10日 朝から小雨、しかし午後には止むはずだったのでルイガノ号で出勤、少し濡れて事務所に到着。午前中のチーム打ち合わせで、スケジュールと懸案事項の確認。周囲は忙しく、私は残務整理をしながら留守番、電話番。

何と夕方になっても霧雨が続いて、眼鏡を真っ白にして帰宅。
イワシのパン粉焼き、茄子と豚肉の炒めリベンジ、赤い大根の即席着け、小松菜の炊きもの。風呂に入ってからもいつまでも飲んでいたら、流石に飲みすぎた。

11日 今日は朝から好天だ。昼間の気温は昨日からはグンと上がって26℃、街行く人たちの服装が軽めに変わったことを実感した。

昨年度のデータを解析するうちに、好調に見えたサプリメントの売り上げの異変に気付いた。遅まきながらだ。
これは何らかの手を打つ必要があるだろう。これまで、こうして各部分をメンテナンスしながら実績を底上げしてきたのだ。何とか頑張ってみるか。

明日は札幌、今日のうちにカミサンとカツオを再び食さんとスーパーに向かえば、シメタっ! 100円引き298円(税別)だ。あとはモツァレラチーズを買ってカプレーゼなど作ろうか。
8日 暖かな日で、上着を着ずにワイシャツで自転車通勤。
奥歯のインプラントにようやく歯が建つので、午後から半日休として、まずは床屋で頭を夏向きにしてもらい、船着き場のベンチで昼食。自動車税を支払わんと向かう途中で財布を拾い、目の前にある中央警察署に届けた。
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探し当てたる自動車税事務所、いつも周囲を通り過ぎていたが、なるほどこんなところにあったのだ。

夕方には奥歯を装着、おお!何だか嚙み合わせが良くなり、気持ちが良いではないの。夕食は新玉ねぎの甘酢煮、初ガツオを思い切り沢山の薬味でいただく。

9日 昨日よりは気温が低い、しかし乾燥しておりニュースでは山火事が多発している。
先月の販売実績をまとめて、気付いたところは事情聴取して、関係者にメールで配信。午後からは、来客対応。雑務をこなしつつ一人になってしまったので電話番。

ああ、ようやく日常が返ってきた。
今晩のメニューは、茄子と豚肉の辛味噌炒め、ギンザケの塩麴も焼いてやろう。
5日 札幌名物「ブラ分別ごみ」を出して、来週の回収に備えて段ボールをまとめて玄関に置いておく。
足腰の不自由な年寄り世帯には、このゴミ出しが大変なのである。町内会でサポート体制もあるらしいのだが、、、
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実家を出て9時前のバスに乗り、真駒内から空港バスに乗り換える。新千歳空港は多くの人の波、特に子供らの声がうるさい。この頃の親は、自分の子供が周囲に迷惑をかけても叱ることを知らぬ。ますます日本人が中国人と見分けがつかなくなってきた。

5時前に帰宅すれば、カミサンは仕事に出かけていた。冷蔵庫にあるもので晩飯を作る。

6日 土曜日、暖かで実によい天気である。カミサンと江戸散策を計画していた。
先日のTVで見かけた「つまみ揚げ:海老を並べて揚げた天ぷら」の載った蕎麦を食さんと、両国駅から歩く。が、連休中でやはりお休み。まあ、覚悟はしていました。
途中で見かけた寿司屋まで戻って昼飯として、隅田川にかかる蔵前橋を歩いて渡る。池波正太郎ゆかりの洋食屋やら、手芸の店を冷やかしつつ柳橋に出た。久しぶり。
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神田川を渡れば、昔の勤務場所がほど近い。馬喰町まで衣料の問屋街を抜ける。昔、北海道拓殖銀行が入っていた第二北海ビルは、今は取り壊されてマンションが建っている。
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東日本橋のミニストップで甘王ソフトで一休み。久松警察署から人形町は甘酒横丁を抜け、水天宮から茅場町、八丁堀と歩いて、京葉線で帰宅する小旅行だった。

夕食は安売りしていたイタリアのトマト缶を使って、豚肉とえんどう豆とキノコのストウブ鍋、ポテトサラダ、そら豆。

7日 日曜日。連休最後の日だ。
我が家でもいよいよベランダ菜園の準備を進めるべく、午後からコンテナに入れる培養土と苗を買って来よう。この作業が終われば、私の連休もおしまいである。
まったくピアノの練習ができていない。
3日 札幌は暖かで、我が家のチシマザクラも、花を開き始めた。
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葉物野菜の種まきをして、畑の作付け計画を地面に落としたところで作業が終了。長ネギ用の床も用意したが、馬草先輩のブログによればもう苗を定植したとある。まだ早いのかと考えていたが、植えて良いのであれば明日にでもやっておこうかしらん。

