午前10時に米原駅で営業マンに拾ってもらい、お客様に新製品の感触を聞きに行った。
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総じて好評は、良かった良かった。開発側の思惑通りの性能を見ていただけたようだった。

昼過ぎに再び米原駅まで送ってもらい、新幹線こだまで名古屋、のぞみに乗り換え、帰宅ラッシュの始まる前に東京駅を通過できたのはラッキーであった。

今回改めて京都の地下鉄を利用して違和感、周囲の人波に乗れず、これは皆の歩く速度が遅いのだ。大阪人はイラチで速足だと聞くが、京都人は優雅なのかしらん。
新幹線で東京駅に到着して歩きだして、これこれ、この速度感だよ!と気が付いたのだ。東京駅ではスムースに歩けた私である。

も一つ、国道一号線を走っていると両脇にやたら回転すしの店が多かった。戻った京都駅でも回転すしの店は昼食時間を大きく外れていても満員だった。京都や滋賀の方々は回転すしがお好きなのかもしれなかった。新発見だが、要再検だ。

そして、街歩きでの違和感。京都はやたらと外人が多い、中国人は多いが白人の割合が非常に多い。あれだけ背のデカい人種が目につくのだから、大勢の観光客が流入しているのだろう。
対してジモティは総じて背がコンパクトな印象、そして顔つきが関東圏とは異なる。男の人など裃やチョンマゲがさぞ似合うであろうと思わせる人が多数。私ら北海道人のような全国混交DNAではなく、地域の血が濃いのだなぁと思わせられたのだ。
ポツリポツリの雨の中を阪急の四条大宮駅まで歩く。
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烏丸で乗り換えて京都駅、JRの二駅で大津、駅裏に出て少し歩けばいつものレンタカー屋がある。
栗東までの行き帰り、昼過ぎには車を返して、午後は空き時間なのでゆっくり戻る。大津駅から琵琶湖の湖畔まで下りて、京阪電車の浜大津駅から京都に戻った。

烏丸の駅で間違えて快速に乗ってしまったらしい、次の駅には停まらず、桂まで運ばれてしまった。不覚である。
どうせ時間はありすぎるので、では乗り換えて嵐山まで行って、嵐電で大宮まで戻ってやろうと企んだ。
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ところが着いた阪急の嵐山駅と嵐電の嵐山駅は隣接していない。何と中之島の先の桂川を渡った向こうなのだった。

蒸し暑い中をじゃりじゃりと歩けば、おおこの橋は何処かで見たことがあるぞ、多分。渡月橋とか言うらしい、これを見て、渡っただけでも寄り道した価値があったかもしれない。

15分ほど歩いて、たった一両の電車に乗り、この路線はやたらと短い間隔で駅があるものだ。観光名所も多いらしく、お客もぞろぞろと入れ替わる。
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大汗をかいてホテルに戻り、シャワーを浴びたら、ワイシャツや下着を洗濯して干す。早めのビールのお世話になって、今日は旅先だがノンビリさせてもらおうと考えている。17:30までは、業務の携帯電話は受け付けます。
25日は日曜日、家の掃除をしたら料理に取り掛かる。
昼には息子二人も駆けつけて、カミサンのお誕生会が華々しく開催された。バースデーケーキを食べてから、茹で卵と豆腐でボリュームアップしたバンバンジーサラダ、鶏むね肉のガーリック焼き、初めて作ったジャガイモのニョッキと空豆には、息子に買ってきてもらったゴルゴンゾーラチーズでソースを作る。

ビールをたくさん飲んでから、白ワインを二本空けて、そのあとは日本酒になって、庭のバジルでカプレーゼや、隠元豆のお浸しなど作った記憶がある。皆していいだけ飲み食いして、酔っぱらって、息子らが帰ったらバタンキューだった。しかし、ピアノでlet it beの練習をした記憶もかすかにある。

