週イチで病院で皮下注射するテリボンと、毎日自分で注射するフォルテオの、二つの製剤が提供されている。ヒトが本来分泌しているホルモンの一部を切り出した、ポリペプチド製剤である。

母は、腰椎の圧迫骨折を発症し、骨粗しょう症であるとして、整形外科でまずはフォルテオを勧められた。毎日の自己注射を丁寧に実演してもらったが、母には自分でやれる自信がなかった。で、近所のかかりつけの病院で一週間に一度のテリボン注射を選択したわけなのだ。

テリボンは、血中パラトルモン濃度の急上昇を避けるため、なるべく脂肪組織の多い部位に注射することが推奨されている。しかし残念ながら母は太っていない。骨・皮・スジの老婆であるので、血中濃度の急上昇が起こってしまったらしい。

今回で20回目の注射であった。
この製剤は強力なので使用回数が定められている。テリボンの場合は確か72週の投薬制限があったはずである。母は、17週目までは問題がなかったが、その後は注射数時間後に心臓ドキドキを経験し、今回はテレビで見ていたフィギァスケート選手が二重に見えて異常を感じ、ベッドに向かったがその手前で意識喪失して倒れてしまった。恐らく低血圧による脳貧血で昏倒したのである。

骨粗しょう症の治療薬の副作用で、倒れて骨折してはシャレにならない。母は、今のところは腕を擦りむいたぐらいで、骨には異常がなさそうである。ただ、打撲症はあとから出るので油断はならない。倒れても足腰が痛まないのは、これまでのテリボンの効果なのかもしれない?

ネットで検索してみたら、「厚生労働省は1月11日、骨粗鬆症治療薬の「テリパラチド酢酸塩」(商品名:テリボン皮下注用56.5μg)と「テリパラチド(遺伝子組換え)」(同:フォルテオ皮下注キット600μg)の使用上の注意に対し、重大な副作用のショックの項に「意識消失」の追記などを求める改訂指示を出した。」との記載が見つかった。

特に閉経後の女性に対しては、この製剤しか対応策がないのが現状のようである。効果が明確なだけに副作用もある。ヒトは長生きになったことで、これまでになかった問題に直面しているのだ。

昨夜、実家の母に電話をしたところ、倒れてベッドにいると言う。
骨粗しょう症の治療薬テリボン注射で、前々回と前回 心臓ドキドキを経験していたが、午後の注射の後でテレビが二重に見えて、ベッドまで辿り着けずに床に崩れ落ちてしまった由。

札幌にいる甥に電話をして、様子を見に行ってもらった。彼は市内にいる兄に連絡を取り、二人して母のもとに駆け付けてくれたのだから有難いことである。

薬の副作用であれば、時間が過ぎれば回復するのだろうが、倒れたとなれば弱い足腰への影響が心配である。と言うわけで、会社を休みにして、Jetstatで飛んできて、3時過ぎには実家に到着することを得た。

たまたま休みだったという甥兄貴が待っていてくれて、引き継ぐ。夜に一献誘ったが、親父(義理の兄)が何と今日ヘルニアの手術であるとかで、ではまたの機会にお誘いしよう。

母は、今のところ元気で安心。明日のうちに千歳に入っておき、土曜日の朝には成田に戻りたいものだが、さあどうなるか、、、

21日 情報誌の広告宣伝を新規に作り始めた。
午後には、外部講師を招いてTV会議で結んだメンタルヘルス講習会。うつ病は「心が風邪を引いた」などではなく「脳に機能障害が起きている」と捉えるべきであり、治癒するが、また再発率も高い。認知行動療法のアプローチを紹介するなど、勉強になった。
分かって治れ!と言うことなのだろう。なるほど合理的である。

来月の展示会に使う籾米サイレージ:SGSのサンプルが冷凍で届いたので、急きょ研究所の冷凍庫を借りに行った。研究室で若き同僚に会い、我が家での食事会を誘っておいた。

20日 奇しくも昨日は、うつ病でほぼ一年間の休職状態だった元部下が復帰することになり、その受け入れ先に取り扱い説明に行ってきたばかりだった。元上司の責任である。
不手際への対処の連絡あり、どうも要領を得ないが真摯に対応するのみである。