午後からは甥っ子夫婦が子供ら二人を連れて遊びに来た。彼はこの春に帯広から札幌市内に転勤となったのだった。ゆっくりしていけるとのことで、では伯父さんの手料理を食べて行けと、料理に精を出した。
海老とマッシュルームのアヒージョ、ポテトサラダは先日TVで見た桜エビの粉を混ぜて、新玉ねぎと厚揚げの炊きもの、塩サバを焼いて、タケノコご飯。奥様が運転するというので、甥と酒が飲めた。
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4日 母のリクエストがあり、物置から洗濯物干しまでの安全柵を設置した。灯油タンクの脚も有効利用して、鉄管はかなり深く打ち込んだので、なかなかガッシリとしたものができた。

午後からは、買い物に行って、長ネギの苗が売っていたら手に入れて定植、甥から借りている車のタイヤ交換までできれば今回の予定は終了、明日の帰宅を待つばかりである。
30日の午前中に実家に着いて、そのまま園芸センターまで野菜種子と花を買いに行く。途中で下の息子と何度か通った懐かしの「季のした」サン(南郷通と水源地通の交差するところ)で蕎麦をいただく。相変わらず美味しいネ、大将。
近所の名店 「むそう庵」サンも「玄庵」サンもなくなってしまったらしい。諸行無常であるなぁ。夜は生鮭を塩して焼いて、小松菜と生揚げの炊いたのなど。

1日 母を乗せて整形外科まで。腰痛の原因は人工関節の悪化ではないことが確認てきて、また良かったことにしておこう。仙腸関節なんて初めて聞いたナ。夜は、カレイの一夜干しを焼き過ぎて、シラスと葱の卵焼き、法蓮草のお浸しなど。
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2日 昨日の午前中と今日一日で、ゴーヤのグリーンカーテンの準備を済ませ、物置を片付ける。スナック豌豆と絹さや豌豆を蒔いた、
苗の定植はまだ早かろう、ホームセンターではもう苗売り場ができているのだが、まだまだ低温が来る。も少し我慢しておこう。
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まだ明るいうちから、シャワーを浴びて北海道のビールで有難くなっているのである。
夜は、茄子と鶏肉の味噌炒め、ポテトサラダなど。
27日 我が部署の月次ミーティングで昼、午後イチで少々モメた相手先がお詫びで来社する。済んだことは仕方がないが、ミスが二度も続けば関係を保つことは難しい。ましてや、こちとらシニア社員には権限もない。

28日 茨城県に移動して久々に現場、新製品の状況確認である。
早めに戻ることができて、上の息子が来るというので料理を張り切った。
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29日 実家の母の具合が思わしくない。畑仕事も兼ねて帰省することとしていた。
昨日の酒の余韻もあり、考えもせず軽い気持ちで時間を見て我が家をポルテ号で出たのだが、世の中はゴールデンウイークに突入しているのだナ。甘かった。

何か車が多いナ、とは思ったのだ。湾岸千葉の高速道路の入り口で渋滞25分と表示があり、然れば一般道で千葉北ICまで考えたのが敗因だった。

一般道も混んでいて車が動かない。いつもなら小一時間で到着する成田空港だが、これはとても間に合わぬ。結局諦めて戻り、ポルテ号を団地に置いて、JRからりんかい線、モノレールで羽田空港。Jetstarの航空券を捨てて、JALの正規運賃を払って、15時の便に空席を見つけることができたのはそれでも僥倖であった。

予定外の費用がかかったが、なんとかスケジュールは取り戻せて千歳に泊まっている。料理と酒に忙しく、考えが及ばずで失敗してしまった。旅慣れたはずのオレもボケている。日々を丁寧に進めてまいろう。
反省。
波動エンジン内圧力上げろ!
非常弁全閉鎖、波動砲への回路開け!
波動砲薬室内圧力上がります。
全エネルギー波動砲へ。強制注入機作動。

波動砲用意!
波動砲安全装置解除、セーフティーロック0、圧力発射点へ上昇中、最終セーフティー解除。
ターゲット・スコープ、オープン。電影クロスゲージ、明度20。

タキオン粒子、出力上昇。薬室内圧力限界です!
発射10秒前。耐ショック、耐閃光防御! 波動砲発射!!!
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あ~~~、涼しいワ。
揺らぎだし、首降るし、、、
エアコンの季節に備えて買ったのだ、
どうも月曜日に飲み会をやると、なかなか曜日が進まぬ感あり。
今日は、朝イチで我がチームの打ち合わせ、その後は歯医者に抜けさせてもらい、午後からは同僚と待ち合わせて都内の取引先へ担当者交代の挨拶に行ってきた。

