今年一年の出来事を書き留めておく。

母の通院、三度の入院と二度の退院で、仕事を絡めた札幌行きは今年一年で実に28回を数えることとなった。56回も飛行機に乗ったのは新記録だな、多分。
LCCがなければ破産している、Jetstarに感謝。それでも一回3万円以上はかかっているだろう、×28回、うーむ。
仕事に託けた時には、社費で行かせてもらっているのだが、、
そして、二つ歯のインプラント手術。これも大いに金がかかった。

今野敏をたくさん読んだ。任侠シリーズでこの作者を知り、警察小説の名手とてこれらを読み漁り、ちょうど孤拳伝も文庫で再販、STシリーズは読破、安積班シリーズはネットで全巻取り寄せた。

香月日輪の妖アパと三人悪のシリーズ、異世界居酒屋のぶシリーズ、そしてそろそろ読了する武揚伝、今年は移動時間が多かっただけに本が読めた。

二週間に一度の札幌通い、土日が休めず事務所に出れば体が辛い。年をとったなと思う。休日に自転車で市内を走り回る時間が取れないのも、体にはよくないようだ。

貯まっていた有給休暇は既に使い果たし、欠勤扱いも三日。これ以上休めない中で、さて母の退院後はどうなることやらだ。

1月 年末のカミサンの入退院で、久しぶりに札幌には戻らず千葉で正月を過ごす。中旬には出張がてらに母の顔を見に行く。月末には最初のインプラント手術、奥歯に土台を立てた。

2月 母が、通っていたお琴の会で尻餅をついたのが1月、で足に痛みが出てきて、整形外科やら脳神経外科を受診するために帰省。翌週には、痛みに耐えられないとて札幌市内の病院に入院させるべく再び札幌へ。

3月 同僚が二名転出した。ローランドの電子ピアノを買った。通っていたスタンドバーL&Jが閉店、聞けばマスターは年前に他界されていた。月末には前歯にもインプラントの土台を立てた。土日に二度、札幌に母を見舞った。

4月 母が退院した。同僚が体調を崩し長期の休暇に入ったので、職場は大変なことになった。とりあえず停滞していた販促物の作成など支援する。奥歯のインプラントに仮歯を立てた。うーむ顎の骨で噛んでいる感ある。

5月 母の通院やら、実家の畑仕事やらで、この月は三度にわたり計12日間も札幌にいた。仕事もあったのだが。
奥歯のインプラントを完了。長年使った洗濯機と冷蔵庫を新調、長男から夫婦箸を貰って喜んだ。

6月 実家から戻って、翌日の朝に母からヘルプあり。立てなくなったらしい、会社を休んで飛んでいく。結局 夜まで思わしくなく、救急車を呼ぶ羽目になった。脳神経外科に緊急入院。一週間ほど休みを取って対処した。月末にも見舞いと転院に向けての打ち合わせなどする。カミサンの誕生日あり、大台に乗ったね。

7月 母を老人病院のリハビリ病棟に転院させた。翌々週に医師やケアマネさんとのカンファレンスがあり、その後の見舞いを合わせて三度札幌に通う。結局は骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折だった。札幌市内のマンションを貸していた方が退去、新たに募集せねばとハウスクリーニング手配などした。

8月 不動産屋とマンションの管理契約、母の一時帰宅にカミサンにも助けてもらい、墓参りもこなす。今年もホッカイドウ競馬の冠レースあり、楽しんで戻る。前歯のインプラントにも歯を立てた。ポルテ号にカミサンが片手でも運転できる補助具を装着。我が愛車はルイガノ号からジャイアント・エスケープ号となった。

9月 大規模の太陽フレアが報じられた、が何事もなし。母が老人病院から退院、やれやれ。しかし、戻れば我が社は大変なことになっていた。野党のスキを突いたらしき訳分らん解散に至る。

10月 中旬に母から立てなくなったの報。整形外科に連れていき、再び先月までいた老人病院に再入院となった。腰椎の3番と5番に続いて、今度は2番とか。母は体を動かすたびにイテテテを繰り返す。またもや二週間に一度の札幌通いが復活した。
総選挙では野党に動きあり。すわ大連合か!で与党をビビらせたのも束の間で、排除しますの一言で与党の圧勝。呆れた。

11月 二週間に一度の見舞い(と洗濯物の受け取り)で札幌。仕事では、時節柄で飼料イネ関連の研究会やらで忙しかった。既に二度の忘年会あり。

12月 年末で取引先への挨拶が忙しい。63歳の誕生日を迎えて、親父様よりは長生きしたぞ。入社同期の忘年会とカミサンとの忘年会。クリスマス前に母の見舞いは済ませて、年が明ければ中旬にカンファレンスと退院の準備が待っている。今年も正月は千葉で迎えることとなった。
今日は仕事納め。
昼まで実績データをまとめるなどして、昼飯は外に出る。
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このところ厳しい冷え込みだ。昼休みの散歩の途中、船着き場でカモメが接近してきた。しばし語らう。?

