今日は朝から、隣町のパナソニックの桜広場にいく。
小雨が止まないが、幸いにして桜広場に居るうちは雨も弱まって、傘なしで散策ができたことは有難かった。
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ちょうど見頃の、見事な桜である。

次いで、市内の名所と言われる緑町中学校の桜並木を見て、老舗の名店「千秋正家」で道明寺の桜餅を買って帰って昼飯とする。

午後からは掃除して、ようやく雨の上がった夕方には来週知り合いを招く予定の寿司屋の下見に出かけた。お値段相応だが美味しい料理であった。さあ来週は、これらの飲み会の企画で忙しくなる。
午後には止むと思われた小雨が、なかなか止まない。向かうバスの中で、すでに数人のメンバーと顔を合わせて四方山話。
11時半からの会社OB会の花見は、急きょ研究所の研修棟の中での開催となった。
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窓を開けて隣接する外のテントで焼肉等を室内に運び入れるが、煙も一緒に入ってきて参加者は全員が燻された格好だ。

現役A社長に、歴代社長のK氏、T氏、K氏。私の仲人でもあるS氏には久々にお会いできた。その他総勢50名弱の大宴会となり、すべての酒を飲み切って夕刻にお開きとなった。我が社らしい大盛況の飲み会であった。

先日ひょんなことから再会した方にOB会への参加をお勧めしたので、私もシニア3年目にして初参加した次第である。諸先輩各位、人間あまり変わらぬものである。
大いに酔っ払い帰宅、捨てるのがもったいないとリュックに入れてきたジンギスカンで、カミサンと夕食にした。

帰宅してすぐにシャワーを浴び、着ていた衣服はすべて洗濯に回したのであった。
昨日のうちに対処できなかったメールに対応する。
せっせと年度末のデータを作り込む。我ながら納得の出来であり、正確さであり、そして早さである。自画自賛だな。
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会社の駐車場の桜も、今が盛りである。
昼は雨がパラつく中を千円床屋ですっきりして、午後からは残務整理を進めた。夕方には早めに抜け出して先日のインプラントあとの抜糸。

届いていたソラマメを茹でて、エリンギと豚肉のニンニク炒めなど食す。天気予報によれば明日もまだ雨が残るらしいが、OB会の花見は大丈夫かしらン。
5日 快晴の札幌、退院した母の調子もすこぶる良い。しかし、病院ではリハビリはしたものの家事等で体を動かす事はなかったわけで、いざ自宅に戻れば何かと仕事はある。過信せぬようにと、畏れながら申し上げて、帰路に就いた。
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昼飯は千歳空港で、頑張った自分への慰労の五色丼。雲丹、イクラ、蟹、帆立、牡丹海老が乗った豪華版は2400円也。

羽田からの東関道はしばらく渋滞が続いたが、6時前には帰宅。土産に買った酒のつまみで夕食。早めの就寝が吉である。

6日 さあ、事務所を二日空けるとメールがてんこ盛りだ。
しかも今日は前月の実績が、つまりは前年度の販売実績が確定する日である。ある程度の準備はしてあったが、速報を作り、コメントを付す。こんな日に限って、途中に別の仕事が飛び込んでくる。久しぶりに真剣に時間と闘いながら仕事をした。とうとうすべてのメールには対処できず、明日の心だ。

帰宅して、冷蔵庫の残り物で小松菜の炒め物、茹でインゲン、大根おろしのシラス乗せ、その他を作りて食す。
3日 午後から部内の新体制でのミーティング。元部下は体調不良で復帰がならず、私が少々カバーすることになった。彼の今後が心配である。

夕方は早めに会社を引けてポルテ号で成田空港。午後7時過ぎにエアバスに乗り込んだところで、落雷避難警報で作業員は一時待機、次いで機体をバラバラと大粒の雨が叩きつけてきた。

雨は十数分で収まって、機内アナウンスで離陸の順番待ちが説明されたのだが30分ほどして今度はキャンセルが通知され、機内には落胆の声と悲鳴が広がった。

飛ばないことが判ってからの対応が酷かった。客を待たせたまま30分あまりも飛行機から降ろさないのだ。客としては、早く次の手段を用意したいところなのである。携帯電話は使えたので、泊まるはずだったビジネスホテルとレンタカーをキャンセルする。

カミサンに電話して、翌日の便をネットで押さえてもらい、近所のホテルを探すが空きはない。2千円払って駐車場からポルテ号を出して帰宅。遅い晩飯を作ってビールを飲みながら、カミサンの予約した便のメール連絡を確認すれば、なんと日付が間違っているではないか。もう明日の成田発は諦めざるを得ない。

