5/20 吾、帰還困難区域を通過せり

19日 体調はかなり回復して、朝7時前には我が家を出る。
東関道から圏央道に横移動して、後はひたすら常磐道を北上する。いわき市を過ぎたあたりから「放射線量」のリアルタイム表示板がチラホラと目につき始め、そのうち「ここから帰還困難地域」などと看板がある。道路から見下ろせば、汚染土壌を詰めた袋らしきものの膨大な蓄積、荒れた田畑と住宅がイヤでも目に付く。
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仙台市内では、駅前がお祭り騒ぎだった。息子の引っ越し先にポルテ号に積んできた荷物を届ける。我々は青葉城址を見てからホテルに入る。これから引っ越し業者が来るので、息子はこれを受け取ったら、夜は仙台市内で美味しいものを食べようと企んでいたが、私はまだ無理である。カミサン一人に行ってもらい、私はまたしてもホテルにこもって寝る、寝る、寝る。

20日 朝はホテル近くの土産物店を物色して、遅めに戻り始める。
今日も常磐道、天気は快晴のドライブ日和だ。
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「ここから帰還困難区域」の看板。
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放射線量を示す電光掲示板が、上りと下りのレーンにそれぞれ数枚設置されており、最大値は「3.0マイクロシーベルト/h」であった。移動距離は10数キロだっただろうか、常磐道は浜通りの真ん中をほぼ直線で南北に貫いているのだから、水戸・いわき方面と仙台とを結ぶ重要ルートで、震災復興にも大いに意味があったのだろう。

インターチェンジ建設中だの、高速道路の拡幅工事も進められていたようだ。これも震災復興の一環なのか、単に予定が震災で遅れているものか。
アクセスが改善されても、汚染された大地は帰還困難、野生の王国だ。この地域は今後どうなる事やら。

by yokuya2006 | 2018-05-20 17:57 | エネルギー | Comments(0)