いろいろバタバタの日が続いたが、今日は休みだ土曜日だ。
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寝坊して、ベランダのバジルと赤唐辛子を収穫する。バジルはオリーブオイルに封じたペーストにして、料理に使ってやろう。
昼飯には上の息子と隣町の小籠包の店で待ち合わせとした。カミサンとテクテク歩いて30分、美味い出来立て小籠包で乾杯。稲浜ショップではイベントがあり、生ビールが飲めたのも嬉しい。
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帰宅して、赤唐辛子を刻み、生姜やニンニクを混ぜたところに熱い胡麻油を注ぐ。自家製ラー油は、これからどうして使ってやろうか。楽しみである。
先日の出張でお土産にした酪農学園大学のカマンベールチーズ、健土健民を謳ったところは立派である。
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私が北海道で迎え撃つ形になった台風は、その前に通過した千葉県でも大暴れだったらしい。お客様のハウスが潰れたとのことで、今日の午前中に見に行ってきたのだ。
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いやはや、お気の毒である。
これは撤去して、建て直さざるを得まいな。中に鎮座している我が堆肥発酵機は無事なのだが、、、

昼前に自宅にポルテ号を置きに戻って、改めてルイガノ号で出勤する。パンフレット原稿の直しを入れて、昔の新原料開発に関わる相談に応える資料を作り込むうちに定時となり帰社する。
自室の気温は今日も29.7℃、湿度66%。まだまだ残暑厳しい。
明日は休日、ようやく休みにありつける気がするなぁ。

23日 昨夜は遅かったので、ゆっくり寝てから札幌駅に移動。
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軽く昼飯はトマトの姿煮。出汁のジュレ、とろろ昆布と共にいただく。なかなか美味しい夏の食べ物だな。

今日も付き合っていただける大学の先輩と共に、バスで門別競馬場まで一時間半余り。心配した台風は速度を速めたらしく、競馬場は快晴の重馬場だが、途中に渡った鵡川は大雨の直後で濁流の渦。近隣の草地は冠水して牧草のロールが流されていた。

さて、仕事?の冠レースである。
各レース共に三連複を2セット投資したが、すべてハズレ。周囲では「取った」の「当てた」のと声が上がる中で、私は北海道に2500円を寄付した格好となった。

それでも楽しく最終レース、記念写真を撮ったら、再び先輩とバスで戻る。レース中は、展示を見守りながら「帰ってきたヒトラー」上下巻を読了した。とても面白い本だったし、ヒトラーのファンになったかもしれない。
ホテルの戻れば、またも11時過ぎだった。

24日 今日も寝坊して、まずは実家に向かう。
青豆の枝豆と、沢山のゴーヤを収穫して、母の知り合いに配りながらメガネ屋に行く。白内障の手術をした母が頼んでいた新しいメガネが、ようやく出来上がった。周りが明るくなったが焦点が違ってしまった母の目に対応したレンズが完成したのである。流石によく見えるらしく喜ぶ母を見て、良かった良かった。今年当初からの懸案だったのだ。

実家に戻って、青豆の枝豆とスイートコーンはすべて収穫してしまう。
枝豆を外したら、会社事務所に出て新任の課長氏と打ち合わせ。人手不足の中でお忙しいですがと、一年過ぎたが引き継ぎもさせてもらった。
新千歳空港でレンタカーを返して遅いJetstar便に乗り、成田から千葉行きの最終バスに間に合って帰宅はやはり11時過ぎだった。

25日 実に久しぶりにルイガノ号で通勤、千葉は相変わらず暑いが体は喜ぶ。出張の後片付けやメール対処をするうちに、あっという間に終業時間に至り、明日できることは明日にして、やや涼しい中を自転車で戻れば自室は温度29.7℃、湿度は66%。まだまだ千葉は暑いのだなぁ。
今日は、切ってあった茄子を鶏肉と炒めてやろう。
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会社の同僚からもらったフリーズドライ納豆で、ツルムラサキのお浸しをもう一品。

