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4日 朝飯を済ませたら成田に移動、昼過ぎには着くはずが成田では滑走路で離陸を待つヒコーキ多数、小一時間はノロノロしていたのじゃあないかしら。当然 千歳到着は遅れてしまう。
今回はいろいろ動く必要があり、レンタカーを借りた。

母を見舞って、洗濯物を受け取り、実家で洗濯して、夕飯を作って食べているところにカミサンも合流だ。

5日 母の転院の日。朝イチで出かけて荷物を片付け、退院手続きをして、車椅子で運んでくれる福祉タクシーを待つ。予定通り10時半までに愛全病院のリハビリ病棟に到着、改装したばかりの病院で病室も小奇麗、廊下などはデーンと立派な椅子が置かれるなど、まるでホテルの如き也。

医師の問診だ、介護士の聴取だ、さあ一回目のリハビリだと、母もなかなか忙しい。お疲れ様である。母が気に入った地獄堂霊界通信の文庫本の続きと、TV用ヘッドフォンの延長コードを買い、こちとらも食事をして、再び母を見舞い、その後はカミサンを叔母様宅まで乗せて行く。

夕方には実家に戻り、必要最低限の庭の手入れ。隣の奥さんと立ち話して、どうぞ野菜を勝手に収穫して持って行って下さいね。

6日 今日ならJetstar便が安いので、朝は千歳空港に直行して、それでも事務所に戻れば午後2時を過ぎた。先月の販売実績を解析して、予想外の数字に驚きながら速報をこしらえて関係者にルール配信。よーし、すべき事は終えたので、遅く来た私は早く帰ります。

我が家では、冷蔵庫の残り物で料理をいろいろ。帰宅したカミサンに札幌での礼を言って乾杯。今週も残すところ明日一日だ、丁寧に過ごして参ろう。
帰宅した我が家では、ベランダゴーヤが迎えてくれた。そろそろ収穫、この土日で初チャンプルーでも作ってやろうか。
帰省の合間の出張などで、最近はバタバタだった。明後日からもまた帰省して、母の転院に付き添わねばならぬ。何もせずともよいこの土日は貴重な時間であった。
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1日の土曜日 カミサンは研修の引率とやらで出掛けて行ったので、私は懸案だった最後の洋服ダイスの衣替えをし、防虫剤をホームセンターに買いに行った。

結婚して新居を構えた時に購入した食卓が、表面が荒れて流石にミットモナくて気になっていた。そこで、サンドペーパーをかけた上でニスを塗ってみた。およそ30年ぶりのメンテナンスである。湿度の高い季節なので、除湿器を回して扇風機で風を送る。

近所の酒屋が隣町に移転したので、様子を見に行き、酒を買って帰る。

2日は日曜日 家の掃除をして、洗濯やら、ベランダゴーヤの世話やら。カミサンがビノス貝と蛸を買ったとメールをよこしたので、今夜は蛸でアヒージョだな。マッシュルームを買いに出て、足りなめの野菜をあれこれ買って戻る。
先日のNHK朝のニュースだったか、大手企業の重役だった方が退いても「顧問」と言う肩書を持ち、個室と運転手付きの車が使え、現職の重役が持ち込む相談に応える様子がTV画面に写っていた。

顧問だ相談役だが、会社の意思決定の権限や経営責任は無いにもかかわらず、ともすれば経営陣に院政を敷くかの如く振舞って弊害をもたらす場合があると、日本的な企業風土を指摘するのが趣旨だったようだ。株主総会で問題視されている、海外からは認められにくいとかの言い方もされていたようである。

ちなみにTVに写った顧問氏は、そのような方ではないらしく、これまで培った経験を社業に役立てるべく努力されておられるようだ。少なくともチャレンジなどとは仰らないのだろう。

実は私も「顧問」の端くれである。
私が所属する会社では「顧問」は二通りある。片や、役員を退いた者が位置づけられる「顧問」であって、しかし常勤ではなく云わば長年ご苦労様報酬であるらしい。つまり経営に口出しする顧問はいない。(と思われる)

もう一つは、私のような常勤の顧問で、部長職経験者が60歳定年後に再雇用される位置である。幹部職ではないので決定権はなく責任もないので気楽なものだ。日々しゃしゃり出ない様に気を付けて仕事をしている。経験はあるので、そこそこ便利に使ってください、てなもんである。

再雇用ではシニア社員制度がある。部長職未満の定年到達者は通常はシニア社員になり、一年更新で五年間の再雇用期間がある。私の立場は云わば「上級シニア」とでも称するべきか。同じ五年間のシニアなのだが、要するに一般のシニア社員より給料がやや高いのである。その分しっかり働かなくっちゃネ。

定年後にシニア社員になると、給料が激減するので初年度の重税感がハンパない。部長職経験者には上級シニアに位置付けて少々給付額を増やし、激変緩和措置を講じてもらっている感があり、これは有難いことである。文句を言えばバチが当たるというものだ。