午後は周辺の片づけ、机の拭き掃除などして、16時から会社の親睦会の総会。終われば、この一年ご苦労様の乾杯だ。
ビールを二杯ほど飲んだら、早めに帰宅した。
さあ、今年の仕事も終わったゾ。

入社以来初めての、有給休暇を使い果たして、母のサポートに追われた一年だった。
朝から八丁堀の取引先に向かい、年末のご挨拶。
終わって東京駅まで首都高をくぐってテクテク歩くと、京橋辺りで蕎麦屋に遭遇。ちと早いが鰹節屋の直営と言うのが面白くて、入ってみた。
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取り立てて旨い蕎麦ではなかったが、おかかご飯はユニークだ。ソソラレタが糖質制限の身にダブル炭水化物は厳禁である。

事務所に戻り、午後からは出版社の方と来年の広告宣伝の打ち合わせ。新製品を二つ控えているのだ。
23日 カミサンにも付き合ってもらい、母の見舞い。
お決まりの成田空港の立ち食い寿司に喜んで、その後はJetstatで新千歳空港。札幌駅からバスで母の入院する病院へ。
洗濯物を受け取り、夕飯の材料を買って実家に泊まる。

洗濯はカミサンに任せ、私は夕食の支度。とは言っても総菜をレンチンしただけなのである。あっ、ヒラメは切ったな。
ブラタモリを見て、守り人を見る。

24日 洗濯物を回収して、母に読ませる本を選んで、再び母のもとへ。妹の旦那と長男も見舞いに来てくれた。大晦日と元日は我慢してもらって、年明けの一時帰宅とカンファレンスの打ち合わせなどする。

そろそろ二度目の退院が見えてきた。
今度は、すぐまた入院にならぬよう、事前に準備を万全にしておきたい。すくさまもう一度の入院などに至れば、私には仕事をやめる選択肢が浮上する事になる。
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戻った成田空港では、近所の幼稚園の作成らしきクリスマスツリーが迎えてくれた。

武揚伝の第二巻を読了。
最後の将軍たる徳川慶喜の優柔不断と、勝海舟の実なき大言壮語に振り回されつつ、徳川家家臣として任された海軍を率いる責務を負って、実直なる武揚の働きは怒涛のうちに二巻を終える。

いささか勧善懲悪が過ぎる感ありとて、しかしこの様な近代史は初めて也。実に鮮やかに、この時代を見せてくれる。こんな教科書があれば歴史の勉強も面白かったろう。
19日 新幹線で武揚伝の第一巻を読み耽り、京葉線に乗り換えて読了した。うーむ読み応えがある。激動の時代に雄々しく生きた男の物語。まだ触れられていないが、我が国の酪農にも深く関わった人物である。
午後からは残務整理。カミサンは忘年会なので、帰宅して一人ポトフなど作りて食す。
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20日 朝イチでポルテ号を点検に預ける。
ようやく新製品の名前が決まった。さあ、巻きで仕事をせねばならぬ。まずはロゴタイプのデザインだ。

今夜は私が忘年会。これで三回目だな。入社同期が前年と合わせて8名集まり、一番年長だがシニアで暇な私が幹事役。もはや社内でもいろいろな場所に散り、職位も様々だが、忌憚なく話せる仲間である。

21日 午前中は部内の月次ミーティング、午後からは販売プロジェクトの成果発表、販売のロールプレイングは抜けてきて残務整理。今夜は久し振りにカミサンと外食、まあ老夫婦での忘年会だ。

22日 新製品を含む総合リーフレットの作成に取り掛かる。私のここ数年の仕事の集大成とも言える販促物で、これは気を抜けぬ。良いものを作りたいと意気込んでいる。

夜は、キャベツと豚肉の炊きもの、葱焼き、蕪の漬物など。
いつもの通勤時間に、反対方向の電車に乗る。
東京行きは踏切の安全確認とやらで、10数分遅れた。東京駅からは久方振りの東海道新幹線。
佐々木譲の武揚伝、第一巻に取り掛かった。
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雪化粧の富士山を拝みつつ、京都で折り返して大津。レンタカーを借りて栗東の販売店に年末ご挨拶。
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大津に戻り、車を返して、浜大津までテクテク歩いて、京阪電車で京都市内にアプローチ。四条大宮の定宿に泊まっている。