既に夜の10時だ、今から移動しても羽田周辺のビジネスホテルには空きがない。ANAの朝一便に間に合うバスもない。早朝にポルテ号で向かわざるを得ないと腹をくくって就寝。寝ながら、ポルテ号の燃料が乏しかったことを思い出した。
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4日 朝の4時に自宅をスタート。やはり燃料が残り少ない、ここは一つ一つこなしてまいる。ルートを外れたところに大きなセルフのスタンドがあった事を思い出して、寄り道。満タンにして東関道に入る。逸る心を抑えてゆっくり走行、事故ってはどーしょーもない。一つ一つ丁寧にだ。

明け方の羽田空港は駐車場も余裕がある。ポルテ号を停めて、手荷物ゲートをくぐり、搭乗口には予定通り一時間前に到着、今度は順調に新千歳空港から札幌駅に9時過ぎに着くことができた。

ようやく我が時間に追いついた感あり。10時に母の待つ病院へ向かい、退院手続きを済ませ、タクシーで戻り、途中の耳鼻咽喉科で薬をもらい上出来。

買い物に行き、ケアマネさんが訪ねてきて今後の母のリハビリ計画打ち合わせ。Jetstarは払い戻しができたので、明日は羽田に戻ることにした。これから夕飯を作って、この怒涛の、パニクった帰省の終わりが見えてきたのである。
朝から家の掃除をして、昼には団地の駐車場の入れ替えがある。正午には車を新しい場所に移さねばならぬ。となれば昼は車で出かけるのが吉である。
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会社に車を置いてカミサンと歩く。みなと公園の桜はほぼ満開。各所の公園の桜を見ながら千葉城を目指す。蕎麦屋の若松サンの閉店を確かめて、県庁から歩いた千葉城の桜まつり。大層な人出だが、肝心の桜は3分咲きと言ったところか。
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一枝に紅・白と桃色の花をつける源平桃が美しい。

千葉駅から登戸に戻ってきて登戸神社に来てみれば、ラジオ体操の会の方々による落語会の真っ最中でビールを呼ばれたりする。夕方に至り、風が冷たくなってきたので、バスと電車で帰宅。

昼飯のインドカレーが腹に応えたので、今夜は小松菜と油揚げの煮浸し、大根おろしにシラス、スナップエンドウなどを食す。
30~31日と、プレスリリースした新製品の対応をしながら、今年度の事業概況をまとめる準備を進めていた。
売上高7億円は、私がこの事業の担当になってから目標としていたゴールなのだ。正直嬉しい。
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1日 今年こそはと、永福寺の枝垂れ桜を見に行った。今年は間に合って、ポツリ雨の曇天ながら、この見事な存在感に心打たれる。また来年もと思うのが桜を愛でる日本人である。

再来週にお迎えする方との食事の場所を探しつつ、市原の料亭を訪ねてカミサンと昼食。美味しいが、ここはやめて九十九里にしようかなどと語らいつつ戻り、佐倉に酒を買い行くはずが酒々井まで足を伸ばしてパークゴルフなどして帰る。

いろいろ回って、楽しい一日だった。湯豆腐に、イタリア豚肉とグリンピースの高菜炒めなど作りて食す。
午前中は液肥サンプル品の出荷作業。
昼前に抜け出して歯医者に行き、今度は差し歯が抜けた後の前歯にインプラントを埋め込む手術。奥歯に続いてこれで二つ目だ。

やはり今回も手術はあっけなく15分ほどで終わり、傷口を縫って、これで三か月ほどしたら歯を装着することになる。今日明日は酒が飲めぬ。
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昨日歩いた旧職場辺り、浅草橋を渡ったところにあった地図がとんでもなく古いままだ。北海道拓殖銀行などと書いてある。そう、我が社はこのビルの4階に入居していたのだ。少なくとも20年前の地図がそのままになっているとは、驚いた。
27日 営業所と販売店に試供品を送る。
朝はみぞれ降る寒い日、電車で帰宅して、グリンピースとマッシュルームの汁物、ホッケのフライなど食す。

28日 都に出て引継ぎを二件。
単なる担当者の交代ではない、懸案事項があるにもかかわらず、それをまとめて来ない。新しい担当者は新しい名刺が間に合っていない。会社受付では、コートを羽織ったままで面会申し込みをする。