ただ、これは実はシニア社員の給料が低すぎるからこその救済策であるかも知れず、とすれば顧問などを作らずにシニアの給料を底上げすればどうよ、と言いたくなるのも事実。まあ原資の問題なのだろう。

このTVを見て考えた。
とりあえず、次回作成の私の名刺には「顧問」の肩書を印刷しないことにしておこう。
午前10時に米原駅で営業マンに拾ってもらい、お客様に新製品の感触を聞きに行った。
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総じて好評は、良かった良かった。開発側の思惑通りの性能を見ていただけたようだった。

昼過ぎに再び米原駅まで送ってもらい、新幹線こだまで名古屋、のぞみに乗り換え、帰宅ラッシュの始まる前に東京駅を通過できたのはラッキーであった。

今回改めて京都の地下鉄を利用して違和感、周囲の人波に乗れず、これは皆の歩く速度が遅いのだ。大阪人はイラチで速足だと聞くが、京都人は優雅なのかしらん。
新幹線で東京駅に到着して歩きだして、これこれ、この速度感だよ!と気が付いたのだ。東京駅ではスムースに歩けた私である。

も一つ、国道一号線を走っていると両脇にやたら回転すしの店が多かった。戻った京都駅でも回転すしの店は昼食時間を大きく外れていても満員だった。京都や滋賀の方々は回転すしがお好きなのかもしれなかった。新発見だが、要再検だ。

そして、街歩きでの違和感。京都はやたらと外人が多い、中国人は多いが白人の割合が非常に多い。あれだけ背のデカい人種が目につくのだから、大勢の観光客が流入しているのだろう。
対してジモティは総じて背がコンパクトな印象、そして顔つきが関東圏とは異なる。男の人など裃やチョンマゲがさぞ似合うであろうと思わせる人が多数。私ら北海道人のような全国混交DNAではなく、地域の血が濃いのだなぁと思わせられたのだ。
ポツリポツリの雨の中を阪急の四条大宮駅まで歩く。
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烏丸で乗り換えて京都駅、JRの二駅で大津、駅裏に出て少し歩けばいつものレンタカー屋がある。
栗東までの行き帰り、昼過ぎには車を返して、午後は空き時間なのでゆっくり戻る。大津駅から琵琶湖の湖畔まで下りて、京阪電車の浜大津駅から京都に戻った。

烏丸の駅で間違えて快速に乗ってしまったらしい、次の駅には停まらず、桂まで運ばれてしまった。不覚である。
どうせ時間はありすぎるので、では乗り換えて嵐山まで行って、嵐電で大宮まで戻ってやろうと企んだ。
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ところが着いた阪急の嵐山駅と嵐電の嵐山駅は隣接していない。何と中之島の先の桂川を渡った向こうなのだった。

蒸し暑い中をじゃりじゃりと歩けば、おおこの橋は何処かで見たことがあるぞ、多分。渡月橋とか言うらしい、これを見て、渡っただけでも寄り道した価値があったかもしれない。

15分ほど歩いて、たった一両の電車に乗り、この路線はやたらと短い間隔で駅があるものだ。観光名所も多いらしく、お客もぞろぞろと入れ替わる。
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大汗をかいてホテルに戻り、シャワーを浴びたら、ワイシャツや下着を洗濯して干す。早めのビールのお世話になって、今日は旅先だがノンビリさせてもらおうと考えている。17:30までは、業務の携帯電話は受け付けます。
25日は日曜日、家の掃除をしたら料理に取り掛かる。
昼には息子二人も駆けつけて、カミサンのお誕生会が華々しく開催された。バースデーケーキを食べてから、茹で卵と豆腐でボリュームアップしたバンバンジーサラダ、鶏むね肉のガーリック焼き、初めて作ったジャガイモのニョッキと空豆には、息子に買ってきてもらったゴルゴンゾーラチーズでソースを作る。

ビールをたくさん飲んでから、白ワインを二本空けて、そのあとは日本酒になって、庭のバジルでカプレーゼや、隠元豆のお浸しなど作った記憶がある。皆していいだけ飲み食いして、酔っぱらって、息子らが帰ったらバタンキューだった。しかし、ピアノでlet it beの練習をした記憶もかすかにある。

26日 昼前のJetstarに乗らねばならぬというのに、昨夜の飲み過ぎで朝はミルクティーのみ。それでもカミサンの弁当を作ったり、やることはやったのだ。

鉄路で成田空港、昼に到着した新千歳空港でレンタカーを借りて母の入院先まで。上着を持って来なかった事を後悔した、えらく気温が低いのだ。

母から持ってくるべきものを聞いて実家で荷造りして、戻って届けて、転院予定の病院に医療相談員氏を訪ねる。

詳しい説明を聞き、転院は7月5日を希望すると伝え、緊急入院してそのままになっていたリハビリを訪ねて料金を支払い、実家に戻れば軽く畑仕事をして青梗菜を収穫した。採りたての青梗菜を油揚げと炊き合わせる。うーむ細胞が生きている、美味い。