春めいたかと思いきや、今日はあまり暖かではない。風も強い。コートがあってもよい気温である。
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そんな中だが、団地の入口のツツジは満開。ああこの季節が今年もやってきたのだ。

鯛の切り身を買ってきたので塩麴で焼き物にして、納豆とオクラとイカとナメコとメカブで和え物、スナップ豌豆を茹でて、春キャベツも塩とごま油で食べてやろう。

25日 事務所に着いてから携帯電話を忘れたことに気が付いた。
古い人間なので、携帯電話ごとき無くてもOKなのだが、電話機のストラップに留めている自転車のカギが無い。昨日の飲み会で事務所に置いて帰ったルイガノ号で乗って帰れないではないか。

電車で戻り、冬キャベツでホイコーロー、そら豆の茹でたの、油揚げを焼いて大根おろし添えなど食す。
給料日の前日の、まだ月曜日だというのに、宴会である。

我が同期の熊本勤務の女性社員が、初めての転勤で関東に赴任した。これは関東圏に勤める同期のおじさん方で歓迎会をやろうということになった。そーしたら一期下の札幌勤務の女性社員も、初めての転勤で関東なので混ぜろと言う声がかかって、拡大同期会が開催されたわけである。

同期だが、数年ドンベっているのでヒマなシニアの身分の私が幹事役を買って出て、総勢9人の昭和56・57年入社の連合同期会とあいなった。わいわい、イロイロと話して楽しい飲み会だったナ。

フランスでは、若き貴公子と下品なオバサンが決選投票とか。これは勝敗は見えただろう。円安が進んだが、これから緊迫の北朝鮮情勢がどうなるのか。今夜のような、こんな平和な飲み会も過去のものだったと言うことになりはしないか。国の指導者は、争いを避けることに知恵を回してほしいものである。
22日は土曜日、クリニックに薬をもらいに行けば、撤退してイオンに身売りすることになった近所のイズミヤさんに入っていたお茶屋さん+千葉物産のお店と、稲浜ショップで再会した。今度は千葉のお土産はここまで買いに来なくちゃね。

昼は筍ご飯に買いこんできた千葉産のイワシ佃煮など。カミサンと歩いて買い物に行き、夜は先日の残ったストウブ鍋の汁で法蓮草の炒め、春キャベツの和え物、麻婆豆腐など食す。
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23日は日曜日、朝は素晴らしい晴天、見下ろす団地の広場には鯉のぼり。
掃除して、冬物のジャケットなどをドライクリーニングに出す。ひとしきりハノンの練習、運指が確かになり、かなり小指が強くなってきた、練習あるのみだ。

パセリとセロリスープ、サヤエンドウのバタ炒め、ミートパイなど作りて食す。
北朝鮮をめぐる情勢が緊迫している。
やや旧式の原子力空母カールヴィンソンが向かったと報じられたが、実はインド洋にいたりで、よく判らんのだが、なーに近所には横須賀基地を母港とする同形艦ロナルド・レーガンがいる。
米国は、キューバ危機の折に派遣した初の原子力空母エンタープライズの後に、このニミッツ級空母を10隻建造しているのだ。

しかも、このシリーズの発展形で、ステルス性を付加し新型原子炉を積むなど最新技術を投入したジェラルド・フォード級空母が今年就役予定であり、この三番艦には空母としては3代目、米海軍の船としては9代目の命名となるUSSエンタープライズが予定されている。
USSエンタープライズと言えば、SFシリーズ「スタートレック」でキャプテン・カークが、のちにはキャプテン・ピカードが率いる宇宙船の名前と同じであるとかはこの際どーでもイイ。

北朝鮮が暴発すれば我が国への影響は必須である。ミサイルが飛んでくる、難民は押し寄せる、紛れてテロリストも侵入するだろう。
というのに、我が国の政府は米国の陰に隠れて、まったくその意思を表明しない。いや米国追随の意思表示だけをしておいて、困ったふりをしてみせる。センセイ方は不祥事に忙しい。

白人共の選民思想による植民地支配に唯一対抗しえた有色人種であり、近隣諸国に迷惑をかけなかったとは言わぬが結果としてアジア諸国の独立を導き、唯一米国には物量で敗れ、本土は空襲を受け、挙句に原爆2発を落とされて降伏し、そして彼の国は今や我が同盟国である。

こんな歴史を持つ我が国が、同様に孤立させられ暴発に追い詰められようとする北朝鮮に、何も行動を起こさずに同盟国の陰に隠れて安易に非難するのみとは、まったく情けない。我が国の意思が全く感じられない。小泉首相のように会いに行けとは言わぬが、力しか信じない白人共は放っておいて東洋の知恵を発揮できぬものかと、実にもどかしいのである。