思わず叱ってしまう、もう若い者の指導などすべき立場ではないのだが、これは目に余る。どうして自分が担当だとの自負と俯瞰を持てないのか、まったく近頃の若い者は、、、
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浅草から馬喰町まで歩いて、昔通勤していた界隈の今を見る。
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池波正太郎が随筆にしたためた洋食屋を発見する。

直帰して、明日のインプラント手術に備えて歯医者。葉玉ねぎを食すべく、牛肉を買って帰り、すき焼き風にして食す。
25日の昼過ぎの便で札幌へ。
夕方には豊平に入院している母を見舞って、実家に移動して宿泊。

今日の26日は、たまたま訪ねてくれた民生委員の方とも話ができて、先日の水道管破裂の顛末を情報交換、見つけてくれた近所の方がようやく判明して、帰りがてらにお礼して、再び母の病院へ。

母は既に足腰の痛みはなくなり、避難入院の甲斐があったというものだ。リハビリの効果もあって杖でスタスタと歩けるまでに回復したので、4月上旬の退院が見えてきた。
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9時前に戻った成田空港は小雨、結局 千葉県知事選挙は棄権してしまったのだった。候補者はもう一人いたらしい。
昨夜の送別会に歩いて向かう道すがら、ふと引かれて寄り道した。
馴染みだったスタンドバーに閉店予告の張り紙があったので、覗いてみたのだ。知らなかったのだが、闘病中だったマスターは年末に亡くなっておられた。
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白ワインを弔い酒にして、我が部署の送別会に出席してから再び戻ってきた。

3/25は12時から最後の開店をするとのこと。
私は札幌に移動しなければならない、付き合ってくれた同僚とともに暫し昔話をして失礼してきた。
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千葉に転勤になって、暫くしてから覚えたこの店。その時のバーマンは赤いチョッキの粋なご老人で、その後にひょいと覗いたときには今のマスターに交代していた。聞けば、この店のオーナーはマスターで、しかしご自分は信州の会社役員の仕事があり、バーテンダーを雇っていたのだ。会社勤めを終えて故郷に戻り、ようやく念願だったこの店にも戻れたのだそうだった。

オーナーが切り盛りするようになって、少々店の雰囲気は変わった。所謂オーセンティックな匂いが薄れて、マスターの豪快な性格を反映した元気のいいスタンドバーになった。私より数歳年上で、大きな会社の役員だったこともあり、マスターは論旨明快な存在感のある大人であった。

取引先の倒産で悩む私に、あんたのスタイルを貫けばいいとアドバイスをくれ、吹っ切れた記憶がある。いろいろと修羅場もくぐってきた方なのだと感じたものだ。

この店でいろいろな出会いがあった。郵便局員の傍らで地域のお寺と檀家を守る般若湯のお好きな坊様、素人離れしたカメラマンでもある県の研究機関トップの方、針穴写真がご趣味の海外経験も豊富なビジネスマン、近所のそごうデパートで夕刻に値下げになったお刺身を大量に購入してきては店のお客に振舞われる常連さん。
私も、北海道から沖縄から、出張帰りにこの店に直行してお土産を差し入れたことがあった。

もう、マスターの作るヘミングウェイの愛したカクテル Death in the Afternoon は飲めなくなってしまった。
この店を引き継ぎたいという方は多いのだが、千葉駅ビルとその周辺の再開発が進んでいて、建物の所有者がOKしないらしい。いずれこのバーのある長屋のビルも、取り壊しになるのだろう。
同僚で元部下の調子が悪く、一週間ほど静養させることになった。期限のある仕事を一部引き継いている。別な同僚は異動で月末を待たずに抜けるから、彼の仕事も一部受け持つことになった。何やらこまごまとした仕事が増えてきた。まあ正直、彼らよりは上手に早く仕事ができる自負はあるのだ。

23日は本部の送別会だった。家に牡蠣が届く日だったので、早めに抜けて帰り、カミサンと蒸し牡蠣にして食す。

24日は引継ぎ打ち合わせの後で、今度は我が部署の送別会だった。
私より一年若いシニアは実家のある盛岡へ、若い同僚は北海道の研究所へ、しかも転勤をきっかけに彼女を口説いて結婚というからおめでとう。

二人抜けて、4月から一名補充があるものの、旧務も引きずってくるそうなので、調子を崩した同僚もいる中では、こりぁ大変なことになりそうだ。
三連休を我が音楽環境の整備に費やして、春分の日の月曜日はカミサンが市内で研修会とか。私はほぼ一日、ハノンの1番を弾き、イマジンを練習していた。