19日 新製品のチラシが納品され、配布の準備を進めるなどした。
どこまで販売展開が進むのか、読みが難しい商品である。販促の準備だけはしっかりとしておきたい。

Windowsはサービスであり、スムーズな実行を維持するための通常手段として、更新プログラムの適用が必要です。と書いてあるメッセージが飛び込んできた。
日本語として意味がよくわからないのである。要するに、早めに再起動するなどしてプログラムの更新をお勧めします」と言うことなのだろう。こんなフザケた文章を読まされるたびに、PCの世界では我が国は所詮二流国なのだなぁとイヤになるのである。

マイクロソフトの日本法人ってあるのですよね、多分。そこの社員の方々、も少しちゃんと仕事してください。日本語での日常会話は大丈夫ですか。

さて、17日。夕食前に宮城県から「笑える牡蠣」が届いたので、早速タワシでゴシゴシして蒸して食べた。笑えた。

羽生さん王者の貫禄 凛々しい。そして昌磨君カワイイ、転んだあとでよくも立て直し果敢に攻めた、立派であった。
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18日 男子ご飯を見て、掃除して、カミサンと買い物。牡蠣の蒸した汁がもったいないので、広島の牡蠣を買ってきて生姜と牛蒡を入れて牡蠣の炊き込みご飯。まだ汁が余るので、礼文の昆布だしを加えてキノコの汁もの。我ながらそこそこ上手く出来ました。
何やら底冷えしてきたが、幸せに夜は更けていくのである。

16日 会社でひと悶着あり、めげる。あまりにもルーズである。
気を取り直して、出来上がった新製品リーフレットを社内に配布、市内の配送センターにも配りに出た。

エスケープ号のサドルを少し上げてやろうと六角レンチでボルトを緩めたら、パキンと折れてしまった。日本製のネジでは考えられない品質。おっと、品質については人のことは言えないな。急きょ自転車屋に修理に持ち込んで、ではセンターまでは公共交通機関と歩きで参ろう。
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波止場の公園整備も随分と進んできた。
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帰宅すれば我が家のアレカヤシは、春への備えなのか、大きく葉を広げつつあった。

17日 冬晴れの、青空の土曜日の朝である。
札幌で通学していた息子が持ったままになっていた実家の鍵を、今度は甥っ子夫婦に持っておいてもらうこととした。母に何かあったときには、近間の親戚が頼りである。

カギと共に食品などを詰め合わせて送り、修理を終えた自転車を取りに行く。雲が増してきた空からポツリポツリと雨が落ちてきて、そのうちに猛烈な風が吹き始めた。

相変わらず寒い日が続いているのである。
来月に出展することになったシンポジウムの準備にパワポ資料をまとめつつ、新製品の販促リーフやら、業界雑誌への新製品紹介など準備している。
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桟橋の公園整備は、モニュメント工事は一段落。今度はパラソルが数基立ち始めた。
このところ、夕飯の時間にカミサンと冬季オリンピックを観戦。やはり日本勢の活躍は嬉しい。つい応援してしまう。

11日は日曜日、連休二日目である。
掃除して、溜まった紙パックを解体して片付けて、机周りの整理をいろいろ。
昨日も今日も比較的暖かいが、どうやら今日までらしい。北日本ではまだ大雪が続いているようだ。
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12日は振り替え休日。カミサンは仕事に出掛けていき、私は期限切れsuicaの残額を隣駅の機械で受け取り、酒を買って帰ってきた。スピリタス、ウオッカ、ホワイトリカー。レモンが手に入ったのでレモンチェッロを作るのだ。

帰宅して、牛蒡と人参を削って貝柱の炊き込みご飯。寒締め法蓮草でキッシュ、干し椎茸を戻して切り干し大根などせっせと作る。キッシュは少し焼き過ぎで、しかもクリームが古かったので入れずに作ったら、今イチの出来だった。

夕食後はレモンの皮をピーラーで向いてスピリタスに投入、剥いたレモンは輪切りにして氷砂糖を入れてホワイトリカーを注ぐ。確か一週間ほどしてレモン皮の抽出は終わるはずなので、来週は砂糖水と合わせていよいよレモンチェッロの仕込みである。