26日 昼前のJetstarに乗らねばならぬというのに、昨夜の飲み過ぎで朝はミルクティーのみ。それでもカミサンの弁当を作ったり、やることはやったのだ。

鉄路で成田空港、昼に到着した新千歳空港でレンタカーを借りて母の入院先まで。上着を持って来なかった事を後悔した、えらく気温が低いのだ。

母から持ってくるべきものを聞いて実家で荷造りして、戻って届けて、転院予定の病院に医療相談員氏を訪ねる。

詳しい説明を聞き、転院は7月5日を希望すると伝え、緊急入院してそのままになっていたリハビリを訪ねて料金を支払い、実家に戻れば軽く畑仕事をして青梗菜を収穫した。採りたての青梗菜を油揚げと炊き合わせる。うーむ細胞が生きている、美味い。

27日 実家の野菜を叔母の家に届けて市千歳空港、今度は関空行きのJetstar。久しぶりだな関西空港、乗ってきた飛行機にはスパイダーマンが描かれていた。
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鉄道より安いはずのバスで京都まで移動して、明日に備えて四条のホテルに入る。

札幌の病院からは、5日の転院OKの電話があった。来週も忙しくなるな。
ああ、今日はやるべきことがない。久しぶりにゆっくりとさせてもらった。
朝飯を食べて、ルイガノ号を走らせてクリニックで処方箋をもらい、調剤薬局で降圧剤をゲットした。今日はカミサンの大台に至る誕生日、昼飯にケーキを買ってきてコーヒーを入れる。

ほぼ毎日通っていたブログ主が、体調不良を理由に中止の告知。残念だが仕方がないか。TVでは歌舞伎役者のカミサンが若くしてガンで亡くなった報。若い方の死はお気の毒である。が、この役者は数年前に飲み屋で与太者と喧嘩して怪我をしたとかで騒がれていた男だな、多分。婚外子がいるとかも言われていたはず、波乱万丈であるなあ。商売とは言え、傾くのも大変だ。
周囲も騒ぎ過ぎであろう。ガンで若死にする人など、世の中に多数いるのだ。

午後からは買い物に行き、ゴミ箱と椅子の布団を新調して、食料品を買ったら、トヨタの店に行く。右手が不自由なカミサンが自動車を運転するための補助具の情報を得ることができた。ハンドルに取り付ければ良いだけらしい、実現を目指してみるのである。

小松菜とシーフードのクリーム煮、鯖の塩焼きなどを作りて食す。久々の、我が家でゆったりできた一日であった。
22日 暫くぶりに会社に出て、今日は健康診断だ。
身長190cm、体重90kg、糖質コントロールを覚えてこの3年余り体重は変わらない。努力すれば、も少し落とせるのは分かったので、この辺りに留めている。

体は醸造酒以外の炭水化物を受け入れにくくなっており、会社のおやつで大きめの煎餅三枚を食べたら夕方までモタレる始末だ。

カミサンが大仕事の後の飲み会なので、私は昨日の麻婆豆腐にニラと豆腐を増量し、野菜と卵の炒めなど食す。

23日 母の転院に関していろいろ動きがあり、懸案の出張も上手くハマって、来週の予定が見通せた。バタバタだが、明日はカミサンの大台に至る誕生日、めでたい。日曜日には、息子共を呼んでお誕生会を開催予定也、めでたい。

キャベツとひき肉のスープ煮、胡瓜と茗荷の酢の物などを作りて、久方ぶりにカミサンといろいろ話しつつ食す。平安なる日常が戻ってきたが、前途は多難なり。
20日 火曜日。午前中に母が世話になっているケアマネさんとのミーティングを予定していたら、入院先の病院から電話がある。
腰のレントゲンを取ったら圧迫骨折らしき形跡ありとて、専門医の診断が必要とか。現在入院している病院は脳神経外科なのである。

先方の病院の受診が午前中なので、すぐにも出ますとの事で、では私も移動して現地合流としたわけなのだ。母を救急車で送ってもらい、その後は私が付き添って受診して、脊椎の専門医によれば第三と第五腰椎に圧迫骨折の痕跡あり。新しくはなく、古くもなく、これは1月の尻餅事故によるものであるらしい。これが母の現在の腰痛の原因であることが確認されたことになる。