Youtubeでイマジンのレクチャー動画を見つけて、とりあえず簡単なものにトライ。タドタドしくながら弾けるようになって、あとは別な動画を参考に和音を工夫して音を厚くしていけば良いようだ。
イマジンは比較的簡単なので何とかなったけれど、まだまだ一日二日では我が左手4・5指はクニャクニャである。練習あるのみ、指に筋肉をつけ神経を活性化させればならぬ。

夜は、上の息子の誕生日で、船橋のイタメシ屋に家族で集合。美味しく楽しい時間だった。
けれど、ゲームの話しか無いのか息子等よ。確かにニンテンドーのスイッチは、よくできたハードではあるらしいけれど、、、
定年後の三度目の契約更新を迎えようとしている。
こんな筈ではなかったのだが、何か満たされぬままに隙間を酒で埋めて日々を送っている。何なのだ、この焦燥感は。

顧みるに、定年半年前の秋にカミサンの病気が明らかになり、引っ越しと共に私が炊事当番となった。会社ではようやく陣容が整って、この際だと大変な思いをして新規プロジェクトを立ち上げて、承認を得たらこれ幸いと部下にそのまま引き継いで、もう仕事に目を向ける余裕がなくなってしまった。本気で進めてきたもう一つの製品開発は犠牲にせざるを得なかった。

シニアになって一年目は、そこそこ暇ではない程に仕事はあり、家では炊事当番で時間も取られてあっという間に過ぎた。楽しみもあるのだけれど。
二年目はようやく来た新しい上司の下でややヒマになり、しかし今度は年老いた母のサポートで溜まった有給休暇を使い果たすほどに札幌通いだった。随分とJetstarには貢献したものだ。

で、今に至るのだが、これは現職時代に思い描いていた定年後の私の姿とは違っている。もう少し優雅であったはずなのだ。カミサンの事と母の事は仕方がないが、家事の合間の少ない空き時間が酒とYoutubeでは問題がありすぎる。

思い起こせば、私の趣味は音楽鑑賞とオーディオであり、定年後の夢は「もう一度ピアノを弾くこと」だった。
高校入試前まではピアノを弾いていた。中学までは学校の式典ではいつも校歌を弾いて(弾かされて)いたのだ。ソナチネからソナタアルバムに届いたころに、高校受験という格好の言い訳ができてピアノをやめてしまったが、その後もピアノを続けた妹が音楽大学に進みピアノ教師になったので、俺が定年になったら教えろよと頼んでいた。早くに死んでしまったので叶わずにいたわけなのだ。
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今、私の音楽環境は、卓上のPCにつないだスピーカーである。便利だが音は知れている。今回、これではいかんと居間にCDラックを移設して、ちゃんとしたCDプレーヤー(DENON製、made in ベトナムだった)を買ってきた。流石に素晴らしい音がするのである。
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そして、ローランドの電子ピアノも買った。とりあえず運指の練習にハノン教本から始めたわけである。特に左手の小指と薬指が力がなく動かない。練習あるのみだナ。

イマジンを、明日にかける橋を、キャンドル インザ ウインドを弾けるようになりたい。目標はショパンのポロネーズだ。ここまで行ければ本望。ラ・カンパネラやラフマニの二番まで弾ければとは思うが、これは夢としておこう。
前橋地裁での原発避難者訴訟で、事故は人災だったと評価された。
電源喪失がメルトダウンとその後の水素爆発の原因であり、電源供給に配慮があれば防げたとの司法側の判断は科学的に正しい。
裁判官は、素人だろうによく勉強するものだ。

その後の国の責任云々は、私はその方面の知識がないので保留。しかし、事故は人災だった事が明確に示された事は評価したい。分かっている人は分かっていたはずなのに、タカをくくっていたのであるから、その罪は追及されねばなるまい。企業内技術者の責任というものである。
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今日は朝から東大弥生講堂、飼料用米のシンポジウムを聞いてきた。主として輸入トウモロコシ代替の穀物原料としての「飼料用米」であり、これはどちらかと言えば鶏豚向けの利用技術。私は牛屋なので、取り組んでいる実も茎葉もすべて利用するホールクロップサイレージ:WCSとは方向性が異なる。モミ米を砕いて加水してサイレージにするソフトグレインサイレージ:SGSの技術もあるのだけれど、あまり言及がなかった。
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今日こそはと、朝から千葉西税務署に向かう。三代王神社とか言うバス停で降りて歩く。とうとう神社はどこにあったのか判らない。

