NPOの総務をやっているので、連絡文書の郵送に80円切手が必要だ。
少し在庫が乏しくなってたから、郵便局に買いに行った。
綺麗なのを下さいと言ったら、この記念切手を渡してくれた。勿体無いけど使ってしまいます。
こんな切手なら、届いた人も嬉しいでしょう。

記念切手の記念に、写真に残しておこう。
旅の風景シリーズ第3集と第4週は「沖縄の首里城~国際通り」と「美ら海水族館・やんばる」だそうである。
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この一週間、たいして大きな仕事はなく、ゆったり過ごせるのかと思いきや、中程度の位置付けながら連絡や調整に手間取る仕事が三つ四つあって、それなりに忙しく疲れたことだ。委託製造に、試験輸入に、視察案内の準備に、研究開発の進捗に、この年になっても仕事はなかなか思う様には参らぬもの也。

昨日の、当方にとっては重大な案件も、世の中は取り立てて騒ぎもせず所詮は狭い業界での内輪話、気負っただけ馬鹿馬鹿しい。知が勝てば気が萎えるのが世の常であろう。

さて、千葉も、今日は暖かかったのだが、昨日までの寒気で街路樹が一斉に冬への備えを始めたようだ。今年は何か、紅葉がメリハリあって美しい。そんな気がする10月の末である。
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事務所の机に回ってきた、この時期おなじみの年末調整の用紙。
毎年の事で、控除対象となる保険の金額などを書き込むのだが、今年は扶養家族の欄で手が止まった。そういえば、上の息子はもう私の扶養家族ではないのだな。

カミサンと、大学生の次男を記入すれば、これでお終い。上の息子は、今年4月から給料取りになったから、この扶養家族の欄からは卒業したわけだ。
ここ20年以上、扶養家族の数は変わらなかったのに、何か新鮮な驚きだった。
26日 月曜日である。土日に出るべきだったかもしれない懸案の山を崩しに出社する。
あれもこれもやりながら、あっという間に時間は過ぎてゆく。多少の粗さは仕方が無い、土日には、別にやるべきことがあったのだから。
何とか片付けて帰路、台風の接近で、雨の降りは少ないのだが傘を広げれば壊れてしまいそうな風が巻いていた。

27日 台風一過の晴天で、富士山が綺麗に見えるとカミサンに教わったが、とうとう見る余裕もなく早めに自宅を出る。午前中は鹿島で会議、東関道を飛ばして駆け付けた。
報告のパワーポイントは粗い作りだが、そこそこ反応があった。案ずるより何とやら、しかしこれを仕事の手を抜く口実にしては、私の美意識が許さない。

車を飛ばして戻って13時、今度は来社のお客様と契約へ進める大事な打合せ、気が抜けない。終わって、今度は明日の折衝を控えて上司と感度合わせ、今日の会議の後始末を少々。ほとほと疲れて帰宅した。

昼に撮った写真。晴天の東関道から潮来を見る景色は、まさに水郷である。
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21日 取引先の社長さんが来社。やれやれ懸案はやはり私の仕事になってしまったが、同僚が超忙しいから止むを得ないな。急いで状況調査と計算に取り掛かる。午後からは商社と打合せ。ちゃんと輸入して下さいね。

22日 早とちりして余計なことをして仲間に怒られる。済みませんでした。午後からサンプルを入れる瓶を買いに行く。透明なプラスチック瓶って、なかなか売っていないものだな。

23日 原料手配にトラックを走らせる。昼前だというのに首都高は混んでおり、京葉道路では対向車線で乗用車が見事にひっくり返っていた。どうしたらそうなるの。中央道側から富士に向かうと、周囲はもう紅葉である。運ぶ荷物が小分けになっているので、三度も往復する羽目になり、すっかり時間を食った。帰路の首都高は、またまた事故渋滞していると言うし、真っ暗になり今から戻っても荷降しができないので、高速に乗る前にビジネスホテルを見つけて泊まる。

24日 秋晴れもここまでか、明日からは天気も崩れるようだ。府中から渋滞の首都高は箱崎を抜けるまで混んでいた。トラックを牛舎に横付けして、フォークリフトで荷を降ろして、トラックを洗う。ついでに久し振りにジョブサンを動かして、堆肥を片付けた。
昼の蕎麦屋では息子と鉢合わせしたから蕎麦を奢らされる。5時からNPOの生ごみ処理機のメンテに向かうと、もう小雨が降りだした。一時間ほどで戻って、ビールを飲みながらゼルダで遊ぶ。ようやく森の神殿をクリアしたが、まだ先は長く、続ける自信がなくなってきた。爆弾の持ち方が難しい。ブーメランをゲットした。そうこうしているうちに、名古屋日帰りのカミサンが戻る。

25日 引き続いて小雨で肌寒い千葉である。皆で掃除をして、ようやく今日の午後はまとまった時間が取れる。机周りが片付くことを期待したい。
19日は月曜日。忘れぬうちに先週の出張清算をして、二件の出張報告を書いているうちに、バタバタと一日が過ぎていった。
夕食で、フロマジェリのカマンベールを切って、横浜港の博覧会で買ってきたちょっと良いイタリアの白ワインを一本、カミサンと空ける。

20日の今日は、明日の来客対応で、ここ最近の委託製品の販売実績などをまとめる。
新原料を採用した新製品を今月中に作ることになり、研究員に設計と給与メニューを依頼し、製造担当者と調整しつつ、営業所に連絡しつつ、原料供給元と引き取り計画を打ち合わせているうちに、やはりバタバタと一日が過ぎていった。
夕食では、カミサンがカジキの素揚げに野菜をきれいに盛り合わせてくれたので、これはまたワインでしょう。同じく横浜で手配してきたリースリングのドイツワインを開けて、フロマジェリのモツァレラを合わせる。カジキには、手作りのバジルソースに赤と白のバルサミコでいろいろ試しながら食べてみた。