20日 少し気温が下がって、快適なる自転車通勤。事務所では我が島に人がおらず、ひたすら電話番をしていた。大根おろしのシラス乗せ、タコのアヒージョ、鯛が安かったので塩焼きにする。

21日 曇りで、上着を羽織って自転車がちょうどよい。昼前から国際展示場にInnoPack展を見に行くが、期待外れだった。残り野菜と豚肉の煮物、残った筍で炊き込みご飯、豆腐に漬物など。
18日 昨夜からの嵐は通勤時間まで続いた。
大風で朝から電車も止まり、8時過ぎにようやく運転再開、辛くも会社には間に合った。
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この風が暖気を運んできて、風はまだ強めだが気温が上がって何とも暖かだ。昼休みのポタリングでは上着を着ていられなかった。昼休みのコンビニに立っていたワンコ停め。

夜はカミサンが飲み会だ。私だけの夕飯はラーメンにして、帰宅してシャワー。暖かさが弱まり、しかし風が強いままだ。

19日 朝から八丁堀、東京駅で待ち合わせたのだが、外に出たとたんに上着を後悔した。その後は上着は丸めてリュックに入れたまま、打ち合わせを終えて、一度自宅に戻り上着を置いてワイシャツで自転車通勤。
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帰路はものすごい向かい風、何くそ負けるかとペダルを漕ぐ。今日はストウブ鍋で鶏肉と蓮根と玉ねぎとキノコ、もちろん塩レモン味。小松菜の炒め、セロリの浅漬けなど食す。

母に電話をするが、すこぶる快調の様子で安心する。来週は、途切れた女学校時代の集まりに出るのだと言う。
朝は快適に自転車通勤、我が通勤路の生け垣にも気の早いツツジが開花していて、目を楽しませてくれる。
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販売店にサンプルを送って昼、チラシを直したり明後日のアポ取りしたりして定時を過ぎれば雨が降っていた。

止む無くルイガノ号を置いて電車で帰宅すれば、おお!最寄りの駅は屋根を叩きつける激しい雨だ。周囲が真っ白になり、駅舎から踏み出さずに待つ人多数。私も駅下のスーパーで買い物してから帰宅した。

ストウブ鍋で豚肉と玉ねぎとエリンギと蓮根のレモン塩バター、シシトウの炒め、スナップ豌豆の茹でたのを食す。
明日は自転車で帰ってこれるらしい。
14日の金曜日、暖かい。
午後から来客あり、広告宣伝の打ち合わせをする。夕方には事務所を抜けて歯医者、ようやく奥歯のインプラントに歯を建てることになった。
ヘッドランプを点けずに帰宅、生キクラゲを買ってきて小松菜や鶏肉と炒め、桜海老を買ってきて大根おろしにトッピング、絹サヤの茹でたのなど。

15日の土曜日、体が不自由になってしまった同僚S女史は、昔はよく我が家にも遊びに来てくれたものだ。美味しい刺身が食べたい、カミサンとも話がしたいとて、ポルテ号で迎えに行って近所の寿司屋でランチ。カミサンと右手が不自由な者同志のアルアル話。
強風の吹く中を買い物して戻り、冷蔵庫内の食材整理メニューは、そら豆の茹でたの、カプレーゼ、牡蠣とキノコでアヒージョ、そして桜エビは葱と共に卵焼き。 

16日は日曜日、寝坊して朝飯を食べて、新聞紙を畳んで昼。家の掃除をして、酒を買いに行き、紙ごみをまとめ、買ったばかりなのに壊れてしまったDENONのCDプレーヤーを梱包して郵便局から送ったらこの時間である。

今夜は、昨日のうちに茹でておいた筍で若竹煮、同じく仕込んでおいた鰆の塩麴を焼き、ビールのあてにはキャベツのアンチョビ炒めでも作ろうか。
北朝鮮の弾道ミサイル発射は失敗したらしいが、韓国が「次は懲罰のための措置を取る」と警告した由。これって、韓国が米国に言わされた最後通牒ってやつじゃあないのかしら。物騒なことになってきたナ。
10日 月曜日、ご無沙汰だったフィリピンで新原料を手掛ける社長氏が訪ねてくる。かなり事業の形が明確になってきて、こちらとしてもご協力した甲斐があったというものだ。

11日 火曜日、懸案の広告宣伝の最終案がまとまりつつある。調子を崩した同僚から引き継いだ案件で、彼の意気込みは反映させたいと思う。も一つの増刊号の広告も、イイ感じでまとめることができそうだ。