列に並んで30分程で提出を終え、控えに受領印を押してもらう。口座振替なので、あとは銀行口座の残高を注意しておればよい。
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幕張駅まで歩いてみた。初めて利用する駅である。

小雨の降る寒い日である。千葉港では海風も強かった。
事務所では作表ソフトで販売実績の解析で遊んでいた。あと半月で今年度もお仕舞だ。今年度見込みを置いて、担当する事業のここ十数年の推移をグラフ化し悦に入る。どうだ、我が成果が見事に表れているではないか。

異動する若者から、少しづつ引継ぎを始めて、片付け物などする。こうした業務のインフラ整備は、私が見るしかないのであろう。
13日 我が部の若者が異動になるのだが、交代要員は前職を引きずっており当面は全力をこちらに向けられそうもないそうだ。実質的な人員減ではないか、そんな人事があるものか。

お陰でシニアの私にも営業の手伝いが回ってきて、まあこれはヒマつぶしになるからイイのだが、係長の負担が増すばかりで心配になる。事業は伸びており、新しい事も始めているのに、ナンでコーナルの? バランスを欠いた采配である。

14日 昨夜まとめた確定申告を提出しようと、事務所を抜けてポルテ号を走らせたのだが、千葉西税務署は駐車場に入る車の列が次の交差点まで並んでいて、これは諦めざるを得ない。税務署は車で来るところではないのだ。

明日が確定申告の最後の日、少し甘く見ていたナ。
プライベートでバタバタで、なかなか申告書類を作ることができなかった。
明日、自転車で向かおうかと思えば、天気予報は雨、あるいは雪である。バスで行こうかしらね。
11日 10時過ぎの空港行バスに乗り、のんびりと成田空港。
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快晴の千葉である。幕張のホテルを巡るうちに、バスは外国人で満員となった。やや肌の浅黒いアラブ系の方々が多かったようだ。
夕方に、母が入院する病院に到着、母を見舞って実家に泊まる。

12日 母に頼まれたものをいくつか持ち出して、実家はセコムして、再び病院まで。
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近所で食したラーメンが意外に旨かった。見舞いを終えて、バスで新千歳空港。帰路のJetstarは、子供連れの外人客が多く、その騒ぎっぷりに閉口する。
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帰宅が遅くなったので、到着駅にカミサンを呼んで居酒屋に引っかかり帰宅。
よーし、明日からは通常の一週間をこなしてまいる。
6日 前月の販売実績の速報日、大変よろしい。
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この時期限定の寒締め(縮み)法蓮草は、甘くて食べごたえあり。

7日 雑務を整理しつつ、午後からコンプライアンスの会。

8日 10時の便で成田から千歳。母を見舞って、実家のカギを忘れたので仕方がない、早めにホテル入りしてビールを飲む。

9日 江別の研究所で打ち合わせ、13時の便で成田。少し飛行機が遅れたので、都内の用事に間に合わないとポルテ号を駐車場に置いたままで浅草でビール会。取引先の若手にビールを飲ませつつ、楽しいひと時だった。

10日 朝イチで成田空港に行き、ポルテ号を取り戻して出社。いろいろするうちに定時で帰宅。何と明日からまた札幌だ。倒れぬように、自力での移動は極力控えておこう。
日曜日 カミサンとの都内散策を発案す。
掃除して昼過ぎに家を出る。まずは四ツ谷3丁目まで行って喜多方ラーメンを食し、外堀公園を目指して、一度来てみたかった新宿歴史博物館。

夏目漱石など明治の文豪が集ったことで有名な界隈、その後の大正、昭和の戦前戦後。都市近郊の田舎が、繁華街に変貌を遂げるこの街の歴史が面白かった。

都市は人が群れることで形成される。その時代の、そこに住む民衆の欲望と訴求熱量の蓄積だ。今の日本は成熟社会から老成社会に移行しつつあるが、当時の若き日本の匂いを感じることができた。

外堀公園を飯田橋まで、初めての経験で靖国神社、再び飯田橋で青森県のアンテナショップで買い物をして、中央・総武線で千葉まで戻ってきた。

千葉のエキナカの立ち飲み屋に引っかかり、帰宅して仕込んであった鯖の塩麴を焼き、買ってきた長芋を鮪と合わせて夕食。
土曜日、近所のイオンの魚屋の対面販売で、旨そうな「かすべ」の切り身があった。三切れで600円は高かったけれど、かすべは我が北海道の道民食である。醤油と味醂で煮てよし、煮てほぐして酢味噌で和えるのもよし、私のソウルフードの一つだ。千葉で「かすべ」なんて、初めてではないかしらン。