三連休の一日目、カミサンに誘われて電車を乗り継ぎ、はるばる東中野まで。遠かった。
映画館「ポレポレ東中野」を探し当てて、ドキュメンタリー「おだやかな革命」を観た。太陽光・小水力・風力発電による地域おこしと都市部との連帯、森林資源を再開発する村の再生戦略。バイオマスを軸に、全国各地の取り組みを紹介した。
遍くもたらされた基礎教育と国民の民度の高さは、我が国の財産である。まあ、クレバーな方々だけを紹介したのだろうけれど、旧弊な立場からの反発や移住者の成功に対するやっかみなども当然あったのだろうけれども、映画ではポジティヴに切り開き、賛同し、支える人々の姿を、ただありのままに紹介していた。

地元の電力会社が各戸に張り巡らせた電線から、毎月お金を払って電気を買う。当然のように配備されたライフラインだが、今や「どっちが安い」の電気屋とガス屋の競争などではなく、再生可能エネルギーで発電された電気を消費者が選んで買える時代である。電力も資源であり、地域戦略の柱になりうることを実感した。

資源を、資金を、そして人材を消費する場としてある都市部の生活者は、今何を考えねばならぬのか。皆して一様な便利な生活を追い求めてきた私たちは、これで良かったのか。

このところ寒い日が続いている。
今日も、昼休みに外に出たら、気温が上がっていない。帰宅時も、軽装では身震いするような寒さだ。しかし、確実に日は長くなってきて、5時半を過ぎて外に出れば、まだ明るさが残っている。

ああ、こうして日が長くなるのだったな。と、毎年思い出すのだ。
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桟橋の建造物は、少し形になってきた。煉瓦を巻いて、電源を引いてある。いったい何ができるのでしょうか。毎日通って、様子を見てみよう。

後日談 金曜日に現場のおっちゃんと話してみた。
怒りの、もとい港らしく錨のモニュメントが立つのだそうな、夜はライトアップされるのだそうな。来月には完成するので、楽しみにしていてくださいと言われた。顔の皺が現場焼けした、イイ顔をしたおっちゃんだった。

まだまだ寒い日が続いている。
久しぶりに楽しくエスケープ号で通勤、溜まったメールに対処したら10時から歯医者に行かせてもらう。シニア特権である。
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昼休みに蕎麦を食べての帰り道、千葉港の桟橋ではカボチャが置いてあったところが工事中である。何かモニュメントでも建てるのでしょうか。
整備はしたが、相変わらず人が少ない桟橋。近所の我々は良い雰囲気になったのが嬉しいけれど、果たして投資効果はあるのでしょうかね。ま、長い目で見なければならないのでしょう。

いろいろ打ち合わせが入りつつ、何とか出張報告をまとめて帰宅。今日は届いているニラを炒めて、セリをお浸しにして、新物のワカメも食べてやろう。

1/31 午前は月次ミーティングで皆の進捗と今後の予定のすり合わせ。午後からは成績検討会のTV会議。
団地のベランダから皆既月食を眺めて就寝、明日は早い。

1日 早朝の電車で羽田空港、札幌駅から会場に歩く道すがらにラーメンで昼飯、午後からは酪農関係のシンポジウムに出席した。
久々に牛の臭いのする話を濃厚に聞けた気がする。

夜は、札幌事務所に移動になった同僚と新札幌で一杯。いろいろと話し、楽しく酔っぱらう。

2日 札幌事務所に出て、肉牛の専門家氏と意見交換。監査役室で無駄話をしてから、実家に向かう。
足腰が弱った母のために、分別ごみを玄関先から回収してくれる市のサービスがあるというので、玄関フードに置いておく蓋つきバケツを買ってきた。
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3日 昼前に実家を出て、バスを乗り継いで新千歳空港。手荷物検査をくぐった後の、待合いスペースの土産物店が去年の春に一新され、礼文島発のイートインができている。
ホッケの干物と昆布味のまろやかビールが絶品であった
自宅に戻れば、息子らも訪ねてきて、一緒に買い物に出る。タスマニアビーフの塊を買ってきて、ローストピーフ・パーティ。流石に疲れていて、早めに就寝。

4日 快晴の日曜日だ。気温は低い。
この出張で、読み漏らしていたベイエリア分署の三巻目が読めて安積班シリーズを読了することができた。札幌の書店では孤拳伝の4巻目も見つけて、帰路はこれを読み耽っていた。
今日のところはゆっくりと家に居て、明日からに備えよう。

27日と28日、土日は久々にまったりと過ごす。
念願の紙ごみをまとめて、新聞を4包み、段ボールを大小各一つ、雑紙を袋に二つ出して、ようやく玄関入り口が片付いた。
夜は男子ご飯で見た柚子胡椒鍋にチャレンジ、まあそこそこ美味かった。

