全休である。朝イチで病院に行き、薬を貰った後はひたすら寝ていた。睡眠と休息は免疫の基本なのだ。

3時に迎えに行くことになっていたので、それまで寝ていて、何とか起きてポルテ号を走らせる。晩飯を作ったが、満足に食えず、ひたすら寝た。大汗をかくのは、体が病原菌と闘っているのだろう。何とか直さねばと焦るばかり


私と同じ歳と記憶していたが、氏が1955年4月との事なので、私よりは1/3年ばかり若かったことになる。
彼がTVの歌番組で活躍していたころ、死んだ妹から「ヒデキとおんちゃん(私の事)が同じ歳なんて」と、よく言われたものだ。アカヌケナイ兄貴で悪うございました。

正直、それほど歌のうまい歌手とは(私には)思えなかったが、シャウトのきいた楽曲を得意とし、ワイルドな印象の半面でファンを大切にする誠実な姿勢を貫いて、闘病を乗り越えて最後まで歌う事にこだわった人生だったようだ。

自分のレコード増産で作業量が増えた工場に出向き、従業員に対して「皆さんに残業させてしまいます」と詫びて、ミカン箱の上で歌ったそうな。漢である。ご冥福をお祈りいたします。

14日に恩ある先生との飲み会で、フェイスブックに誘われた。
先生のように「功成り名を遂げた方」ならば、自信をもって情報公開できるでしょうが、こちとら功績もなき凡人、しかもまだ会社勤めの身であれば、少なくとも退職までは止めとこうと思います、などと応じたものだった。

飲み会後に三人で写真を撮ったら、これをフェイスブックに上げますと仰る。酔っぱらった勢いで「では私も」と先生に友達申請してしまった。
すぐさま承認してもらったところ、まあ同じ業界に属しているものだから、私の会社の同僚も含めて知り合いが出てくる、出てくる。
これまた酔った勢いで、友達申請しまくったところ、瞬く間に10数名から反応が届き、魂消た。フェイスブック恐るべし、である。

コメントだの、いいね!が届き始めて、すっかり恐れをなした私は「これは魔の空間に足を踏み入れてしまった」と悟った事である。「この人も友達じゃね?」とまだまだ聞いてきて、確かに見覚えのある方も多いのだが、もう余程の事がない限り友達申請しないことを決めたのだ。今後は厳選させていただきます。

FBは、できれば顔が写っている写真に簡単なコメント付きで当面付き合ってみよう。12年ほど続けてきたこのブログを、やはり私の電脳空間での住処にしよう。この事であった。

そうそう、最近ブログ更新の無くなった知り合いをFB上で見つけたのは、収穫だったのかもしれないな。

朝9時の飛行機で千歳を発ち、羽田空港からバスで出社する予定である。高速が混んでいるのかバスは下道を走るのだが、ここも渋滞している。この様子では、自宅でエスケープ号に乗り換えて出社する時間はなさそうだ。

降りた羽田は初夏のよう。札幌では重宝した上着は不要である。
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14日 江別の研究所で定例の打合せ、終われば時間があるのでバス停までテクテク歩く。
夜は、恩義ある先生に、喪が明けぬと言うのに出てきていただき、それでも楽しく昔話。研究農場の番頭さんにも付き合ってもらった。取材半分なのだが、それでも昔話が楽しいのは、私も歳をとった事である。
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13日のうちに札幌入り。夕方に実家を訪ねれば、甥がひ孫ちゃん二人を連れて、遊びに来ていた。
暖かくなると聞いていたが、上着一枚では肌寒い札幌。市内の花壇のいたるところで、チューリップが咲いている。毎度この季節、チューリップが目立つ北海道である。