「かすべ」とはエイである。らしい。淡白ながら滋味豊かで、旨い魚である。味醂を利かせて醬油味で煮て、夕食としたわけだ。

身の旨さもさることながら、コリコリの軟骨を味わうのが醍醐味である。で、つい調子に乗って、硬い部分にまで歯を入れてしまった。前歯の差し歯が折れて抜歯して、そこには両側に接着して持たせた仮歯があることを忘れていた。

ゴリッと違和感があり、軟骨に私の仮歯が負けてしまったのだ。
上手に料理したはずの「かすべ」にカタキを取られ、喋ると前歯から空気が抜ける土曜日の夜である。
11時まで、あたふたと仕事して、来週の札幌出張の日程を決めた。午後から四ツ谷で打ち合わせ、天気が良いのでウインドブレーカーはリュックにしまって歩く、ちと寒い。
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少し早いので飯田橋で降りて、外堀公園を歩く。向こうには東京理科大、こちらの法政大はドでかいビルディング。
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堀をまたいで市ヶ谷駅の上を走る水管橋、昔は橋を架けたのね。かなり歴史がある代物のようだ。
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おや、こんなところに八幡宮とお稲荷さん。そのまま靖国通りを歩いてモノモノしい防衛省あたりを回れば、30分が消化できた。

打ち合わせでは、来週に技術者氏を飲み会に誘いだすことに成功し、よーし先方の技術者氏と引き合わせて意見交換させてもらおう。こんな提案ができるのも、年の功であるなぁ。

雛祭りだというので、いつもとは違った料理にしようとて、刺身用だという冷凍赤海老とイナダ、千葉産の蛤を買って帰宅。海老はあまり鮮度が良く見えず、仕方がないので殻でとったスープに放り込む。海老の殻、カニの殻、蛤の出汁のでたスープに、マッシュルームとセロリとパセリを放り込んだら、まあ何と芳醇なこと。

イナダとカニとホタテも、刺身のつもりだったが、カミサンの発案で柚子胡椒ドレッシングでマリネで食べたら、白ワインとの相性が良かった。
27日 前週は休みが多かったから、残務整理でバタバタのうちに昼に至る。午後からは研究開発の会議に出席した。この報告だけを聞いていると、我々がサポートしたこともすべて研究員の手柄だな。まぁいいか、業績が伸びれば良いのだ。

28日 どうやら今月の我が部門の販売実績は極めて良好である。これは正直に嬉しい事だ。
夕方から歯医者に行き、先日キャンセルした分を改めて入れてもらう事とした。
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3/1日 ああ、3月に突入だ。朝礼があった。社長の言う重い荷物とはいったい何であろうか。謎だ。
4月発売の新製品のチラシ編集が佳境に入る。夕飯は、ネットで衝動買いしたカニで、カニ酢とカニ玉。先日行けなかったカニ専門店の敵を取ろうとしたのだけれど、これはあまり良い買い物ではなかったか。

2日 午後からの雨で、ルイガノ号を置いて電車通勤。
チラシの文字校正を終えて、ゴールが見えてきた。何だかんだと忙しく一日を終えた。
団地の大規模修繕も終盤で、廊下がペンキ塗りたて。歩き難し。終わる日が待ち遠しい。
家の掃除を済ませたら、この一週間の食料品を買い込んできた。
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ロマネスコが安かったので、今日のイワシのパン粉焼きの付け合わせにしてやろう。

それにしても毎度見事なフラクタル形状。本人もさぞかし面倒だろうと思いきや、ウィキによれば「このような構造を生成するために必要な設計情報も、比較的単純な手続きの再帰的な適用で済まされるので、遺伝情報に占める割合もごく少量で済むものと考えられる。」とあった。なるほどそうしたものか。

24日 またもや朝3時起きで成田空港、6時発のJetstarに乗り込んだところで具合が悪くなり、じっと耐えていた。悪寒がこみあげ、脂汗が出て、からあくびを繰り返す。同行したカミサンによれば顔も血の気が引いていたとかで、軽い貧血状態だったのだろう。このところ無理をし過ぎて、体がついてこれなかった様だ。私も歳をとったものである。

何とか回復して新千歳空港、実家で母の入院準備、14時めがけて市内の病院に向かった。かなり老朽化した建物だが、スタッフはとても親切で、年寄りを扱いなれている。聞けば患者の平均年齢は80数歳とか。

25日 実家に泊まり、再び足りない荷物を持って見舞いに行く。早めに終えて、正月に顔を出せなかった月寒の叔母宅を訪ねた。下の叔母は年末に膝の人工関節手術を受けたそうで、来週は別の足で入院予定。上の叔母も、体のいたるところが痛くて辛く、リハビリに通っているとかで、皆して歳をとったと盛り上がった。?