29日 前日のうちにエスケープ号のタイヤに空気を入れておいたので、朝は適正空気圧で通勤だ。総合リーフレットその他あれこれ。
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30日 通勤時に何やら新規設備を発見。多分、水面の高さを測る装置であろうネ。
今日は我が社の研究開発部門の成績検討会、終日TV会議で参加したが、なかなかの充実ぶりだった。発表する研究員は皆して若く、そして不勉強も見え隠れする。私が年をとったということなのだ。

相変わらずヘタクソな語り口で司会進行をする者あり、本を読まないのだろうな。会社人生、30年も過ぎれば、自ずとその人の力量が見えてくるのが面白い。

持って生まれた能力もあろうが、日々を如何に過ごしたかの、積み重ねの結果なのである。私は常にベストを尽くしていたか、と自問すれば、もちろん怠けていたのであるが、志はあったことにしておこう。

25日 バスと電車とバスで市内の配送センター。今日も気温が上がらない、寒風に吹かれて体温が奪われる。
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畑には見事に成長した霜柱、やはり千葉では珍しいことだ。
バスとモノレールで戻り、午後から事務所仕事。自転車を置いてきたから、夜はカミサンを呼んで千葉駅近くの寿司屋に入り燗酒で温まった。
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26日 総合リーフレットの編集も、ようやく終盤。今日も物凄く寒くて自転車を諦めた。夜はまたしてもカミサンと共に今度はイタメシ屋で食事。老夫婦の楽しみである。帰宅まで寒風が強く吹き付けて、いくら体に燃料を炊いていても、寒くて仕方がなかった。

そごうの書店で、未購入だった安積班シリーズの2冊を発見してラッキー。これを読み終えれば、とりあえず安積班シリーズは読了だ。

まだ所々凍っているようなので、自転車通勤を諦める。
物凄く寒い、風も昨日ほどではないが強い、のでますます寒さを感じるのだ。

夕方には北から黒雲がジワリと伸び広がって空を覆う、夕暮れも早まった感あり。
明日はますます寒くなるらしいから、市内の配送センターまで自転車移動を楽しみにしていたが、どうやら諦めたほうがよさそうだ。

総合リーフレットの編集作業に一日を充てた。関連のシンポジウムがあるという、仕掛けを考えたいものである。

起床すれば、すでに雪は止んでいた。
しかし、自転車通勤できる道路状況ではない。ごみを捨てたら電車で通勤。電車は上下ともに遅れていた。
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駅のホームもこの有様で、確かに千葉では大雪と言ってよかろう。

昼には雪もほぼ溶けたが、今度は物凄い海風が吹き付けてくるのに閉口した。一日、新製品を含めた総合リーフレットを作り込む。
今夜はカミサンが新年会だ、私一人でもキチンと料理して過ごして参ろう。

天気予報通りに、昼から雪が舞い始めた。
会社では、16時半からの自主帰宅がアナウンスされ、急ぐ仕事もないシニアの私としては、そろそろ派手に舞い始めた雪片を傘で受け止めながら帰宅したわけなのだ。雪に傘をさすとは、私も北海道人失格である。

京葉線もすでに遅れが出ている。私は二駅だからよいものの、遠方から通勤している方には早めの帰宅が吉と出た。
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2月のはじめに札幌出張が入ったが、すでに市内のホテルは取りにくく慌てた。昨日もそうだったが、ますます外国人が多く流入しているのであろう。

札幌から戻り7時のニュースを点けたら、大砂嵐の自動車事故の後は西部邁の自殺の報。

学生運動を率い、首相官邸襲撃を画し、しかし東京大学教授に至りその後は保守に転じて論客として名を売った師も、年をとり、伴侶を亡くされ、自らも咽頭がんを表明して、前途を見通せず自死を選択されたのでしょうか。

誠に聡明な方で、数多くの著作も、そして主催された月刊誌「発言者」も、愛読していた私です。
まるで江藤淳の自殺を思い起こさせる、行き場のない選択だったのでしょう。理に勝った方の人生の終わり方としては、判らなくもない。私もそんな年になったということです。

