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1/4 静かな正月

大晦日には下の息子が来てくれて、家族三人で宴会。
寒締めほうれん草のキッシュ、牛とラムのステーキ、温野菜サラダなど作り、NHKの紅白は途中まで見た記憶があるが、息子が何やらチャンネルを替えてしまい、まあどうでも良し、私は寝ます。

1日には、朝に雑煮を食べて、昼前には上の息子が来て、昼には昨日食べなかった蕎麦。夜は残ったキッシュに、納豆キムチの油揚げ包み焼、葱と豚肉のストウブ鍋など作り宴会。

2日は、上の息子が昼前に帰るというので、豚ブロック肉をストウブ鍋で塩レモン煮にして持たせ、午後には下の息子にも持たせて、夜は老夫婦で残り物をいろいろ。

3日は生野菜が少なくなったので買い物、一個398円のレタスに魂消る。買ったけど。夜は麻婆豆腐その他をいろいろ。

そして今日の4日は、朝から近所のイオンの抽選に行きすべて外れのティッシュペーパー。明日から出張不在となるので作り置き料理もいろいろ。
何だか料理ばかりしていた正月、楽しかったけど。

佐々木譲の武揚伝決定版の三巻を読了。読み応えがあった。
戊辰戦争・函館戦争が終わって、武揚が投降したところで残りは数ページ。投獄され、赦免され、明治政府に登用されてからの幾多の働きは、この本の中では夢の中だった。

五稜郭で敗れたのが33歳、73歳まで生きた武揚の人生からみれば、幕臣としての意地を見せエゾ共和国を夢見て戦った日々が半分だが、作者はこれを武揚伝と言う。確かに武揚の黄金期はここまでなのかもしれない。

しかし、投獄されてからの残りの半生も波乱万丈、彼はただ近代日本の繁栄に自らを捧げたのだ。

我が国初の公害訴訟たる足尾銅山の鉱毒事件の際の担当大臣として、最終的には調査委員会を設置して操業停止命令を出しているが引責辞任。これを受けて企業側は公害防止対策を実施して操業再開に漕ぎ付けるも、結果的には当時の技術では十分な対策ではなく事態は収束しなかった。

武揚が亡くなる数年前のことだ、もはや彼の胆力も衰えていたのだろうか。そんなことを考えながら、この幕末から明治にかけての偉人を振り返った正月だった。

by yokuya2006 | 2018-01-04 21:27 | 日常の雑感、覚書 | Comments(0)
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