成田空港に置いていたポルテ号で9時過ぎに帰宅、バルサとチャグムの活躍を見て就寝。
22日の朝は3時に起きて成田空港、6時のJetstar便で新千歳空港、JRで札幌、地下鉄で真駒内、バスには時間があるのでタクシーで10時には実家到着。タクシーには持ってもらって母から診察券と健康保険証とお薬手帳を預かり、再びタクシーで眼科と耳鼻科。

本来ならば本人が受け取らねばならぬ処方箋だが、代理で私が受け取って調剤薬局。薬をゲットしたら平岸に移動して、母の主治医に相談。短期入院の目途をつけて、途中のコンビニで昼飯のサンドイッチを買って、母と遅い昼食。

自宅で養生して回復して欲しかったが、もはや限界であるらしいので緊急避難の入院を決めた。ここで持ち直して、再び自宅で暮らせるところまで回復して欲しいものなり。

夜の便で成田に戻り、明日の出張に備えてこのまま成田に泊まる。勿論これは自腹の宿泊だが、5千円の東横インは有難い。
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23日 レインシャワーとか言う新設備。お湯が真上から降ってくるのはイイ感じだ。
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成田の東横インは、大規模増設工事中である。今日も見渡せばほとんどが中国人旅行者だったようだ。

東関道から圏央道を移動して美浦トレセン。販売店の営業氏といろいろと話して戻る。
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そうそう、遅い朝飯は、発酵の里「神崎」の発酵定食、デザートにはファミマのヨーグルト。疲れた体には発酵食品だな、うん。

車を自宅に置いて、ルイガノ号で出勤。メールに対処して、雑務をこなして、明日はお休みします。来週からは、安定して仕事に向かえそうだ。
今日も風が強い、そして気温も低い。
雑用を片付けるうちに、月次ミーティング。来月に、部内のお二人が転勤となった。補充はあるのだろうな、私の考えることではないか。

仕事の合間に、明日のスケジュールを組む。翌日の昼前には隣県に用事もできたので、こりゃまたハードなことになった。気を引き締めてまいろう。

今夜はカミサンが友達と夕食、私は飯を作る必要がなくなったので、寒風に吹かれる帰路にラーメンで温まってきた。

明日は3時起きだ、もう寝ます。明日の予定が無事にこなせれば吉である。
いつも通りに起きて、しかし早めに朝を済ませて、8時半の同僚との市内待ち合わせに車を走らせる。ピックアップして、市内の農家さんで写真撮影。同僚を最寄り駅に送って、私は成田空港を目指したまでは予定通りだった。
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しかし、第3ターミナルに着いてみれば我が便は欠航。到着地の大雪とのこと。
キャンセル窓口に並んだが、今日と明日の便は満席で、となれば仕方がない、預けたポルテ号に戻って自宅まで戻ってきた。高速代と駐車料金の数千円を払い、午後休を取り、まだ私は千葉に居る。
成田でいいだけ砂嵐に吹かれて髪の毛はザラザラ、これはまったく理不尽である。
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実家の母にはケアマネさんに打ち合わせに行ってもらい、私は明後日の早朝便で移動することにした。会社事務所に確認すれば、折悪しく先日すっぽかした相手先からは23日のアポがメールで届いているらしく、では明後日は日帰りせねばならぬようだ。

人生ままならぬ、煮詰まっているが、ここは持ちこたえて何とかするのだ。
13日は、母の整形外科に同伴、レントゲンではどこにも難は認められず、ところがその夜に眩暈がしたらしい。翌日起きれば今度は脳神経外科に連れて行けという。
尻餅をついた際に、壁に頭を打ち付けていて、タンコブができた。母の周囲に、頭を打ってから一か月後に硬膜下出血が判明した方がいたらしく、これを心配している。
私としては、足が痛いという母なのに二日間も検査で広い病院内を歩き回ることによる体への負担が心配なのだが、ここは本人の言うとおりにしてやろう。