21日は、5時台のバスに乗り成田空港、Jetstarで着いた新千歳空港は小雨。札幌市内に入れば、曇天なれど辛うじて雨は落ちていなかった。
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母と共に昼飯を食べて、さあ雨の降らぬうちに畑仕事だ。きゅうりとトマトとゴーヤのメンテ、雑草取りをするうちに霧雨が小雨になり、体を濡らしたので畑仕事を諦めた。
3時過ぎからは、実家の居間でノンビリさせてもらう。そうそう、ダン・ブラウンのインフェルノ下巻を読んでしまおう。バタバタだったここ一週間で、突然の休息を楽しんだ。

夜は、イナダの塩麹焼き、収穫したてのゴーヤでチャンプルー、イカオクラなど作りて食す。

22日 弱いながらも雨、研究所に行って明日の冠レース賞品を箱詰めし、本社に届けて本日の業務は終了。夜には大学の先輩が声をかけてくれて、札幌駅前で一杯。
昔一緒に仕事をした方としばらくぶりにお会いできて、いやー変わりませんね。15年ぶりになるのですねぇ。わざわざ帯広から来てもらったとは忝い事です。

楽しく語らってホテルに戻り就寝。出張に出た合間に、思いがけずにリフレッシュできたことを喜んだ。

18日 午前中は月次定例ミーティング、中期計画に向かいて課題山積であるが粛々と進めて参ろう。
バタバタと片付け仕事をして、昼には会社を出る。一度帰宅して、夏休みで家にいるカミサンと共に昼飯を作って食べ、大汗をかいてJRで東京駅、新幹線で高崎、乗り換えて新前橋。夜には営業所長と共に販売店の方と食事。

19日 鶏さん、肉牛さん、豚さん、乳牛さんとイロイロ回る。しぶとくこの世界で生き抜いてきた方々であって、皆さん個性的な有能な経営者であられた事だ。6時過ぎの電車で戻り最寄駅には8時半着。夕飯をカミサンにフラれて、一人ファミレスで飯を食う。

20日 朝飯を食べたら読書。出張に持って行ったダン・ブラウンのロストシンボル上・中・下巻をようやく読み終わる。昼飯を食べたら来週の飛行機とレンタカーの予約変更、やれやれまた帰宅が深夜になる。

これから家を出て会社事務所で若干の出張準備、そのまま九十九里まで走って堆肥発酵機関連、戻りつつ食材の買い物の予定である。
明日は5時台のバスに乗らねばならぬ、何故こうもタイトな日程になってしまったのか、いささか詰め込み過ぎであるなぁ。ゆっくり酒も飲んでおられぬ、心休まらぬ日々が続いているのだ。

13日 カミサンと共に、成田から昼過ぎに新千歳空港に着く。吉野家で牛トロロ定食、レンタカー屋に向かう。ものすごい混雑で書き入れ時の様子だ、札幌市内の実家に着いたのは2時前。
母を乗せてメガネの購入に行く。数か月前に白内障手術をして、ようやく目玉が落ち着いたらしく眼医者からメガネの処方箋が出たのだ。大いに時間を取られて、買い物して帰宅。ゴーヤチャンプルなどを作って、明日以降の予定を決めて就寝。

14日 朝から実家の畑のメンテナンス。伸び放題の雑草との戦いだ。
収穫を終えたえんどう豆を整理して、トマトと胡瓜に手をやって、ひたすら草取り。カミサンの助力が有り難かった。
シャワーで汗を流して、明日の筋肉痛に備えてホエイペプチドを飲んで、夕方にはバスで月寒のお寺さんに向かい息子二人とも合流して墓参り。終われば親族8人で飲み会。大いに酔っ払い、地下鉄とタクシーで帰宅。