ここは安らかにお休みください。有難うございました。合掌。

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18日 有給休暇を使い果たして、欠勤には午前休も午後休もない。しかし、総合リーフの編集が押しているので、朝イチで会社に出て仕事をして、では親孝行をして参ります。
昼過ぎにカミサンを迎えに行き、成田空港から新千歳空港。

19日 母の退院の日である。
入院費用を払うべく銀行で出金してから病院に向かい、同室の方々にお菓子を配って無事退院。午後にはケアマネさん他、総勢6名が実家に来てくれて、今後の母のケアプラン策定。

20日 母の念願の冬モードを仕入れたら、食材の宅配が届くまでの食材の買い物。実家での今後のイロイロ。守り人を見て就寝。

21日 この三日間、母にたくさん食べさせようと料理に頑張った。
母にはくれぐれも無理をなさらぬようお願いして、昼前にカミサンと実家を出て、千歳空港から飛んだエアバスは離陸直後は大揺れだった。
日没頃に成田に降りて、我が家で夕飯。ああ日常が戻ってきた。

明日は降雪とか、ジャイアント・エスケープ号での通勤なるか。

昼休みに1,100円床屋で髪を刈った。
にーちゃん「どのくらい切りますか?」
私「耳がちゃんと出るくらいにして、横と後ろは刈り上げてました」と、これはいつもの返答である。

私「白髪が増えて、テッペンは薄くなっても、髪は伸びるよねぇ」
にーちゃん「男の人はやはり横と後ろが気になって(床屋に)来るみたいです」

つまり前髪と真ん中の伸びは遅くなっているのだが、横と後ろの髪の毛は若い頃と同じ速度で伸びるのであろう。
にーちゃん「何でそうなるンでしょうねぇ」
私「何でだろうねぇ」
ほぼ一か月に一度は髪を刈ってもらう私である。

新製品を加えた総合リーフレットの編集に専念した。
天気予報通りの雨になったが、夜はカミサンと待ち合わせして、小料理屋で一杯。千葉駅の改札階から上が新規オープンしており、どの店にも客が入っていた。ますます駅に人が集まり、周辺の店には脅威であることだろう。

午前中は研究農場で来客対応、嬉々としてエスケープ号で向かう。
住んでいる海沿いから、山王町までの上りのコースは、ナビタイム自転車版で見れば片道9.9kmだ。打ち合わせを終えて昼飯時に近所をポタリングして、午後からもう一つの打ち合わせを済ませて戻る。

朝はウインドブレーカーにマフラーと手袋が必須だったが、昼は随分と気温が上がったな。防寒着はリュックに仕舞い込んで、ベストにジャケットで帰還した。行き帰りで20km、その後は会社に向かい仕事をして帰宅したから、今日の走破距離は累計30kmと言ったところか。天候にも恵まれて、幸せな自転車乗りである。

打ち合わせの相手は商社の若いの、専門分野にいるとは思えないほど知識がない。今時こんなものなのか、畜産が廃れるわけである。儲からないから人材を集めない、教育の機会を与えない、英語はできるらしいけどネ。エサの世界の前途は暗い。

僕らの世代は、就職してからは伝手を辿って闇雲に情報収集に努力したものだ。商社にも我々にレクチャーできる技術屋がいた。
ちょうどチャレンジフィーディングだ、リードフィーディングだと、米国の穀物戦略に乗せられて飼養管理技術が大きく進展した時代だったこともあって、皆して勉強したものだ。

縮小する我が国の畜産、技術屋もどんどん減っていて、どの企業も人手不足だ。世界は、抗生物質からの脱却で機能性の天然物に目を向けているが、日本発では大昔からある微生物製剤が健闘しているくらいで、他に見るべきものはない。
何だか、面白くもない状況になってきたものだ。

我がPCが思わしくない。
我が社で標準の青いRGBでディスプレイを繋いで(今時ねぇ、)おり、hpマシンなので二つあるディスプレイポートにアダプタを介して、白いデジタル線で二つ目のディスプレイを繋いでいる。

今や仕事はメールと共にやってくるので、ボケるアナログ画面には主としてアウトルックを展開しておき、メインの高精細のデジタル画面でワードだ、エクセルだを広げて仕事をしている。たまに参考で開く画像データを、メーラーの上に重ねたりするわけである。