栗東トレセンには酒屋があって、その名も「勝馬」なる酒を売っていた。近所の酒蔵に作らせた縁起物の日本酒である由。しばし悩んだが、一升瓶を下げて新幹線で戻るのもナニだと諦めた。車で来ていれば買い求めたかもしれぬ。
16日 63歳になった。馬齢を重ねている、午年だけに。
土曜日なので寝坊して、掃除して、買い物がてらにカミサンとラーメンを食べて戻る。午後からは猛然と誕生会の料理を作る。

叔母さまから頂いた明太子でタラモサラダ、豆とジャガイモにいろいろ野菜の温野菜サラダ、寒締めほうれん草でキッシュ、メインは牛ランプ肉のステーキ。息子らが来てくれて、飲んで食べて語らって、楽しい63歳の誕生日である。

62歳ですい臓がんで他界した父、症状が出てからは早かった。何とか長男の顔を見せることができたのは、もう30年以上前である。

父より長生きしたことになる。こうなれば亡くなった義父の決まり文句が耳に残っている。母が生きているうちは死ねない、この事であった。
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17日 朝は一日遅れの苺のタルトでハッピーバースデー、昼は残り物野菜でソースを作りパスタ、でカラオケ屋に出掛けた。
ビールを飲みつつ、ピカチューのベーコンピザを食べつつ、歌う。
寒風が吹く中を、息子らと別れ帰宅。明日は京都、さあオヤジよ、12月後半に向けて備えるのだ!
今日もとても冷え込んだ朝。午前中は残務をあれこれするうちに、午後イチで会社創立記念日のセレモニーと、優秀事業所・社員の表彰式があった。
その後は事務所を出て、取引先に年末ご挨拶。
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中山競馬場付近の取引先を目指せば、イヤでも目に付く真ん丸の道路。行田団地である。
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その昔、ここには軍の無線塔が立っていた。かのニイタカヤマノボレも、ここから発信されたと言う。

大正4年の稼働とか、当時の人は現代のネット情報の濃密さを知れば驚くだろうな。軍事用のみならず、本土を離れた船舶乗組員に大相撲の結果を知らせたなどの記録も残っているそうな。

14日 美浦の取引先までひとっ走りして戻る。カミサンは女子会なので、帰宅すれば一人寂しく鍋物をつつく。寒波襲来の日々が続いている。
久々の休日、カミサンとノンビリ朝飯として、昼は一蘭までラーメンを食べに行く。近所のスーパーで買い物をして、研究所の柑橘を収穫に行った。
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夜は鰤しゃぶの後で、牡蠣を鍋にして温まる。余した牡蠣はオイルで煮て瓶詰めとした。

収穫してきた鬼柚子を浴槽に放り込んで、香しき柚子風呂。
幸せのうちに就寝の予定である。Win10の更新作業が長かった。
7日 早朝から千歳駅、沼ノ端駅まで移動して車で拾ってもらった。めったに降らぬ雪が苫小牧から日高に降ったばかりとかで、悪路を想定して早めの移動としたのだが、結局は浦川まで路面にはなかったね。
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販売店さんらと昼飯を食い、競馬の関係施設を見学させていただいて、南千歳から札幌。ススキノの定宿に着いたのは午後7時。ビールを飲んで、さっさと就寝した。

8日 病院に母を見舞い、洗濯物を受け取り実家で洗濯。その他、持っていくものをまとめて、不在郵便物を受け取りに南局、年賀はがきを買う。次いでミュンヘン大橋のコーチャンフォーで、母に読ませる本を買い、頼まれていた三年日記、スイスへ送るクリスマスカードとカレンダーなどを買って母のもとに届ける。

お医者様と介護士さんらとのカンファレンス、残す一か月と少しの入院期間とその後について打ち合わせた。

夜は取引先とススキノで打ち合わせと飲み会。札幌市内は夕方まで雪がかなり降った。温度が低いので路面は凍ったまま溶けず、その上にフワフワの新雪が乗る最悪の道路状態。歩行者は滑って転ぶ、車は交差点で一度停まると発進できない。

9日 洗濯物を収穫して、三度 母のもとへ。今日も道路状況は最悪で、バスも車もノロノロ走る。バス移動を諦めて地下鉄とJRで新千歳空港。空港内の郵便局で、カレンダーをEMS:国際スピード郵便で送る。スイスまで2600円也。

Jetstarで成田空港まで、待ち時間と機内ではひたすら今野敏の孤拳伝3に没頭する。相打ちとは、腕を上げたなロバート・ソン。

ポルテ号を受け取って東関道を戻れば、千葉北ICでまさかの大渋滞。ゆったり戻って夕飯を作るはずが、バタバタと拵えて席についてTVをつければブラタモリの時間だった。