14日は大事を取ってタクシー移動と、病院内は車椅子を押した。
で、やはり何ともなかった。頭を打ったぐらいでいちいち硬膜下出血していては、人類は既に死に絶えている。まあ、不安の連鎖に襲われている母には、納得すべきことだったのだろう。

15日 滞在が一日延びて、水曜日の午後に成田から出社。新製品ロゴの作業にバタバタして、周囲に迷惑をかけてしまった。

16日 バタバタと仕事をしつつ、午後からは来客対応。もうこのメーカーさんとも25年の付き合いだ。言いたいことは山ほどあれど、私も大人になったものだ。
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17日 聞きたかったセミナーは昨日終わっていたけれど、業務のネタ探しに国際展示場の健康博覧会。終われば機能性原料の取引先と打ち合わせ。ちょうどよい機会だ、神田のヨナヨナでビールを飲みながらあれこれ話して有意義であった。

18日 あっという間の土曜日、昼前に母から電話、ますます足が痛んで立てなくなった由。言わんこっちゃない、検査のハシゴでかえって足腰を痛めてしまったようだ。これは困ったことになったが、土日は現地のケアマネさんも病院も休みであるので、どーしようもない。
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既にJetstarは満席、移動は明日以降だ。カミサンと蕎麦を手繰りて市内探索。
夕方には下の息子を呼んで、稲毛海岸のビール屋で飲み、我が家に戻ってまた飲む。

19日 昨夜は仕事が忙しく合流できなかった上の息子が来て、皆で昼飯を食う。母に電話して、月曜日の午後からの帰省とした。ケアマネさんと話して、必要ならば母の入院に向けてあれこれせねばならぬ。どーにも困ったことになってきた。
11日の夜に札幌の母から電話がある。先月尻餅をついた後遺症が今頃出たのかもしれず、左足をつくと痛んで歩けぬとか。月曜日の通院に付き添うために、急ぎ日曜日に帰省することとした。

大急ぎで我が家の掃除をして、カミサンに成田空港まで付き合ってもらい、立ち喰い寿司を食べたらいつものJetstar。雪まつりの最終日のため、まだ料金は高めだ。
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流石に寒い札幌、しかし日本海側を襲った大雪は、今回はここではあまり雪を落としていないようだ。

さあて、これから整形外科まで。もはや老朽化した人工関節がどうにかなっていなければ吉である。バリアフリーの実家では、歩行器を押して歩けば何とか生活はしていけるようであるけれど、、、

検査の結果では、レントゲンに写らぬほどの腰部椎骨の微小な圧迫骨折が疑われた。背中を叩けば痛い場所がある。多分そんなところだろう、何とか歩けてはいるのだから。

とりあえず重大な事にはならず、一安心だ。
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11日の土曜日 風は冷たいが快晴でお散歩日和。カミサンが行った事がないという千葉寺を見るべく、モノレール県庁前駅からテクテク歩く。れん月で蕎麦を手繰り、後ろの丘を登れば、創建709年というウルトラ古い千葉寺がある。見事な山門、大銀杏の木、周囲に無造作に広がる墓所。

千葉寺町、葛城と抜けて、更なる丘の上にそびえる千葉大医学部を目標に亥鼻、旭橋から都川を渡って本町公園で一休み。ここまでくれば市街地も整備されているが、千葉寺から亥鼻あたりまでは流石に昔から人が住んでいるだけあって、車も入れない道が、しかも直線ではなく、都度に枝分かれして、ジモティでなければすぐに道に迷ってしまう。
千葉はぐるりと周囲に山がないので、どこを向いて歩いているかがわからなくなる土地柄なのだ。

近所のコンビニでカップ酒とつまみを買ってきて、公園のベンチで一杯やる。公園の看板によれば、この都川が大昔は市内をグルリと大回りして池になっており、椿森あたりで対岸に渡ったらしい。更級日記に記載があるという。なんでも上総の国府に任官していた父の任務完了により、寛仁4年(1020年)に作者が京に戻る途中で、大雨で増水した川に二日間の足止めを余儀なくされたとか。これまた古い話である。

あの更級日記の作者が少女時代にここを通ったのだ。おそらく道すがらに千葉寺にも詣でたことだろう。京の都までは、いったい何日を要したのだろう。今度読んでみようかしら、更級日記。今の時代だ、現代語訳などもあるのだろうな。