昨日から、このデジタルディスプレイが度々沈黙する。
以前もこの症状はあり、ポートを差し替え、コネクタを差し直したりすれば回復する。要するに接触不良なのだと認識していた。
昨日は夕方からはシングル画面で我慢して仕事をして、今日の朝に電源を投入したが、直っていない。まあ当たり前で、我々生物とは異なるので自己治癒能力があるはずもない。
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で、朝イチでラジヲ体操をしてとりあえずのメール返信をしたら、近所のホームセンターまで愛車を走らせ、接点復活剤を買ってきたのだ。ポートに、アダプタの両端に、白いディスプレイケーブルの両端に、そしてディスプレイ端子にスプレーして、電源を入れれば見事に復活した。
これで気持ちよく仕事ができるというものだ。

周囲の若者に自慢したが、接点復活剤?へえ~ってなもんである。端子の表面に形成された薄膜が導電性を確保する、なんて意味が分からんらしい。このデジタル世代の若者がこんな基本的なことを知らない、機械が動く原理を知らず、ただ便利を享受していて、その便利のもとに日常がどんどん積み重なっている。恐ろしいことだと思ったのだ。

動かなくなったら買いかえればイイじゃん、と言うことか。壊れているわけじゃないんですけどね、年寄りの感想である。

鏡餅を焼いて、昆布とスルメでとった出汁にセリと豚肉を放り込んでお雑煮。なかなか美味くできた。
ようやく寒気も緩んで、窓を開け放って家の掃除に精を出す。室温は16.4℃、着込んでおれば寒くはない。

昨日まではとても寒かった。しかし、年が明けての自転車通勤は寒風を切って走るのが新鮮だった。年末の仕事納めの日からご無沙汰であったので、二週間振りなのだ。

年が明けての帰省と出張、例によって土日が休めずにいたから、ようやくこの日曜日で一息つけた感がある。来週後半は母の退院が控えている、やるべき仕事も少々ある、リフレッシュして取り掛かるのである。

11日は前月の実績速報日、そこそこの成績をメール配信。
12日は第3Qまでの解析と午後らは二つの事業分科会、粛々と進めて参ろう。

9日に長沼の研究所で打ち合わせを終える頃、大粒の雪が派手に舞い始めた。これはやはり荒れるのかと思いつつ、千歳の定宿まで移動して泊まる。翌日の朝は早めに起きて、恐る恐る部屋のカーテンを開ければ、何のことはない千歳市内は積雪がほとんど無い。
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しかし、大事を取って一般道は避けて自動車道路で江別の研究所にアプローチする。
やはりと言うべきか、札幌を過ぎるあたりから積雪が目立ってきて、江別市内は圧雪状態。車の速度も落とさざるを得ない。

午前中の打ち合わせを終えて、さあ後は帰るだけ。
母の病院で医師と看護師らとのカンファレンスに顔を出し、母の退院日を決めた。その後のケアプランを作り直してもらい、ケアマネさんには大変に申し訳がない。

終わって千歳空港、羽田に舞い戻り帰宅してビールにありついたのは11時前だった。

夕刻に長沼の研究所で新製品の打ち合わせ。
気温が高く、路面の雪は雨で緩んでザラザラ状態。幹線道路などはアスファルトが露出している。車は汚れるものの走りやすい。

雪を心配したが、それほどのことはない。明日も気温は下がらぬようで、なんとか江別の研究所まで行けそうだ。積雪と凍結を恐れながら、千歳の定宿に泊まっている。

明日は朝から打ち合わせをいろいろ、午後には母の病院に取って返してカンファレンス。退院の日取りに目処を付けたら千葉に戻る予定である。

5日は休んだ同僚たちも、今日から始動。さあ今年の仕事も始まった。相変わらずの事故者続出、人手不足の中だが、スケジュール通りにこなして参りたい。ものである。

5日 新年の朝礼があったものの、私の部署は全員お休み、結構な事である。こちとら有給休暇を使い果たしているので、たいして忙しくもないのだが出勤して電話番をする。定時を終えて、羽田空港から新千歳空港。千歳市内の宿に入ったのは22時過ぎだった。
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6日 宿でノンビリしていたら、早朝に千歳に入ったカミサンと息子がすでに私を追い越して札幌駅に到着とか。私としては体力温存策だったが、急がねば。とりあえず実家に向かう。
雪の山から甥の車を掘り起こし、カミサンを迎えに行き、一時帰宅する母を迎えに行く。
夕方には下の息子も合流して、夜は母を迎えて遅まきながらの新年会。