12日 チームで打ち合わせ、午後からは来客対応が二件。数年前に食品副産物の飼料化でアドバイスした方が、今度はインドネシアの新原料の相談。ベトナムだ、フィリピンだ、メキシコだと、こんなに体を張って仕事をしているバイタリティーには敬服する。お役に立てれば幸いである。

夜は、営業所の販売係長に昇進したS氏を呼んで、お祝い会。奥様と、周辺の同僚が来てくれて、私とカミサンを含めて6名の宴会。ワインを6本空けて、日本酒もビールも飲んだから、これはS氏がツブレてしまったのも仕方がないか。
夢多きS氏、そして支える奥様も素晴らしい。

13日 我々もいささか飲み過ぎで、朝はヨーグルトとミルクティ。
粛々と仕事して、定時に戻る。日が長くなってきて、自転車で漕ぎ戻るにヘッドランプの点灯は不要である。昨日よりは気温が低いものの、自転車通勤には快適な季節になってきたナ。

葱と海老と豆腐の汁物、帆立のツブの刺身、鶏肉のチーズ焼きに法蓮草のソティなど作りて食す。
今日は朝から、隣町のパナソニックの桜広場にいく。
小雨が止まないが、幸いにして桜広場に居るうちは雨も弱まって、傘なしで散策ができたことは有難かった。
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ちょうど見頃の、見事な桜である。

次いで、市内の名所と言われる緑町中学校の桜並木を見て、老舗の名店「千秋正家」で道明寺の桜餅を買って帰って昼飯とする。

午後からは掃除して、ようやく雨の上がった夕方には来週知り合いを招く予定の寿司屋の下見に出かけた。お値段相応だが美味しい料理であった。さあ来週は、これらの飲み会の企画で忙しくなる。
午後には止むと思われた小雨が、なかなか止まない。向かうバスの中で、すでに数人のメンバーと顔を合わせて四方山話。
11時半からの会社OB会の花見は、急きょ研究所の研修棟の中での開催となった。
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窓を開けて隣接する外のテントで焼肉等を室内に運び入れるが、煙も一緒に入ってきて参加者は全員が燻された格好だ。

現役A社長に、歴代社長のK氏、T氏、K氏。私の仲人でもあるS氏には久々にお会いできた。その他総勢50名弱の大宴会となり、すべての酒を飲み切って夕刻にお開きとなった。我が社らしい大盛況の飲み会であった。

先日ひょんなことから再会した方にOB会への参加をお勧めしたので、私もシニア3年目にして初参加した次第である。諸先輩各位、人間あまり変わらぬものである。
大いに酔っ払い帰宅、捨てるのがもったいないとリュックに入れてきたジンギスカンで、カミサンと夕食にした。

帰宅してすぐにシャワーを浴び、着ていた衣服はすべて洗濯に回したのであった。
昨日のうちに対処できなかったメールに対応する。
せっせと年度末のデータを作り込む。我ながら納得の出来であり、正確さであり、そして早さである。自画自賛だな。
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会社の駐車場の桜も、今が盛りである。
昼は雨がパラつく中を千円床屋ですっきりして、午後からは残務整理を進めた。夕方には早めに抜け出して先日のインプラントあとの抜糸。

届いていたソラマメを茹でて、エリンギと豚肉のニンニク炒めなど食す。天気予報によれば明日もまだ雨が残るらしいが、OB会の花見は大丈夫かしらン。
5日 快晴の札幌、退院した母の調子もすこぶる良い。しかし、病院ではリハビリはしたものの家事等で体を動かす事はなかったわけで、いざ自宅に戻れば何かと仕事はある。過信せぬようにと、畏れながら申し上げて、帰路に就いた。
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昼飯は千歳空港で、頑張った自分への慰労の五色丼。雲丹、イクラ、蟹、帆立、牡丹海老が乗った豪華版は2400円也。

羽田からの東関道はしばらく渋滞が続いたが、6時前には帰宅。土産に買った酒のつまみで夕食。早めの就寝が吉である。

6日 さあ、事務所を二日空けるとメールがてんこ盛りだ。
しかも今日は前月の実績が、つまりは前年度の販売実績が確定する日である。ある程度の準備はしてあったが、速報を作り、コメントを付す。こんな日に限って、途中に別の仕事が飛び込んでくる。久しぶりに真剣に時間と闘いながら仕事をした。とうとうすべてのメールには対処できず、明日の心だ。

帰宅して、冷蔵庫の残り物で小松菜の炒め物、茹でインゲン、大根おろしのシラス乗せ、その他を作りて食す。
3日 午後から部内の新体制でのミーティング。元部下は体調不良で復帰がならず、私が少々カバーすることになった。彼の今後が心配である。

夕方は早めに会社を引けてポルテ号で成田空港。午後7時過ぎにエアバスに乗り込んだところで、落雷避難警報で作業員は一時待機、次いで機体をバラバラと大粒の雨が叩きつけてきた。