帰路はまた救急車に迎えに来てもらい、帰路なので急がぬとも良かろうにサイレンを鳴らして移動する。音源と共に移動すればドップラー効果が生じないことを、身をもって体験した。

一度実家に戻って、畑仕事などして、夕刻に見舞いにより、そのまま千歳まで移動して宿泊。途中の札幌駅のライオンでビール。このくらい楽しませて下さい。

21日 基本料金5千円台のJetstarで昼過ぎに成田着。
後ろの若者が、短い脚をせわしなく組み替えるので、都度に席の後ろからキックが来る。閉口して隣の席に移動する。

この頃は、こーゆー若者が増えた気がする。
じっとしていられない、始終何をしていないと身が持たぬらしい。ペットボトルのお茶を飲み、スマホで遊び、落ち着きなく身を動かし、ヘッドホンで音楽を聴いたかと思えば、トイレに立つ。オジサンは呆れるのである。

到着した成田は小雨ながら風が巻いている。
駐車場に置いてあったポルテ号を回収して、事務所に直行。夕刻からの会議に間に合わせる。外部からの要請にどうこたえるかの会議だが、たぶん一番正確に素早く対応できるのは私だけなのだが、どうも勝手が違う。

ここまで判らぬメンバーが増えると、群盲象を撫でる感ある。
まあ、客観的に作業が進められる事だと言う事にしておこうか。シニアの身だ、いらぬ事は言わぬのだ。

帰宅して久々にカミサンと話す。
18日の日曜日、昨日は甥が、今日は義理の兄ともう一人の甥が、入院中の母を見舞ってくれたようである。
私は午後からカメレオン号で向かって、母からいろいろ持ってくるものを頼まれる。母は少しは体が動くようになったようだ。
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19日 月曜日になってしまった。昨年も盛大に有給休暇を取っており、今年もこの様子では、あと10日程を残すのみだ。
私はあと何日休めるのだ、有給休暇を使い果たしたらどうなるのだ、介護休業とか言う制度はどうなっているのか、これらを聞きに上野幌の本社を訪ねた。
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札幌の南のはずれから東のはずれまで、片道25kmほどの道のりで8時半に出て10時10分到着。上りの坂より向かい風がきつかったし、ワイシャツだけだったので大いに体温を奪われて消耗した。

残る有給は10日程、その後は欠勤が30日まで許され、該当すれば介護休暇は無給ながら90日との事た。これまで会社に貢いできたつもりのシニアの身だ、ここは最大限にこれらを利用させてもらおうと思う。

昼前に月寒の叔母を訪ね、母を見舞った後は夕方だが洗濯。明日は帰り支度をしなければならぬのだ。寄り道して帰宅すれば、今日は50km以上走ったはずである。太腿の張りが心地良いのである。
柑橘を一個剥いてヨーグルト、ベーコン卵、珈琲と牛乳で朝食とする。ご近所に母の不在を告げて、カメレオン号でスタート。蕎麦屋に再訪して、母を見舞う。

転院のめどは立たないままに土日になってしまった。こちとら会社を休んで待機しているのだから、病院にはも少し積極的に動いて欲しい。月曜日にはケアマネさんや整形外科の相談員さんに電話をしてみよう。
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帰路には駐車場がなくて訪問できずにいた真駒内のエドウィン・ダン記念館、この際だ寄ってみた。米国オハイオ州の若者が、極東の国の酪農畜産の礎を、まさにその身を賭して築いてくれた。我が国の恩人なのである。当時のアメリカ人にはイイ奴もいたのだ。有難うと言いたい。
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石山緑地にも寄ってみた。
今日は良い天気で気温もそこそこ。久しぶりのカメレオン号が、ようやく体に馴染んできた感がある。
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バタバタだった。
14日は会社に出てメール対処などするうちに、母から携帯にヘルプのメール着。昨日別れてきたばかりだが、今日の朝には立てなくなったらしい。

昼イチのJetstarを予約して、会社は休みにしてルイガノ号で漕ぎ戻る。荷物を拵え、ポルテ号で成田空港、1250発で千歳、途中で買い物をして、実家には17時過ぎに到着した。明日の通院のために、車椅子に対応した福祉タクシーを予約した。