7日 母の一時帰宅二日目、昼飯を食べたらカミサンと下の息子は先に戻る。

8日 今日は母を病院に戻す日だ。残る三人で昼を食べて、上の息子は叔母様方に挨拶してから帰る由。夕刻には母を病院に送って行き、これで今回の私の仕事はお仕舞だ。

大晦日には下の息子が来てくれて、家族三人で宴会。
寒締めほうれん草のキッシュ、牛とラムのステーキ、温野菜サラダなど作り、NHKの紅白は途中まで見た記憶があるが、息子が何やらチャンネルを替えてしまい、まあどうでも良し、私は寝ます。

1日には、朝に雑煮を食べて、昼前には上の息子が来て、昼には昨日食べなかった蕎麦。夜は残ったキッシュに、納豆キムチの油揚げ包み焼、葱と豚肉のストウブ鍋など作り宴会。

2日は、上の息子が昼前に帰るというので、豚ブロック肉をストウブ鍋で塩レモン煮にして持たせ、午後には下の息子にも持たせて、夜は老夫婦で残り物をいろいろ。

3日は生野菜が少なくなったので買い物、一個398円のレタスに魂消る。買ったけど。夜は麻婆豆腐その他をいろいろ。

そして今日の4日は、朝から近所のイオンの抽選に行きすべて外れのティッシュペーパー。明日から出張不在となるので作り置き料理もいろいろ。
何だか料理ばかりしていた正月、楽しかったけど。

佐々木譲の武揚伝決定版の三巻を読了。読み応えがあった。
戊辰戦争・函館戦争が終わって、武揚が投降したところで残りは数ページ。投獄され、赦免され、明治政府に登用されてからの幾多の働きは、この本の中では夢の中だった。

五稜郭で敗れたのが33歳、73歳まで生きた武揚の人生からみれば、幕臣としての意地を見せエゾ共和国を夢見て戦った日々が半分だが、作者はこれを武揚伝と言う。確かに武揚の黄金期はここまでなのかもしれない。

しかし、投獄されてからの残りの半生も波乱万丈、彼はただ近代日本の繁栄に自らを捧げたのだ。

我が国初の公害訴訟たる足尾銅山の鉱毒事件の際の担当大臣として、最終的には調査委員会を設置して操業停止命令を出しているが引責辞任。これを受けて企業側は公害防止対策を実施して操業再開に漕ぎ付けるも、結果的には当時の技術では十分な対策ではなく事態は収束しなかった。

武揚が亡くなる数年前のことだ、もはや彼の胆力も衰えていたのだろうか。そんなことを考えながら、この幕末から明治にかけての偉人を振り返った正月だった。

今年が皆様にとって良い年となりますように。
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大晦日は、南半球の牛肉の塊を食す。
タスマニア産のブラックアンガス。400gの極厚ステーキ。素敵!
今年一年の出来事を書き留めておく。

母の通院、三度の入院と二度の退院で、仕事を絡めた札幌行きは今年一年で実に28回を数えることとなった。56回も飛行機に乗ったのは新記録だな、多分。
LCCがなければ破産している、Jetstarに感謝。それでも一回3万円以上はかかっているだろう、×28回、うーむ。
仕事に託けた時には、社費で行かせてもらっているのだが、、
そして、二つ歯のインプラント手術。これも大いに金がかかった。

今野敏をたくさん読んだ。任侠シリーズでこの作者を知り、警察小説の名手とてこれらを読み漁り、ちょうど孤拳伝も文庫で再販、STシリーズは読破、安積班シリーズはネットで全巻取り寄せた。

香月日輪の妖アパと三人悪のシリーズ、異世界居酒屋のぶシリーズ、そしてそろそろ読了する武揚伝、今年は移動時間が多かっただけに本が読めた。

二週間に一度の札幌通い、土日が休めず事務所に出れば体が辛い。年をとったなと思う。休日に自転車で市内を走り回る時間が取れないのも、体にはよくないようだ。

貯まっていた有給休暇は既に使い果たし、欠勤扱いも三日。これ以上休めない中で、さて母の退院後はどうなることやらだ。

1月 年末のカミサンの入退院で、久しぶりに札幌には戻らず千葉で正月を過ごす。中旬には出張がてらに母の顔を見に行く。月末には最初のインプラント手術、奥歯に土台を立てた。