雨は十数分で収まって、機内アナウンスで離陸の順番待ちが説明されたのだが30分ほどして今度はキャンセルが通知され、機内には落胆の声と悲鳴が広がった。

飛ばないことが判ってからの対応が酷かった。客を待たせたまま30分あまりも飛行機から降ろさないのだ。客としては、早く次の手段を用意したいところなのである。携帯電話は使えたので、泊まるはずだったビジネスホテルとレンタカーをキャンセルする。

カミサンに電話して、翌日の便をネットで押さえてもらい、近所のホテルを探すが空きはない。2千円払って駐車場からポルテ号を出して帰宅。遅い晩飯を作ってビールを飲みながら、カミサンの予約した便のメール連絡を確認すれば、なんと日付が間違っているではないか。もう明日の成田発は諦めざるを得ない。

既に夜の10時だ、今から移動しても羽田周辺のビジネスホテルには空きがない。ANAの朝一便に間に合うバスもない。早朝にポルテ号で向かわざるを得ないと腹をくくって就寝。寝ながら、ポルテ号の燃料が乏しかったことを思い出した。
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4日 朝の4時に自宅をスタート。やはり燃料が残り少ない、ここは一つ一つこなしてまいる。ルートを外れたところに大きなセルフのスタンドがあった事を思い出して、寄り道。満タンにして東関道に入る。逸る心を抑えてゆっくり走行、事故ってはどーしょーもない。一つ一つ丁寧にだ。

明け方の羽田空港は駐車場も余裕がある。ポルテ号を停めて、手荷物ゲートをくぐり、搭乗口には予定通り一時間前に到着、今度は順調に新千歳空港から札幌駅に9時過ぎに着くことができた。

ようやく我が時間に追いついた感あり。10時に母の待つ病院へ向かい、退院手続きを済ませ、タクシーで戻り、途中の耳鼻咽喉科で薬をもらい上出来。

買い物に行き、ケアマネさんが訪ねてきて今後の母のリハビリ計画打ち合わせ。Jetstarは払い戻しができたので、明日は羽田に戻ることにした。これから夕飯を作って、この怒涛の、パニクった帰省の終わりが見えてきたのである。
朝から家の掃除をして、昼には団地の駐車場の入れ替えがある。正午には車を新しい場所に移さねばならぬ。となれば昼は車で出かけるのが吉である。
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会社に車を置いてカミサンと歩く。みなと公園の桜はほぼ満開。各所の公園の桜を見ながら千葉城を目指す。蕎麦屋の若松サンの閉店を確かめて、県庁から歩いた千葉城の桜まつり。大層な人出だが、肝心の桜は3分咲きと言ったところか。
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一枝に紅・白と桃色の花をつける源平桃が美しい。

千葉駅から登戸に戻ってきて登戸神社に来てみれば、ラジオ体操の会の方々による落語会の真っ最中でビールを呼ばれたりする。夕方に至り、風が冷たくなってきたので、バスと電車で帰宅。

昼飯のインドカレーが腹に応えたので、今夜は小松菜と油揚げの煮浸し、大根おろしにシラス、スナップエンドウなどを食す。
30~31日と、プレスリリースした新製品の対応をしながら、今年度の事業概況をまとめる準備を進めていた。
売上高7億円は、私がこの事業の担当になってから目標としていたゴールなのだ。正直嬉しい。
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1日 今年こそはと、永福寺の枝垂れ桜を見に行った。今年は間に合って、ポツリ雨の曇天ながら、この見事な存在感に心打たれる。また来年もと思うのが桜を愛でる日本人である。

再来週にお迎えする方との食事の場所を探しつつ、市原の料亭を訪ねてカミサンと昼食。美味しいが、ここはやめて九十九里にしようかなどと語らいつつ戻り、佐倉に酒を買い行くはずが酒々井まで足を伸ばしてパークゴルフなどして帰る。

いろいろ回って、楽しい一日だった。湯豆腐に、イタリア豚肉とグリンピースの高菜炒めなど作りて食す。
午前中は液肥サンプル品の出荷作業。
昼前に抜け出して歯医者に行き、今度は差し歯が抜けた後の前歯にインプラントを埋め込む手術。奥歯に続いてこれで二つ目だ。

やはり今回も手術はあっけなく15分ほどで終わり、傷口を縫って、これで三か月ほどしたら歯を装着することになる。今日明日は酒が飲めぬ。
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昨日歩いた旧職場辺り、浅草橋を渡ったところにあった地図がとんでもなく古いままだ。北海道拓殖銀行などと書いてある。そう、我が社はこのビルの4階に入居していたのだ。少なくとも20年前の地図がそのままになっているとは、驚いた。
27日 営業所と販売店に試供品を送る。
朝はみぞれ降る寒い日、電車で帰宅して、グリンピースとマッシュルームの汁物、ホッケのフライなど食す。