27日 実家の野菜を叔母の家に届けて市千歳空港、今度は関空行きのJetstar。久しぶりだな関西空港、乗ってきた飛行機にはスパイダーマンが描かれていた。
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鉄道より安いはずのバスで京都まで移動して、明日に備えて四条のホテルに入る。

札幌の病院からは、5日の転院OKの電話があった。来週も忙しくなるな。
ああ、今日はやるべきことがない。久しぶりにゆっくりとさせてもらった。
朝飯を食べて、ルイガノ号を走らせてクリニックで処方箋をもらい、調剤薬局で降圧剤をゲットした。今日はカミサンの大台に至る誕生日、昼飯にケーキを買ってきてコーヒーを入れる。

ほぼ毎日通っていたブログ主が、体調不良を理由に中止の告知。残念だが仕方がないか。TVでは歌舞伎役者のカミサンが若くしてガンで亡くなった報。若い方の死はお気の毒である。が、この役者は数年前に飲み屋で与太者と喧嘩して怪我をしたとかで騒がれていた男だな、多分。婚外子がいるとかも言われていたはず、波乱万丈であるなあ。商売とは言え、傾くのも大変だ。
周囲も騒ぎ過ぎであろう。ガンで若死にする人など、世の中に多数いるのだ。

午後からは買い物に行き、ゴミ箱と椅子の布団を新調して、食料品を買ったら、トヨタの店に行く。右手が不自由なカミサンが自動車を運転するための補助具の情報を得ることができた。ハンドルに取り付ければ良いだけらしい、実現を目指してみるのである。

小松菜とシーフードのクリーム煮、鯖の塩焼きなどを作りて食す。久々の、我が家でゆったりできた一日であった。
22日 暫くぶりに会社に出て、今日は健康診断だ。
身長190cm、体重90kg、糖質コントロールを覚えてこの3年余り体重は変わらない。努力すれば、も少し落とせるのは分かったので、この辺りに留めている。

体は醸造酒以外の炭水化物を受け入れにくくなっており、会社のおやつで大きめの煎餅三枚を食べたら夕方までモタレる始末だ。

カミサンが大仕事の後の飲み会なので、私は昨日の麻婆豆腐にニラと豆腐を増量し、野菜と卵の炒めなど食す。

23日 母の転院に関していろいろ動きがあり、懸案の出張も上手くハマって、来週の予定が見通せた。バタバタだが、明日はカミサンの大台に至る誕生日、めでたい。日曜日には、息子共を呼んでお誕生会を開催予定也、めでたい。

キャベツとひき肉のスープ煮、胡瓜と茗荷の酢の物などを作りて、久方ぶりにカミサンといろいろ話しつつ食す。平安なる日常が戻ってきたが、前途は多難なり。
20日 火曜日。午前中に母が世話になっているケアマネさんとのミーティングを予定していたら、入院先の病院から電話がある。
腰のレントゲンを取ったら圧迫骨折らしき形跡ありとて、専門医の診断が必要とか。現在入院している病院は脳神経外科なのである。

先方の病院の受診が午前中なので、すぐにも出ますとの事で、では私も移動して現地合流としたわけなのだ。母を救急車で送ってもらい、その後は私が付き添って受診して、脊椎の専門医によれば第三と第五腰椎に圧迫骨折の痕跡あり。新しくはなく、古くもなく、これは1月の尻餅事故によるものであるらしい。これが母の現在の腰痛の原因であることが確認されたことになる。

帰路はまた救急車に迎えに来てもらい、帰路なので急がぬとも良かろうにサイレンを鳴らして移動する。音源と共に移動すればドップラー効果が生じないことを、身をもって体験した。

一度実家に戻って、畑仕事などして、夕刻に見舞いにより、そのまま千歳まで移動して宿泊。途中の札幌駅のライオンでビール。このくらい楽しませて下さい。

21日 基本料金5千円台のJetstarで昼過ぎに成田着。
後ろの若者が、短い脚をせわしなく組み替えるので、都度に席の後ろからキックが来る。閉口して隣の席に移動する。

この頃は、こーゆー若者が増えた気がする。
じっとしていられない、始終何をしていないと身が持たぬらしい。ペットボトルのお茶を飲み、スマホで遊び、落ち着きなく身を動かし、ヘッドホンで音楽を聴いたかと思えば、トイレに立つ。オジサンは呆れるのである。

到着した成田は小雨ながら風が巻いている。
駐車場に置いてあったポルテ号を回収して、事務所に直行。夕刻からの会議に間に合わせる。外部からの要請にどうこたえるかの会議だが、たぶん一番正確に素早く対応できるのは私だけなのだが、どうも勝手が違う。