15日 今日は我が家の墓参り。藤野聖山園、平岸霊園とハシゴして、昼飯に鈴蘭ラーメンによれば会社の先輩ご夫婦と出くわしたりする。
帰路に生協で買い物し、夕方には死んだ妹の旦那や息子夫婦にひ孫付きやらが集まって、私が炊事当番。事前にカミサンとメニューを決めていたので、旺盛な食欲に応えるべく各種料理を作る、作る、作る。

マッシュルームと帆立と海老のアヒージヨ、マグロのカルパッチョ、ゴーヤチャンプルーをフライパンで二つ、豚肉冷しゃぶの300g野菜沢山を二皿、鶏もも肉の塩焼き柚子胡椒を3つ、豚角煮と煮卵と小松菜、その他いろいろ。大いに食べて飲んだ。

16日 昨夜の豚しゃぶのスープに昆布を投入して、庭のカブと隠元豆と長ネギでおじやの朝飯。昼は庭のキュウリとカブとレタスでサラダ、ズッキーニとハム焼き、フルーツヨーグルト。うーむ、いつものカミサンと二人の食生活とは異なって、これだけ食べる人がいると準備も次元が異なる。

昼に客が帰れば、母の贈答品の手配で近所の果樹園まで車を走らせ、実家で一息ついてから、それでは私たちも帰ります。母にしてみれば、ひ孫と遊び、大勢での食事などで大いに疲れたことだろう。

空港に向かう道すがら、今は住む人もないカミサンの実家を訪ねて仏壇で焼香。月寒のお寺には行ったのだけれどね。
続いて空港に向かえば雨が落ちてきた。

千歳に着くころには大雨になり、Jetstarで着いた成田も大雨。台風の影響なのだ。
辛うじて千葉行きの最終バスに間に合って、自宅最寄り駅からは弱まった雨の中を歩く。帰宅すれば夜の11時で、流石に私はバタンキューだ。
ああハードな盆の帰省であったことだ。

17日 ルイガノ号で会社に出れば、既に周囲は夏休みを終えて通常モード、当たり前也。
昼前のお客との話が弾んで、近所のホテルレストランで昼食を食べつつ話す。戻って猛然と仕事、カタログ編集などをこなしつつ、あっという間に定時となった。

今日も暑い千葉、帰宅した自室の温度計は31.2℃だった。
冷蔵庫の残り物の消化メニュー、芋と玉葱のカレーソース焼き、イカとオクラと納豆のぐるぐる、その他を食す。
こんな状態で明日からは出張である。シニアしては忙し過ぎるのである。
もう少しゆっくりしたいもの也。

11日 カミサンは仕事なので、いつも通りに起きなければならぬ。
朝飯を食べて、カミサンを送り出してからは、机周りの片付けとお料理。
先日作ってあった料理用トマトのソースを贅沢に投入して、ダール豆と海老を入れてカレー味。昼飯は、これをご飯にかけてトマトカレー。旨いです。

午後から食料品と酒の買い物、今日も暑い日でリュックを背負って自転車を漕げば、背中にびっしょりと汗をかく。夕飯は、いろいろ野菜をピーラーで削って豚しゃぶとした。
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12日 今日もカミサンは仕事、私は昼前に自転車を漕いで銀行口座のメンテナンス。立ち寄った護国神社では降りしきる蝉の声。と見上げれば、沢山のセミの抜け殻。
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足元を見れば、蝉の幼虫が出てきたらしき穴も多数。
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千葉公園のセミたちよ、精一杯鳴いて子孫を残すが良いぞよ。
さーて、帰宅してシャワーを浴びたら、明日からの帰郷の準備に取り掛かるのである。

さて、いったいタンパク質はどれだけ摂取したらよいのだろう。

成人男性で一日70gと言うけれど、私は糖質制限しているので摂取したタンパク質の一部はグルコースになっているはず。しかも、そもそも私はガタイがデカい。身長190cm、体重は落としたとは言え90kgあるのだから、一番的な成人男性の範疇には入りそうもないではないか。

