2/20 太田宿
名古屋から、前回に味を占めて近鉄特急デラックス車両にて、快適に鳥羽まで移動した。
程なく用事を済ませ、今度は仲間が走らせてきた車に同乗して、津でエンジン・ウエルダ(工事に使う発電機・溶接機のこと)を返却し、揖斐川を渡って工場で部品を受取り、長良川堤防道路を快走して北上、途中で木曽川の東側に出て、各務原からは木曽川の峡谷を右に見ながら併走して美濃加茂に到着した。
美濃加茂は、駅の名前はJR美濃太田、古くは中仙道の太田宿である。
昨日まで読んでいた、若き池波正太郎が旋盤工の指導員として半年を過ごした太田であった。
駅前通りには、何故かブラジル人の子供達を預かるブラジル人学校?があり、ちょうど下校時だったのかエキゾチックな顔つきの子供達が、道路に群がりながらバスを待ち、体中で異国の言葉を発している。彼等の親を雇用する企業が、しかも複数、近くにあるのだろうか。
同じく駅前通のキリスト教会は、壁面にポルトガル語?が大書してあり、小さく日本語で「キリストは日本人の主である」と付記してあった。
駅前にあった坪内逍遥の胸像。この町の出身であった。坪内先生、随分と太田も変わったのですね。
程なく用事を済ませ、今度は仲間が走らせてきた車に同乗して、津でエンジン・ウエルダ(工事に使う発電機・溶接機のこと)を返却し、揖斐川を渡って工場で部品を受取り、長良川堤防道路を快走して北上、途中で木曽川の東側に出て、各務原からは木曽川の峡谷を右に見ながら併走して美濃加茂に到着した。
昨日まで読んでいた、若き池波正太郎が旋盤工の指導員として半年を過ごした太田であった。
駅前通りには、何故かブラジル人の子供達を預かるブラジル人学校?があり、ちょうど下校時だったのかエキゾチックな顔つきの子供達が、道路に群がりながらバスを待ち、体中で異国の言葉を発している。彼等の親を雇用する企業が、しかも複数、近くにあるのだろうか。
同じく駅前通のキリスト教会は、壁面にポルトガル語?が大書してあり、小さく日本語で「キリストは日本人の主である」と付記してあった。
駅前にあった坪内逍遥の胸像。この町の出身であった。坪内先生、随分と太田も変わったのですね。
by yokuya2006
| 2007-02-20 22:44
| 仕事と出張
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