ここまで判らぬメンバーが増えると、群盲象を撫でる感ある。
まあ、客観的に作業が進められる事だと言う事にしておこうか。シニアの身だ、いらぬ事は言わぬのだ。

帰宅して久々にカミサンと話す。
18日の日曜日、昨日は甥が、今日は義理の兄ともう一人の甥が、入院中の母を見舞ってくれたようである。
私は午後からカメレオン号で向かって、母からいろいろ持ってくるものを頼まれる。母は少しは体が動くようになったようだ。
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19日 月曜日になってしまった。昨年も盛大に有給休暇を取っており、今年もこの様子では、あと10日程を残すのみだ。
私はあと何日休めるのだ、有給休暇を使い果たしたらどうなるのだ、介護休業とか言う制度はどうなっているのか、これらを聞きに上野幌の本社を訪ねた。
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札幌の南のはずれから東のはずれまで、片道25kmほどの道のりで8時半に出て10時10分到着。上りの坂より向かい風がきつかったし、ワイシャツだけだったので大いに体温を奪われて消耗した。

残る有給は10日程、その後は欠勤が30日まで許され、該当すれば介護休暇は無給ながら90日との事た。これまで会社に貢いできたつもりのシニアの身だ、ここは最大限にこれらを利用させてもらおうと思う。

昼前に月寒の叔母を訪ね、母を見舞った後は夕方だが洗濯。明日は帰り支度をしなければならぬのだ。寄り道して帰宅すれば、今日は50km以上走ったはずである。太腿の張りが心地良いのである。
柑橘を一個剥いてヨーグルト、ベーコン卵、珈琲と牛乳で朝食とする。ご近所に母の不在を告げて、カメレオン号でスタート。蕎麦屋に再訪して、母を見舞う。

転院のめどは立たないままに土日になってしまった。こちとら会社を休んで待機しているのだから、病院にはも少し積極的に動いて欲しい。月曜日にはケアマネさんや整形外科の相談員さんに電話をしてみよう。
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帰路には駐車場がなくて訪問できずにいた真駒内のエドウィン・ダン記念館、この際だ寄ってみた。米国オハイオ州の若者が、極東の国の酪農畜産の礎を、まさにその身を賭して築いてくれた。我が国の恩人なのである。当時のアメリカ人にはイイ奴もいたのだ。有難うと言いたい。
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石山緑地にも寄ってみた。
今日は良い天気で気温もそこそこ。久しぶりのカメレオン号が、ようやく体に馴染んできた感がある。
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バタバタだった。
14日は会社に出てメール対処などするうちに、母から携帯にヘルプのメール着。昨日別れてきたばかりだが、今日の朝には立てなくなったらしい。

昼イチのJetstarを予約して、会社は休みにしてルイガノ号で漕ぎ戻る。荷物を拵え、ポルテ号で成田空港、1250発で千歳、途中で買い物をして、実家には17時過ぎに到着した。明日の通院のために、車椅子に対応した福祉タクシーを予約した。

19時 夕飯を作り、いただきますをしたところで、母が箸を落とし椅子に座ったままで意識をなくしてしまい驚く。体調が悪い時によくある貧血症状と判断し、ベッドに寝かせる。心配で先に寝るわけにもいかずにいると、22時に母がトイレに立ち、用は済ませたものの立ち上がる際に再び意識をなくして崩れ落ちる。

ベッドに寝かせたものの、二度の意識喪失は異常であり、夜中に何かあってもいけない。暫し考えて、契約しているセコムを通じて救急車のお世話になる判断をした。
救急車の陪席は初体験也、若い隊員3名は嫌な顔一つせずによくやってくれる。有難いことだ。

意識喪失の症状から当番病院の脳神経外科に搬送されMRI、異常なしだが腰痛で歩けぬ体だ、そのまま入院となった。私は深夜に帰宅してビールを飲む。

15日 気になっていた床屋を済ませてから、入院申し込みなどで病院へ。区役所から発行される標準負担額減額認定とやらが必要である。母は落ち着いており一安心、医師との面談で早期に整形外科への転院を勧められ、病院同士でやり取りしていただけることとなった。午前のポツリポツリ雨は午後からは小雨、肌寒くなかなか晴れ間を見ない。

16日 朝からようやく陽が照っている。洗濯をして片付け物をしたら、昼に母から頼まれた荷物をバッグに詰め込んで、久しぶりのカメレオン号のタイヤに空気を入れて、区役所を目指す。

途中で新しい手打ち蕎麦屋に引っかかる。
区役所では首尾よく認定書をもらい、病院事務に申込書と共に提出した。母が医師と話したところでは、どうやら再び4月まで居た整形外科病院に転院となる模様だ。来週早々に移ることができれば良いのだが。
帰路にはまたもやのポツポツ雨、帰宅して急いで洗濯物を取り込んだ。

去年も、母の通院や白内障の入退院やらで盛大に有給休暇を使っている。今年の残りも10数日だったはずである。有給を使い果たせば欠勤となり、無期限に会社を休むわけにもいくまいな。シニア三年目にして、そろそろ退社を見極める時期が来たのかもしれない。
千葉に仕事があるカミサンには申し訳ないが、退職して実家に戻るという選択も見えてきた。それならそれで止むを得ないか。も少し、いろいろしてみよう。
11日 日曜日、午後からようやく雨が上がって、しかし油断がならない空の下で畑仕事。時間があるので、歩いて近所のホームセンターで7尺の姫竹を買って、へいこら担いで戻る。