フロマジェリのチーズは本当に旨い。素性の良い食材とは、このことを言うのである。
8時前に野菜販売の出店設営に向かう。
ホテルの玄関前にズラリと机を並べて、県内の農業高校の野菜や花や加工食品を売る「千葉市民の日、朝市」に、当方のNPOにも声をかけていただいたのだ。
割り当てられた机に、ノボリを立てて、看板を取り付け、野菜を並べて値札を貼り付ける。野菜を持ってきた農家のメンバーは二人、販売を担当するのは私を入れて四人とお嬢ちゃん一人。

9時始まりのはずが、準備が終わった8時半頃からお客様が来始めて、そのまま大賑わいに突入。あっという間に、葉物野菜から売り切れていって、一時間後にはほとんど商品がなくなってしまった。後から来たお客様には、申し訳ないような大盛況の朝市であった。

今年が最初のホテルのイベントで、お客様の数が読めなかった。野菜は、この三倍あっても良かったくらいだ。来年も、もし企画するのなら、今度は時間内は商品があるようにしなければな。
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昼食は、やはりこのホテルの特別企画、地産地消ならぬ「千産千消」会席ランチ。我がNPOが納品した野菜も使っていただいている。
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f0057955_22133468.jpgこれで2,000円也は、お得である。
おっと、デザートは薩摩芋のスイーツだ。カミサンと二人、大満足のランチであった。

夜の「千産千消フレンチディナー」にも、今度は息子も誘って三人で行ってきた。これまた楽しませていただいた。海老のコンソメと蕪のクリームスープは絶品。蕪のクリームスープは、是非自分でも作ってみよう。裏ごしが面倒そうだな。
f0057955_18424483.jpg16日は朝から打合せ、その後は慌しく千歳や苫小牧を走り回る。

昼に苫小牧で食べた「ししゃも寿司」は、始めての味である。正直言って、あまり特徴のある味ではないな。物珍しさだけ?
炙れば、あの香ばしさが出るのではないかしら。

何とか用事をこなして、6時前に札幌駅に到着することができた。
f0057955_20211433.jpg母上と下の息子と待ち合わせて、駅前デパートでお食事。生麩と湯葉の店で、車で行ったから酒が飲めぬのが恨めしかった。そのまま実家に行って、泊めてもらう。

17日は、買い物をして息子を送って札幌市内を走る。藤野から真駒内から辺りは、山も街路樹も紅葉が始まっていてとても景色が美しい。今年の紅葉は、色が冴えているようだ。

千歳空港から昼の飛行機で羽田。空港バスで戻り、そのままNPOで請け負っている生ごみ処理機の様子を見に行く。明日は、千葉市民の日のイベントで、野菜を販売することになっている。看板やら、ノボリやら、POPの準備をしなくては、、、
千葉の研究所で打合せして、新幹線で静岡に移動して打合せして、新幹線で東京まで戻って、羽田から飛行機で千歳に着いた。
新千歳空港着22:00、ホテルに入れば23時。
明日は朝から移動して打合せ、今週は時間が過ぎるのが早い。もうひと頑張り。
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遅い時間だが、レンタカーが営業しているのは有難い。
フィリピンの社長から頼まれた謎の日本人の調査。彼の実家、乃至は親族を探し当てるのが、今回の任務である。

ローマ字名T.Ichiroと、建築技術者であること、そして彼の写真。手掛りはこれだけだったが、ネットで調べると、同姓同名の技術者が過去にタイで実施されたNEDOの委託事業のメンバーとして、日本の会社から派遣された報告書に出くわした。
この会社をやはりネットで調べ、電話したところ、平成10年から13年までこの会社のマニラ勤務の出向社員扱いであったことが判明し、写真をメール添付で送ったところ間違いないと返事が来た。あっけなく、突き止めることを得たかと思えたのだが、、、

個人情報であるが、事情が事情だけに、会社から彼の採用当時の日本の住所と電話番号を手紙で教えてもらった。住所は神奈川県大和市であり、早速電話してみたのだが電話に出てくれた方は東京都小平市の方であった。10年前の話であるから、どうやら電話の持ち主は代わっているようだ。それにしても住所が大和市で、何故電話は小平市なのか。

今日、都内に出る用事があったので、そのまま小田急線に乗って大和市の住所を訪ねてみた。丁目・番地・号まで記載されているから、戸建の住宅を特定できる。しかし、そこにはTさんの表札は無かった。住宅は周辺も含めて極めて新しい。これは10年は経っていないようだ。

探偵よろしく、近所で長年開業しているというクリニックを訪ねてみたら、愛想よく若先生が対応して下さる。ここで生まれ育って40年になりますがTさんは知りませんねぇ。と仰る。写真を見せたが、思い当たらないと仰る。100mほどの並びの家なので、10年前でも彼が暮らしていれば知らぬはずが無かろうと思う。あの場所はもともとWさんの地所で、つい最近になって土地を小分けして家が建ったのですよ、との事だった。

本物の探偵ならば、ここでWさんを特定してT氏との接点を探すのだろうな。駅の向こう側まで行って交番を見つけ、訳を話して相談してみたが、近隣にTさん宅は見当たらなかった。この住所は、どうやら信用ならないような気がしてきた。彼が会社に提出した住所がウソなのか、どこかで間違いがあるのか。会社に電話した時は「実家は鎌倉」と言っていたのではなかったか。

もう一度、彼が所属した会社と連絡を取ってみよう。マニラの住所も聞いているので、これも現地の知り合いに行ってみてもらおう。取り組みをどこまで進めるべきか戸惑いながら、フィリピンの社長の悲しげな顔を思い出している。