ウイルスは営みであると見つけたり

私と言う一人の人間、単一ゲノム(そーでもなさそう、との話もあり)の37兆個(60兆個の説あり)の細胞でできている。
しかし、それだけが私ではない。

腸内菌叢だけでも1000種類以上(のゲノム)の細菌が100兆個住んでいるというし、常在菌は腸内に限らない。皮膚にも、口腔内にも、胃にも、鼻にも、耳にも、肺にも、外界と接するところならば何処にでもいる。これらマイクロバイオームを全部ひっくるめたのが「私」である。

そうそう、寄生虫だって飼っているかも入れない。また一つゲノムが増えた。一つとは限らないか。

俯瞰すればゲノムの数でもその多様性からみても、もはやヒトが主役だとは言い難い。私とは、ヒトを取り囲むマイクロバイオーム全体で「一つの宇宙」である。微生物が私を生かし、コントロールしているのだ。

しかも、そのヒトの体も、日々の食事から得た構成材料で、自らの組織を壊しては作り直している。これを動的平衡(福岡ハカセ)と言う。今の私は、構成する分子から見れば去年の私ではないが、ヒトの体の生命現象は維持継続され、記憶も、癖も、古傷の後だって残っている。

何とも生物とは不思議な存在だ。独立した意識と思考能力を持っているのは、この一つの宇宙の中でもどうやらヒトとしての私だけであるらしいから、まだ偉そうな顔をしておられるわけである。って本当にそうなんだろうな、おい。
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最近読んだウイルスの本二冊、大変面白かった。
アーキアに好気性細菌が住み込んでミトコンドリアになった、光合成細菌が共生して葉緑体となった、てーのは既に定説であるらしい。私の時代の学校の教科書には、もちろん載っていなかった。そもそもアーキア(最初は古細菌)なんて、当時は存在すら知られていなかったンですもの。

そしてこの本によれば、細胞核も、細胞に感染したウイルスが自らの増殖のために作ったウイルス工場が、役目を終えても宿主の細胞を殺さず、居座って、あろうことか宿主と共に進化してきたのであろう、と言うのだ。(著者である武村博士の説)

菌を培養して喜んでいた時代、培養できない細菌は「いない」ことにする呪縛から離れて、メタゲノミクス周辺の進展はこの様に新たな知見をもたらしている。研究者は、日々楽しくて仕方があるまいと思う。

も一つ、私が昔習ったウイルスとは「結晶化できる無生物」だった。このウイルス粒子は、しかしウイルスの生活環ともいうべき中では、感染力を持った一形態に過ぎない。ウイルス粒子はウイルスの本質ではない。ウイルスが細胞に取り付いて自らのゲノムを大量に複製している状況、そのものがウイルスの本体ととらえるべきである、と言うのだ。この状態の細胞を、フランスのパトリック博士はヴァイロセルと名付けた由。

これまで分裂するのが仕事だったフツーの細胞が、ウイルスがとっついたらウイルスの本質たる「ヴァイロセル」に変身する?
理解はできるが、どうも苦しい。

いっその事、ウイルスはミニマリストなので、そもそも本質なんかないのです。と言ってしまえばどうか。
粒子になって細胞を感染させたと思えば、その細胞を乗っ取り自らを増殖して、再び次の宿主にとっつく。他人のソースを使って変幻自在に生きる、その営みが、その現象がウイルスなのであって、姿はないのです。(これは素人の私の戯言です、本には書いてありませんので悪しからず。)

何だか、地球の生命は、少なくとも真核生物は、ウイルスの意志から生まれた。ウイルスこそが神であった、という気がしてきましたね。

by yokuya2006 | 2018-03-17 15:52 | 日常の雑感、覚書 | Comments(0)