12日 祭り休みを取った月曜日。ようやくの晴れ、快晴だが気温は低い。こちとらまだ体温調節機能が復帰しておらず、作業では汗をかき、上着を端折ればやたらに寒い。それでも、豌豆に手を遣って、胡瓜とトマトも対処して、出遅れた感のあるゴーヤにはアミノ酸液肥をくれて、何とか畑の恰好を整えたゾ。
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青梗菜と蕪の間引き菜、ラディッシュはそろそろ第一陣を収穫してしまわねば。後は野良で生えてくるアスパラと、蔓延りすぎた京蕗を収穫して、お隣にもおすそ分けする。
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快晴ながら肌寒い札幌を後にした。

13日 成田に戻れば、まさかの上着のいる涼しさだ。
6日ぶりに自宅に戻り、不要になった自転車を管理組合に届け出て、夕食を作りつつカミサンを待てば、日常がも取ってきたのである。
安かった鰹を薬味たっぷりで、シシトウとジャコの炒め、韮の卵とじ汁など食す。

この旅行では、今野敏を読みふけった。
千歳までに熱波を読み終わり、その後は海に消えた神々、そして闇の争覇、帰路にはヴィクトルとの邂逅で公安マンとして目覚めた倉島のシリーズ2作 白夜街道、3作 凍土の密約、そして第4作はアクティブメジャーズ。この人は多作なのでまだまだ読むべきものがあるのが嬉しい。
7日 午前中は札幌とTVでつないで製品開発の進捗会議。先日お店を閉めたお蕎麦屋さんが、グッと近所に開店したというので、昼休みに様子を見に行く。夜はカミサンとここで食事と決めたのだ。
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7時に待ち合わせてエレベーターで昇っていけば、あらら満席のご盛況。おめでとうございます。順調な滑り出しですね。我々は仕方がないので一階のバーに引っかかり、そのあと歩いてホテル地下の居酒屋にも引っかかり、大いに酔っ払って帰宅した。

8日 都内に仕事を入れてあり、八丁堀にて打ち合わせ。
終われば戻って歯医者、二つ目のインプラントに歯を建てる日を決めてきた。ちょうどよいJetstar便があれば成田だったが、も一度都内。羽田空港からJal便で千歳空港には夜の8時ころに着いた。上着を持ってきて良かった。

9日 今日は有給休暇を取っている。実家に来て、プラゴミを出すのに間に合った。さあて畑仕事であるが、この時期は毎度スギナとの戦いだ。もう少しで格好がつくところで雨、まあまだ時間もあるからここらで引き上げる。

喉風邪が悪化して少し熱があるようだ。早めの就寝。

10日 起床すれば本格的な雨、これでは畑仕事ができないな。
母の耳鼻科に付き合って、薬をもらってきたら、明日の畑仕事に備えておとなしくしていよう。

退位特例法が成立した。英国ではメイおばさん率いる保守党が過半数に至らず、トランプ爺は辞めさせた元FBI長官に噛み付かれ、大洗ではプルトニウムが飛び散った。いろいろな事がある世の中だ。
5日 月曜日、昼前にルイガノ号で出て、昼飯を食べつつ久々の「ろっぽう水の道」を通り、配送センター事務所で来年のカタログ内容の打ち合わせ。少し早めだが直帰させてもらった。
豚肉を焼いて、茄子と空豆とシメジを煮込んだトマトソース。スティックブロッコリー、ズッキーニのオーブン焼きなど食す。
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6日 火曜日、今日はますます涼しくて、自転車通勤が楽しい。
5月の実績がまとまる速報日で半日をエクセル作業、昨年よりも後退しているが、今月の販売ピークに向けて昨年も前年割れしていたのだし、聞けば受注は取れているというので、まあ6月実績を期待することにしよう。

今夜は安かった塩サケを焼いて、久々に飯を炊く。水菜と豆腐で汁物を作り、切り干し大根の煮物、うむーグッと和風テイストだな。

九州地方が梅雨入りしたらしい。帰宅すれば北見の叔父の訃報が届いていた。
この土日は、快晴だが暑すぎもせずの休日。
先週は土日を実家で過ごしたので、何やら慌ただしくて、休んだ気がしなかった。この二日間は大いに骨休めさせてもらった。
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この好天で、ベランダのゴーヤも育ってきた。
まだ雄花ばかりだがそのうち雌花が咲くのを楽しみにしている。
虫に乏しい都会であるから虫媒は期待できぬことを知った。今年もせっせと受粉してやろう。
去年は団地の大規模修繕工事の邪魔になるからと早々に引き上げてしまったが、今年は液肥も欠かさずどこまで大きくなるか、どれだけ実が成るのか試してやろうと考えている。

手前の株は、これも去年貢献してくれた赤唐辛子。
今年もすぐにアブラムシが付いたが、無農薬のスプレー剤で対処しているのだ。しかしこの虫はどこから来た。苗に付いているのじゃあないかしらん。植物が辛みを作るころには、いなくなるようではあるのだが。