体重は落としたいが筋肉量は増やしたい私にとって、これはどうしたことだろう。

我々エサ屋は、動物に与えるエサの量を体重で決めている。も少し正確に言うと代謝体重:メタボリック・ボディウエイトに比例させて求めるのだ。代謝体重とは「体重の3/4乗」で示され、例えば体重60だと21.558となる。

昔は関数電卓が必要だった(3/4乗の場合はテクニックがある)が、今はエクセルなどがすぐやってくれる。セルに「=X^(3/4)」とタイプすればよいだけだ。便利な世の中になった。

60だと21.588600だと121.231、つまり5.6234倍だ。体重が10倍になれば、使うエネルギーも10倍になるのではなくって「10より少ない5.6倍~♪」(by本川達雄先生)。

私の体重90では29.220となる。体重60kgの人から見れば1.5倍の体重の私が使うエネルギーは1.36倍である。

じゃあ、必要なタンパク質も70gでは少なくて94.9gいるんじゃね?ここのところ、どーなんですかね。何方かご存知の方、ご教授ください。

無理して高タンパク食にして、窒素の排出で腎臓に負担をかけるのは嫌だし、そもそも90gのタンパク質を食事で取るのは大変なのだ。本気でプロテインシェーカーを使って、ホエイペプチドをガンガン飲まなければ、とても届きそうにない。(続く)


この間、朝飯は少量のパンと、ジャムを乗せたヨーグルト、紅茶と牛乳、目玉焼きに23本の小型のソーセージ、これにトマトやキュウリやレタスなどその時にある野菜達。

少量といえどもパンとジャムは立派な糖質食品だが、まあイイさこのくらい。タンパク質としては、卵一個で7g、ソーセージで8g、牛乳とヨーグルトで8g、合わせてタンパク質がおよそ23gの朝食という事になる。

会社での昼飯は、柑橘か林檎を一個と大型のソーセージ(ジョンソンビルの6本入りを2本)が定番だった。タンパク質は16g

夕食は、原則としてご飯は食べずに、野菜と魚と肉や卵、これに豆腐や納豆などの豆食を組み合わせる。豆にも野菜類にも糖質の多いものはあるが、そこまでは気にしない。

魚や肉は一人100g食べてもタンパク質は20gしかないから、できるだけ多めに取りたい。例えば中型の鯵を二匹食べても30gだからな。他のものから来るタンパク質も合わせて、これでようやく一日70gのタンパク質を摂取したことになる。

自転車通勤した後には、まだ太腿が張っているうちにホエイペプチドを数グラム飲んでいた。これは8割ほどがタンパク質で、しかもBCAA(分岐鎖アミノ酸)が多い優れ物だ。言うまでもなく、私が売っている競走馬用サプリメントの原料である。

以上の食生活と、毎日往復40分の自転車通勤、昼休みもできるだけポタリングして、休日には市内巡行で汗を流す。

私はこれで、半年で体重を96kgから最低時87.5kgまで落とすことに成功したのである。(続く)


糖質制限を初めて当初、体のガス欠に苦しまされた。

長年シュガーバーン仕様(糖質を燃やして走る方式)だった私の体が、すぐにエネルギー切れになってしまうのだ。具体的に言えば、自転車に乗っているときに急にガックリ疲れてしまったりする。

こーゆー時に意地を張るのは良くないことで、手近なコンビニに飛び込んでバナナを、或いはアイスクリームバーを買って食べることにしていた。するとすぐに体力が戻るのだから、体は正直だ。

これがなくなったのは、糖質制限を始めて3ヶ月くらいたったころだったろうか。体重減少は進んでいるのだが、空腹感を覚えても我慢できる気がしてきた。体が慣れてきたのだなと思ったし、体の適応能力はスゴイと感じたものだ。

少しはファットバーン体質に変わってきたという事だろうか。(ちなみに、脂肪は残念ながら糖質には化けません。タンパク質などを燃やすエネルギー源になるのです、念のため)

私の経験では、糖質制限に体が順応して安定するのに3ヶ月を要しました。(続く)