28日 都に出て引継ぎを二件。
単なる担当者の交代ではない、懸案事項があるにもかかわらず、それをまとめて来ない。新しい担当者は新しい名刺が間に合っていない。会社受付では、コートを羽織ったままで面会申し込みをする。

思わず叱ってしまう、もう若い者の指導などすべき立場ではないのだが、これは目に余る。どうして自分が担当だとの自負と俯瞰を持てないのか、まったく近頃の若い者は、、、
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浅草から馬喰町まで歩いて、昔通勤していた界隈の今を見る。
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池波正太郎が随筆にしたためた洋食屋を発見する。

直帰して、明日のインプラント手術に備えて歯医者。葉玉ねぎを食すべく、牛肉を買って帰り、すき焼き風にして食す。
25日の昼過ぎの便で札幌へ。
夕方には豊平に入院している母を見舞って、実家に移動して宿泊。

今日の26日は、たまたま訪ねてくれた民生委員の方とも話ができて、先日の水道管破裂の顛末を情報交換、見つけてくれた近所の方がようやく判明して、帰りがてらにお礼して、再び母の病院へ。

母は既に足腰の痛みはなくなり、避難入院の甲斐があったというものだ。リハビリの効果もあって杖でスタスタと歩けるまでに回復したので、4月上旬の退院が見えてきた。
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9時前に戻った成田空港は小雨、結局 千葉県知事選挙は棄権してしまったのだった。候補者はもう一人いたらしい。
昨夜の送別会に歩いて向かう道すがら、ふと引かれて寄り道した。
馴染みだったスタンドバーに閉店予告の張り紙があったので、覗いてみたのだ。知らなかったのだが、闘病中だったマスターは年末に亡くなっておられた。
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白ワインを弔い酒にして、我が部署の送別会に出席してから再び戻ってきた。

3/25は12時から最後の開店をするとのこと。
私は札幌に移動しなければならない、付き合ってくれた同僚とともに暫し昔話をして失礼してきた。
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千葉に転勤になって、暫くしてから覚えたこの店。その時のバーマンは赤いチョッキの粋なご老人で、その後にひょいと覗いたときには今のマスターに交代していた。聞けば、この店のオーナーはマスターで、しかしご自分は信州の会社役員の仕事があり、バーテンダーを雇っていたのだ。会社勤めを終えて故郷に戻り、ようやく念願だったこの店にも戻れたのだそうだった。

オーナーが切り盛りするようになって、少々店の雰囲気は変わった。所謂オーセンティックな匂いが薄れて、マスターの豪快な性格を反映した元気のいいスタンドバーになった。私より数歳年上で、大きな会社の役員だったこともあり、マスターは論旨明快な存在感のある大人であった。

取引先の倒産で悩む私に、あんたのスタイルを貫けばいいとアドバイスをくれ、吹っ切れた記憶がある。いろいろと修羅場もくぐってきた方なのだと感じたものだ。

この店でいろいろな出会いがあった。郵便局員の傍らで地域のお寺と檀家を守る般若湯のお好きな坊様、素人離れしたカメラマンでもある県の研究機関トップの方、針穴写真がご趣味の海外経験も豊富なビジネスマン、近所のそごうデパートで夕刻に値下げになったお刺身を大量に購入してきては店のお客に振舞われる常連さん。
私も、北海道から沖縄から、出張帰りにこの店に直行してお土産を差し入れたことがあった。

もう、マスターの作るヘミングウェイの愛したカクテル Death in the Afternoon は飲めなくなってしまった。
この店を引き継ぎたいという方は多いのだが、千葉駅ビルとその周辺の再開発が進んでいて、建物の所有者がOKしないらしい。いずれこのバーのある長屋のビルも、取り壊しになるのだろう。
同僚で元部下の調子が悪く、一週間ほど静養させることになった。期限のある仕事を一部引き継いている。別な同僚は異動で月末を待たずに抜けるから、彼の仕事も一部受け持つことになった。何やらこまごまとした仕事が増えてきた。まあ正直、彼らよりは上手に早く仕事ができる自負はあるのだ。

23日は本部の送別会だった。家に牡蠣が届く日だったので、早めに抜けて帰り、カミサンと蒸し牡蠣にして食す。

24日は引継ぎ打ち合わせの後で、今度は我が部署の送別会だった。
私より一年若いシニアは実家のある盛岡へ、若い同僚は北海道の研究所へ、しかも転勤をきっかけに彼女を口説いて結婚というからおめでとう。