さて、この土日。幕張の海岸でエアレースをやっている。
この団地まで朝からブーンブーンとエンジン音が賑やかに聞こえる。ルイガノ号でアプローチしてみたら、海岸線のサイクリングロードは閉鎖、道路脇には海側にネットが張ってあり、一般客にはよく見えないようになっているのだった。なーんだ、ガッカリ。

まあそれでも、海面にそびえる白い大きなパイロンに向けて急降下するヒコーキや、エキシビションで優雅に旋回する双発プロペラ機などを見ることはできました。
さあて6月になってしまった。
早朝の雨は通勤時間には上がってラッキー、昼までまだ雨もあるとの天気予報だったが、何とか濡れずに帰宅できた。帰宅時の空は、まるで今にも!な曇天だ。
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先日の出張の後始末をして、販促物の片付け物をして、広告宣伝案を販社に問い合わせるなど。

生の時鮭を塩焼きにして、アスパラとシメジの炒め、ベランダで育ってきたバジルの摘心を兼ねてカプレーゼなど作る予定也。
30日 水戸まで日帰り、東関道から圏央道、そして常磐道から北関東道で茨城県庁近くにアプローチする。途中で牛久大仏のお背中を拝む。
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片道2時間で夕刻には戻って、歯医者に行き、クリニックで薬を処方してもらい、薬局で降圧剤をゲットして、本日の仕事は終了だ。

時間があるので、アスパラの肉巻きフライを頑張る。付け合わせは白アスパラのマリネを飾ったサラダ。

31日 陰っていても湿度が高く蒸している。こんな日は自転車通勤がコタエルのである。汗が引かぬ。

事務所では人事課が出張してきて、面接試験をやっていた様である。明日を担う若者よ、来たれ!
予定通り、販促の名刺シールが届いて、全国の事業所に配布作業。その他をいろいろして、定時を過ぎて帰宅した。

今夜はアスパラ料理は一休み。大根と揚げと蒟蒻とキノコの炊きもの、茄子と鶏胸肉の味噌炒め、即席漬けなど食す。5月も終わってしまったナ。
千歳のサーモンパークで、白アスパラの短いのが500gで480円とは!これは買わずばなるまい。我が家には、母から届いた緑アスパラがどっさりあるのは分かっていたのだが、、、
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独逸名物シュパーゲル、塩レモンで煮てバターでいただき、残りの一部はカミサンのリクエストでピクルスにしてみた。
一晩おいて食べたら、これは旨い。残りもすべてピクルスにした。ピーラーで下部の皮むきが、やや面倒ではある。

今日は暑い日で、市ヶ谷で商談。戻って事務所で、今度は販促物の配布作業。その他の雑務をこなして、6時前にエイヤと切り上げて電車で帰宅した。
今夜のメニューは、緑アスパラのベーコン炒め、鶏とキノコと香味野菜のスープなど。アスパラは兎に角旨いねぇ。

先日の帰省で妖怪アパート10巻目を読了。やや若い者への教条主義が気にならぬでもないが、作者の愛だと思いたい。楽しいシリーズだった。
横道に逸れたが再び今野敏の読破に復帰して、今日はオズヌを読了。なにやら取っ付きにくい印象があったが、読み進めるうちに引き込まれた。伝奇小説としても良く出来ている、これで碓氷シリーズ3作目に乱入してくるのだから、今野敏 侮れぬ。
26日の金曜日 午前中はお客様対応。その後は販促物の配布準備をしながら、昼には都内で展示会。その後はヒコーキに乗って夜には札幌はススキノの定宿。
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27日 実家の畑仕事に来たというのに雨である。それもなかなか本格的な雨である。捕植する苗を買いに行ったり、妻の実家の隣家を訪ね排雪の取りまとめをお願いしたり、母の台所仕事用の椅子など買い求めて戻る。

夕方には雨が上がり、ようやく畑仕事ができた。
時間がないので必要最小限の作業に留める。なあに、北国の庭はこれから本番なのだ。

28日 庭でフキを収穫する。今や増えて増えて畑を侵食されて困らされているものの、やはり旬の食材ではある。少しもらって帰ろうかしら。
雑務の整理で昼、夕刻からのチームミーティングに備え、終われば定時に帰宅。まあ、そこそこ働いているのである。
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咲き誇ったツツジが終わって、今度は溢れるばかりのサツキが見事な季節になった。

昨夜に買ってあった鮪の柵を漬けにしていたので、今夜は珍しく飯を炊き、酢飯にして漬け丼。酢飯の上に海苔を置き、漬けを並べて刻んだネギをトッピング。サヤ豌豆と椎茸の味噌汁にはアオサ海苔、アスパラガスに豚肉を巻いて味醂と醤油で蒸し焼き。

昨日からは気温も下がり、過ごし易い一日だった。
しかし、もはやルイガノ号で帰宅すれば、シャワーが欠かせぬ。
帰宅して、ようやくズボンを夏物に入れ替えたが、さあて全般的な衣替えはいつできるのだろうか。バタバタと一日が過ぎてゆく。
22日 月曜日、雑務を処理するうちに定時に至る。
いなくなった若い者の代わりに広告宣伝の諸作業を進めつつ、経緯と関連情報を整理して綴る。後で誰が見ても判るように、メモを残しつつ綴る。