2月 母が、通っていたお琴の会で尻餅をついたのが1月、で足に痛みが出てきて、整形外科やら脳神経外科を受診するために帰省。翌週には、痛みに耐えられないとて札幌市内の病院に入院させるべく再び札幌へ。

3月 同僚が二名転出した。ローランドの電子ピアノを買った。通っていたスタンドバーL&Jが閉店、聞けばマスターは年前に他界されていた。月末には前歯にもインプラントの土台を立てた。土日に二度、札幌に母を見舞った。

4月 母が退院した。同僚が体調を崩し長期の休暇に入ったので、職場は大変なことになった。とりあえず停滞していた販促物の作成など支援する。奥歯のインプラントに仮歯を立てた。うーむ顎の骨で噛んでいる感ある。

5月 母の通院やら、実家の畑仕事やらで、この月は三度にわたり計12日間も札幌にいた。仕事もあったのだが。
奥歯のインプラントを完了。長年使った洗濯機と冷蔵庫を新調、長男から夫婦箸を貰って喜んだ。

6月 実家から戻って、翌日の朝に母からヘルプあり。立てなくなったらしい、会社を休んで飛んでいく。結局 夜まで思わしくなく、救急車を呼ぶ羽目になった。脳神経外科に緊急入院。一週間ほど休みを取って対処した。月末にも見舞いと転院に向けての打ち合わせなどする。カミサンの誕生日あり、大台に乗ったね。

7月 母を老人病院のリハビリ病棟に転院させた。翌々週に医師やケアマネさんとのカンファレンスがあり、その後の見舞いを合わせて三度札幌に通う。結局は骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折だった。札幌市内のマンションを貸していた方が退去、新たに募集せねばとハウスクリーニング手配などした。

8月 不動産屋とマンションの管理契約、母の一時帰宅にカミサンにも助けてもらい、墓参りもこなす。今年もホッカイドウ競馬の冠レースあり、楽しんで戻る。前歯のインプラントにも歯を立てた。ポルテ号にカミサンが片手でも運転できる補助具を装着。我が愛車はルイガノ号からジャイアント・エスケープ号となった。

9月 大規模の太陽フレアが報じられた、が何事もなし。母が老人病院から退院、やれやれ。しかし、戻れば我が社は大変なことになっていた。野党のスキを突いたらしき訳分らん解散に至る。

10月 中旬に母から立てなくなったの報。整形外科に連れていき、再び先月までいた老人病院に再入院となった。腰椎の3番と5番に続いて、今度は2番とか。母は体を動かすたびにイテテテを繰り返す。またもや二週間に一度の札幌通いが復活した。
総選挙では野党に動きあり。すわ大連合か!で与党をビビらせたのも束の間で、排除しますの一言で与党の圧勝。呆れた。

11月 二週間に一度の見舞い(と洗濯物の受け取り)で札幌。仕事では、時節柄で飼料イネ関連の研究会やらで忙しかった。既に二度の忘年会あり。

12月 年末で取引先への挨拶が忙しい。63歳の誕生日を迎えて、親父様よりは長生きしたぞ。入社同期の忘年会とカミサンとの忘年会。クリスマス前に母の見舞いは済ませて、年が明ければ中旬にカンファレンスと退院の準備が待っている。今年も正月は千葉で迎えることとなった。
今日は仕事納め。
昼まで実績データをまとめるなどして、昼飯は外に出る。
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このところ厳しい冷え込みだ。昼休みの散歩の途中、船着き場でカモメが接近してきた。しばし語らう。?

午後は周辺の片づけ、机の拭き掃除などして、16時から会社の親睦会の総会。終われば、この一年ご苦労様の乾杯だ。
ビールを二杯ほど飲んだら、早めに帰宅した。
さあ、今年の仕事も終わったゾ。

入社以来初めての、有給休暇を使い果たして、母のサポートに追われた一年だった。
朝から八丁堀の取引先に向かい、年末のご挨拶。
終わって東京駅まで首都高をくぐってテクテク歩くと、京橋辺りで蕎麦屋に遭遇。ちと早いが鰹節屋の直営と言うのが面白くて、入ってみた。
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取り立てて旨い蕎麦ではなかったが、おかかご飯はユニークだ。ソソラレタが糖質制限の身にダブル炭水化物は厳禁である。

事務所に戻り、午後からは出版社の方と来年の広告宣伝の打ち合わせ。新製品を二つ控えているのだ。