2/25 進退窮まる、ところだった

23日 母を見舞って千歳まで戻り、明日の朝早くのJetstar便に備える。札幌市内は昨年ほどではないが、そこそこの積雪である。
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24日 昼前に成田に降りて、そのままカミサンと昼飯がてらの買い物に出掛ける。今日は息子らがIPAを飲みに我が家に集まる計画なのであった。
ところが午後3時前だっただろうか、義兄から電話があり、母が救急車で運ばれたとの事、彼もヘルニア手術で退院の翌日なのだが、これから病院に向かいますとの事。

ああ、これで私の会社勤めも終わったなと思いつつ、日曜日には再び札幌行きを覚悟したのだ。が、
午後5時頃か、母本人から電話があり、自宅に戻ったとの事。聞けば、再び心臓バクバクしたのでセコムを通じて救急車を呼んだが、病院では血圧も高めながら安定しており、帰宅を認められた由。再び三度の腰椎骨折ではなかったようで、これは一安心だ。

集まった息子らには事情を説明し、皆で母に電話する。
その後は、牛蒡のキッシュ、明太子ポテトwithサラダ、キャロットスープ、牛ヒレのステーキで宴会。私は朝早くからの移動で、早めに就寝。

25日 昨夜届いた二度目の生牡蠣を蒸して、下の息子にオリーブ油に封じて持たせる。昼は蒸し汁に味をつけて牡蠣蕎麦、息子が帰れば掃除して、夜の食事の準備。相変わらず、休日は家の仕事で一日が過ぎていくのである。

再雇用の定年まであと二年、しかし母の状況を見極めつつ臨機応変に対処しようと考えた、この三日間であった。

by yokuya2006 | 2018-02-25 21:43 | 日常の雑感、覚書 | Comments(2)
Commented by rollingwest at 2018-02-26 20:47
まずはご安心でしたが何か心配な状況下にあり、気が気でありませんね。お大事にされて下さい。
Commented by yokuya2006 at 2018-03-01 23:21
私らの日常も大事なのですが、母の残された人生を、結局は成るようには成るとはいえ、悔いなく過ごしてもらうために、如何すべきなのか、悩むところです。