若い人はこれができない、自分だけ判ってただ綴るので、他人が見たら苦労する。仕事を客観的に見る目は、流石にこの年になれば自動的に習得されている。

帰宅すれば洗濯機と冷蔵庫が届くので、設置準備をし、作業を見守り、そしてカミサンと外食に出る。帰宅して片付けに精を出す。
新しい電化製品は進んでるね、やっぱり。
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23日 火曜日、突然に朝9時に浜松町まで呼び出され、せっかく都内に出るのであれば懸案事項も片付けておこうと午後イチで浅草。
暑い日に都内を歩き回って、すっかりイキが下がって帰社。2時間ほどメールと格闘して帰宅。

今夜は冷蔵庫のパーシャル機能とかを試してやろうと刺身。青梗菜と油揚げの炒めなどの予定である。
家の掃除をして、掃除機もバラシて水洗い。
上の息子が床屋のついでに寄るというので、三人一緒にラーメンを食べに行った。
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隣席とは板で仕切られており、自慢のとんこつラーメンに集中できる、その名も「味集中カウンター」だって。
ここまでせぬとも、とは思うが、味はよいのである。ネギとキクラゲの追加が、私の定番である。
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息子からは夫婦箸のプレゼント、忝い。母の日と父の日をまとめたとか。そー言えばもうすぐ結婚記念日であるなぁ。
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息子を最寄り駅で降ろして、中心部まで。母に送る腕時計を買い求めた。
電池が切れて交換しなければ、とか言っていたので、便利な電波ソーラーを選ぶ。婦人用はメタルバンドの華やかで可愛いデザインが多い、婆様にはちとそぐわないし、母は皮膚がデリケートなので皮バンドでなければならぬ。というわけで、あまり選べず安物になってしまったが、まあイイか。

帰宅して、鶏もも肉と新玉ねぎの炒め煮を作り、床屋から戻った息子にも分けて持たせる。
今日も好天、暑かったな。近所のイズミヤさんが撤退してイオンになる、朝から足場工事でガチャガチャと騒がしい。千葉市長選挙の宣伝カーも姦しい。共産党の候補者は、千葉市長選なのに安倍暴走政治を許さないとかがなっている。まあ確かに暴走だが、千葉市の事を何故言わぬ。勝ち目が無いのでとりあえず自民党批判なんでしょうね。きっと。
21日 前回果たせなかった海老天蕎麦を食べんと両国に出かけたいのだが、洗濯が終わらぬ。あと5分表示を信じて待つのだが、脱水の際の荷のバランスが悪いらしく、途中で断念しては「すすぎ」からやり直して「あと11分」を繰り返す。見ていてキレました。

乾燥機能はなぜか使えなくなって久しいし、もうダメだなこの洗濯機。数えてみれば10年以上活躍してくれた、当時は登場したてだった横ドラム式だ。カミサンに言わせれば、上から投入する洗濯槽が立って回る洗濯機では、ワイシャツの襟の汚れ落ちなどに大きな違いがある由。ドラム内で洗濯物が上から下に落ちる衝撃が汚れを落とすのであろうとか。

また脱水を続けたがる洗濯機を説き伏せて止めて中身を取り出し、ベランダに干して、遅まきながらの出発だ。電車を乗り継いで、今度は錦糸町側から蕎麦屋にアプローチする。おっ、今日は開店していましたね。

なるほど海老天は立派で美味しかったが、肝心の蕎麦が落第。ここは一度来ればよい店である。本所と東駒形を歩いてスカイツリー近くまで行き、また両国まで戻ってきた。実によい天気で気温も高い、汗をかいて歩くのは久しぶり也。
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総武線で戻って幕張駅で下車、歩いてヤマダ電機まで。
パナソニックのオジサンに勧められるままに、洗濯機と冷蔵庫も購入、実は冷蔵庫も製氷機が壊れて久しく不便していた。
思いがけない高額出費となってしまった。
20日 金曜日、9時から歯医者なので少し遅れて出社。
ようやく奥歯のインプラントに建てた歯を本着、隣の歯とは若干低くするのがセオリーであるらしい。やはり顎で噛んでいる感ある。

会社では、皆が出払って島に一人だったので、電話番をしながら残務処理。ああよく働いた一日であったな。
暖かな自転車日和を楽しんで帰宅、冷蔵庫に残った材料で卵とエリンギと水菜の炒め、豚肉と玉蒟蒻の煮物、絹生揚げの焼き物など作りて食す。
天気予報で、今日は昼には雷雨と脅かされていた。
行けるときには自転車で出る主義である、少々肌寒い風を切りルイガノ号で通勤したのだ。