19時 夕飯を作り、いただきますをしたところで、母が箸を落とし椅子に座ったままで意識をなくしてしまい驚く。体調が悪い時によくある貧血症状と判断し、ベッドに寝かせる。心配で先に寝るわけにもいかずにいると、22時に母がトイレに立ち、用は済ませたものの立ち上がる際に再び意識をなくして崩れ落ちる。

ベッドに寝かせたものの、二度の意識喪失は異常であり、夜中に何かあってもいけない。暫し考えて、契約しているセコムを通じて救急車のお世話になる判断をした。
救急車の陪席は初体験也、若い隊員3名は嫌な顔一つせずによくやってくれる。有難いことだ。

意識喪失の症状から当番病院の脳神経外科に搬送されMRI、異常なしだが腰痛で歩けぬ体だ、そのまま入院となった。私は深夜に帰宅してビールを飲む。

15日 気になっていた床屋を済ませてから、入院申し込みなどで病院へ。区役所から発行される標準負担額減額認定とやらが必要である。母は落ち着いており一安心、医師との面談で早期に整形外科への転院を勧められ、病院同士でやり取りしていただけることとなった。午前のポツリポツリ雨は午後からは小雨、肌寒くなかなか晴れ間を見ない。

16日 朝からようやく陽が照っている。洗濯をして片付け物をしたら、昼に母から頼まれた荷物をバッグに詰め込んで、久しぶりのカメレオン号のタイヤに空気を入れて、区役所を目指す。

途中で新しい手打ち蕎麦屋に引っかかる。
区役所では首尾よく認定書をもらい、病院事務に申込書と共に提出した。母が医師と話したところでは、どうやら再び4月まで居た整形外科病院に転院となる模様だ。来週早々に移ることができれば良いのだが。
帰路にはまたもやのポツポツ雨、帰宅して急いで洗濯物を取り込んだ。

去年も、母の通院や白内障の入退院やらで盛大に有給休暇を使っている。今年の残りも10数日だったはずである。有給を使い果たせば欠勤となり、無期限に会社を休むわけにもいくまいな。シニア三年目にして、そろそろ退社を見極める時期が来たのかもしれない。
千葉に仕事があるカミサンには申し訳ないが、退職して実家に戻るという選択も見えてきた。それならそれで止むを得ないか。も少し、いろいろしてみよう。
11日 日曜日、午後からようやく雨が上がって、しかし油断がならない空の下で畑仕事。時間があるので、歩いて近所のホームセンターで7尺の姫竹を買って、へいこら担いで戻る。

12日 祭り休みを取った月曜日。ようやくの晴れ、快晴だが気温は低い。こちとらまだ体温調節機能が復帰しておらず、作業では汗をかき、上着を端折ればやたらに寒い。それでも、豌豆に手を遣って、胡瓜とトマトも対処して、出遅れた感のあるゴーヤにはアミノ酸液肥をくれて、何とか畑の恰好を整えたゾ。
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青梗菜と蕪の間引き菜、ラディッシュはそろそろ第一陣を収穫してしまわねば。後は野良で生えてくるアスパラと、蔓延りすぎた京蕗を収穫して、お隣にもおすそ分けする。
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快晴ながら肌寒い札幌を後にした。

13日 成田に戻れば、まさかの上着のいる涼しさだ。
6日ぶりに自宅に戻り、不要になった自転車を管理組合に届け出て、夕食を作りつつカミサンを待てば、日常がも取ってきたのである。
安かった鰹を薬味たっぷりで、シシトウとジャコの炒め、韮の卵とじ汁など食す。

この旅行では、今野敏を読みふけった。
千歳までに熱波を読み終わり、その後は海に消えた神々、そして闇の争覇、帰路にはヴィクトルとの邂逅で公安マンとして目覚めた倉島のシリーズ2作 白夜街道、3作 凍土の密約、そして第4作はアクティブメジャーズ。この人は多作なのでまだまだ読むべきものがあるのが嬉しい。