二人抜けて、4月から一名補充があるものの、旧務も引きずってくるそうなので、調子を崩した同僚もいる中では、こりぁ大変なことになりそうだ。
三連休を我が音楽環境の整備に費やして、春分の日の月曜日はカミサンが市内で研修会とか。私はほぼ一日、ハノンの1番を弾き、イマジンを練習していた。

Youtubeでイマジンのレクチャー動画を見つけて、とりあえず簡単なものにトライ。タドタドしくながら弾けるようになって、あとは別な動画を参考に和音を工夫して音を厚くしていけば良いようだ。
イマジンは比較的簡単なので何とかなったけれど、まだまだ一日二日では我が左手4・5指はクニャクニャである。練習あるのみ、指に筋肉をつけ神経を活性化させればならぬ。

夜は、上の息子の誕生日で、船橋のイタメシ屋に家族で集合。美味しく楽しい時間だった。
けれど、ゲームの話しか無いのか息子等よ。確かにニンテンドーのスイッチは、よくできたハードではあるらしいけれど、、、
定年後の三度目の契約更新を迎えようとしている。
こんな筈ではなかったのだが、何か満たされぬままに隙間を酒で埋めて日々を送っている。何なのだ、この焦燥感は。

顧みるに、定年半年前の秋にカミサンの病気が明らかになり、引っ越しと共に私が炊事当番となった。会社ではようやく陣容が整って、この際だと大変な思いをして新規プロジェクトを立ち上げて、承認を得たらこれ幸いと部下にそのまま引き継いで、もう仕事に目を向ける余裕がなくなってしまった。本気で進めてきたもう一つの製品開発は犠牲にせざるを得なかった。

シニアになって一年目は、そこそこ暇ではない程に仕事はあり、家では炊事当番で時間も取られてあっという間に過ぎた。楽しみもあるのだけれど。
二年目はようやく来た新しい上司の下でややヒマになり、しかし今度は年老いた母のサポートで溜まった有給休暇を使い果たすほどに札幌通いだった。随分とJetstarには貢献したものだ。

で、今に至るのだが、これは現職時代に思い描いていた定年後の私の姿とは違っている。もう少し優雅であったはずなのだ。カミサンの事と母の事は仕方がないが、家事の合間の少ない空き時間が酒とYoutubeでは問題がありすぎる。

思い起こせば、私の趣味は音楽鑑賞とオーディオであり、定年後の夢は「もう一度ピアノを弾くこと」だった。
高校入試前まではピアノを弾いていた。中学までは学校の式典ではいつも校歌を弾いて(弾かされて)いたのだ。ソナチネからソナタアルバムに届いたころに、高校受験という格好の言い訳ができてピアノをやめてしまったが、その後もピアノを続けた妹が音楽大学に進みピアノ教師になったので、俺が定年になったら教えろよと頼んでいた。早くに死んでしまったので叶わずにいたわけなのだ。
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今、私の音楽環境は、卓上のPCにつないだスピーカーである。便利だが音は知れている。今回、これではいかんと居間にCDラックを移設して、ちゃんとしたCDプレーヤー(DENON製、made in ベトナムだった)を買ってきた。流石に素晴らしい音がするのである。
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そして、ローランドの電子ピアノも買った。とりあえず運指の練習にハノン教本から始めたわけである。特に左手の小指と薬指が力がなく動かない。練習あるのみだナ。

イマジンを、明日にかける橋を、キャンドル インザ ウインドを弾けるようになりたい。目標はショパンのポロネーズだ。ここまで行ければ本望。ラ・カンパネラやラフマニの二番まで弾ければとは思うが、これは夢としておこう。
前橋地裁での原発避難者訴訟で、事故は人災だったと評価された。
電源喪失がメルトダウンとその後の水素爆発の原因であり、電源供給に配慮があれば防げたとの司法側の判断は科学的に正しい。
裁判官は、素人だろうによく勉強するものだ。

その後の国の責任云々は、私はその方面の知識がないので保留。しかし、事故は人災だった事が明確に示された事は評価したい。分かっている人は分かっていたはずなのに、タカをくくっていたのであるから、その罪は追及されねばなるまい。企業内技術者の責任というものである。
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今日は朝から東大弥生講堂、飼料用米のシンポジウムを聞いてきた。主として輸入トウモロコシ代替の穀物原料としての「飼料用米」であり、これはどちらかと言えば鶏豚向けの利用技術。私は牛屋なので、取り組んでいる実も茎葉もすべて利用するホールクロップサイレージ:WCSとは方向性が異なる。モミ米を砕いて加水してサイレージにするソフトグレインサイレージ:SGSの技術もあるのだけれど、あまり言及がなかった。
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