昼休みまではそこそこ気温も上がって自転車日和だったが、2時を過ぎた頃だったろうか一天俄かにかき曇り、ドドンと雷鳴に気付けばバタバタと大粒の雨が叩いてきた。

これは自転車での帰宅は無理と諦めていたら、5時を過ぎた頃には青空で快適に戻ってこれたのは幸いであった。
暫くぶりの出社なので、たくさん仕事をした。
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夕飯は新玉ねぎと豚肉を刻んで麻婆豆腐、水菜とトマトときゅうりでツナサラダ、大根と蒟蒻とエリンギと鰯ツミレの煮物。
15日 会社には今日が移動日。
母を眼科と皮膚科に連れて行き、薬をもらい、昼過ぎには市内に出る。頼まれて、三越デパートで横浜までアスパラを送る。
一度ホテルに入り、身軽になって蕎麦屋で知人と飲み会。
20年以上前に、微生物飼料の普及に全国行脚を付き合ってくれた戦友なのだ。懐かしい話をひとしきり。

16日 午後から研究所に移動して打ち合わせ。新築の研究棟は、まだ引っ越しが終わったばかり。静岡の取引先の社長サンをお招きして打ち合わせた後は、新札幌で飲み会。楽しくワイワイと大いに飲んで、私は千歳のホテルまで戻ってきた。

17日 再び研究所で別の打ち合わせ。終われば、3月末に見送った元部下の様子を見に牛舎まで。元気そうで何よりだ。
昼過ぎのJALで羽田、4時過ぎには帰宅して、ベランダのゴーヤがツルを伸ばしているのを見てネットを買いに行き、夕飯前に取り付けておいた。

久々のカミサンとの晩飯は、またまた薬味たっぷりで旬の鰹、枝豆の豆腐、その他残り物を食した。
頼まれて札幌市民生協にお買い物。朝9時過ぎの開店直後だというのに、駐車場は8割ほど埋まり、店内は家族連れで大賑わい、レジには長い行列だ。驚いた。
朝のうちにジーサン・バーサンを買い物に連れて行こうとする人達が多いのだろう。とは母の解釈である。
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首尾よくホームセンターでゴーヤの苗をゲット、しかし接ぎ苗しかなくって値段が高い、そしてこの時期なのにヒョロヒョロと徒長気味で大丈夫か、この苗。まあ仕方がないので定植。
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妹の旦那が母の日の花を持ってきてくれて、ひとしきり話す。数歳年上の彼は、持病の腰が辛くなり、そろそろ自営している会社を閉じるつもりのようだった。

スイートコーンと枝豆の種を蒔いて、今回の畑仕事は終了とした。
庭をグルリと見回ってアスパラを今年初収穫だ。立派なLLサイズ、しかもこれからドンドン出てくるようだ。母が腰が痛くて収穫できないのではないかしらんと、少し心配である。
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今夜は、豚肉とキノコと焼き豆腐の炊きもの、イカの刺身とオクラの和え物、庭で採ってきたニラで卵とじなどを計画している。
さあて札幌である。
昼前に、母に初鰹を食べさせるべく買い物を済ませて実家に到着、昼飯を待たずに畑仕事とした。

GWに播いた豌豆や葉物は発芽しており、例年通りスギナ退治に頑張った。昼からは近所のホームセンターに苗を買いに行き、ズッキーニ、胡瓜、トマト、ピーマン、茄子などを定植する。しかし、風が強まって、これはとんでもなく寒い。こんなに寒いのに植えて御免ネと苗に詫びつつ、しかし地温はふんわり暖かなのである。
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ホントは、まだ早いのだ、苗の定植。しかし、こちとら次がいつ来れるかが判らぬので止むを得ない。植えた苗には風避け対策を施しておいた。

明日は、グリーンカーテン用のゴーヤの苗を買って来よう。これもまだ早いンだけど、仕方がないよね。そうそう、隠元豆と枝豆と大根と人参の種蒔きもした。今年の菜園は果たしてどうなるか、手間はかかるが楽しみなのである。

夜は、薬味がたっぷりの鰹をメインに、海藻とアスパラと海老で酢の物、茄子と鶏肉の豆板醬味噌炒めなど作りて食す。
午前中は事務所で仕事して、しかし携帯電話を忘れたので早めに失礼して、帰宅して昼飯。12時の電車で都内に向かった。
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東京駅を丸の内側に出て、日比谷公園から桜田門を曲がり農水省。取引会社の社長さんと合流して、飼料輸入の届け出について指導を受けた。特に問題もなくよかったよかった、これであとは作って売るだけである。

燕尾服のご老人と和装の奥様の二人連れが多数、春の叙勲の日なのだな。皆さんそれぞれ我が国を作って来られた方々なのでしょう。お疲れさまでした&おめでとうございます。

有楽町から浜松町で久々のモノレールで羽田空港。修学旅行生と共に千歳空港。上着を持って歩いて汗ばむ都内から、機を降りればコートも必要な北海道だった。

快速エアポートで新札幌、地下鉄に乗り換えて南郷7丁目。蕎麦屋で一杯やって薄野の定宿に泊まっている。今野敏の竜崎シリーズの5.5、そしていよいよ碓氷弘一シリーズにも取り掛かって、まことに幸せな移動時間であった。