土曜日にのんびりしてしまったので、日曜日は事務所で残務整理と今後の予定を決める。
土日は、研究所や工場の幹部職仲間にとっても遅れを取り返す貴重な時間。溜まったメールに返信していると、向こうからもメールの受領確認が来る。
苦笑いしながら、メールのやり取りをし、最後には電話を入れて、打合せをする羽目になる。

31日は日帰りで八戸。東京駅から八戸駅までは「新幹線はやて」で3時間たっぷりかかる。
ここはPCを開いてノイズキャンセリングのヘッドフォンで格好のリスニングタイムと相成った。

長丁場なので、久々のブランデンブルグ協奏曲。チェンバロが色とりどりに活躍する五番が白眉だが、三番も弦楽合奏の疾走感が心地よい。いやいや地味ながら六番も味わいが深い。我がPCに収録してあるのは、リヒター指揮のミュンヘンバッハオーケストラ版。いかにも律儀に規則正しく比較的早いスピードで音を紡いでゆく。

大学時代の私が最初に聞き、当時札幌厚生年金会館の公演まで足を運んで耳に残っているのは、ミュンヒンガーとシュトゥットゥガルト室内管弦楽団による演奏だった。
ミュンヒンガーも、何度かブランデンブルグ協奏曲の録音を残しているのだが、このリヒター版よりは総じてスピードが遅く、そして何より楽器に唄わせるのだ。あの演奏も、もう一度聴いてみたい。今度ネット検索でもしてみようと思う。

大学当時、ビートルズから入ってブリティシュロックに傾倒していた私にバロックの味を教えてくれたのは、大学時代の下宿仲間のTであった。
同じ下宿の友人Aは荒井由美を始めとする所謂ニューミュージックをよく聞いていたし、別の友人Tは拓郎とエルトンジョンだった。
隣の部屋の住人Nは山崎ハコや中島みゆき、NSPやチューリップなど当時のフォークミュージック、麻雀仲間のH先輩はマンドリン部が取り上げた合奏曲を熱く語り、ラフマニノフの素晴らしさを教えてくれた。
研究室の同輩Nは、モケモケのジャズ屋でアルトサックスを吹いた。
下宿の後輩Nは、マイルスを神と崇め、山下と富樫のデュオを私に聞かせた。
当時の仲間との交流が今の私を形成しているのだと、今更ながら思い返す三時間であった。
28日は朝から札幌で会議だと言うのに、前日まで別の会議にも呼ばれてスケジュールが決まらない。何とか日程が定まったかと思えば、今度は札幌行きの飛行機が満席である。
そうなのだ、世は年度末、春休みであり、進学に就職に人事異動に、人が動く時期なのだ。
結局、予約できる一番早い飛行機に乗ったが、札幌事務所の会議室に入ったのは3時であった。遅れたのは、これは私のせいではないぞ。

翌29日は、続けて私にとっては本番の会議。
札幌にいる次男を誘って二日間実家に泊まる。28日のうちに千葉に戻ることもできたのだが、翌日は土曜日だ。この日の夜は母と息子とで食事をして、翌日も久し振りに実家でのんびり過ごす。昼には昔馴染みのラーメン屋に息子と二人で顔を出した。相変わらずこの店のラーメンは水準が高いと舌鼓。最寄の地下鉄駅で息子と別れて千歳空港へ。空港はごった返して、帰りの飛行機も家族連れが多く満席である。ビジネス券もこの時期は高額になる。航空会社にとっては、まさに書き入れ時であるね。帰路の搭乗機は何代目かのポケモンジェットだった。
昼前の来客は、食品副産物の飼料化に取り組みたい産業廃棄物業者さん。最近、このような問い合わせが増えている。エコフィードの推進は良いが、そもそも供給量に乏しい底の浅い原料だけに、皆が使い出せば奪い合いにもなりかねない。エサ屋としては、いかに見識の高い排出元や中間業者と安定的に連携できるかである。

このように意欲的な産廃業者さんは、比較的よく勉強してくれて、きちんとA飼料として管理供給してくれることが多い。そして実は、排出元となる食品会社との関係構築が難しい場合が多い。
食品会社のトップは、或いは本社のご担当は「企業の環境貢献のために是非取り組みましょう」などと言ってくれるのだが、しかし実際に工場に出向けば、現場のご担当の反応は「こんな面倒な作業を提案してくれて、」「産廃業者に一括処分でよいのに、」と言った具合である。我々は安価なりとも有価物として買うのであるから、産廃処理費用を支払っていた昔に比べればマイナスが埋まりプラスも僅かながら発生してメリットありのはずなのだが、現場は面倒なのだな。まあ彼等の立場から見れば「工場の排出ラインが、副産物利用型に出来ていない」と言うことになるのだ。多くの施設が、廃棄物を全て排出ホッパーに溜め込んで、産廃のアームロール車にドサリと落とすだけの仕組みなのだ。

「原料がカビていてはダメです」と申し上げたら、それまでの商談が中断したまま連絡が来なくなった会社がある。実際に変敗した原料を持ち込んでおいて、当方が廃棄せざるを得なくなった製品の補償を求めると「今後のお付き合いは、」と当社ではなく中間業者に圧力をかけてくる会社がある。
食品会社なのに、どうしてこんなことが判らないのだろうか。コンプライアンスを疑わざるを得ない。お里が知れると言うものだ。これは差別用語ではなかろうな。

最近あった事例では、双方が協力し合って順調に副産物を飼料化できていたのに、相手の本社がSCMによる物流改革を始めた途端に、工場では副産物の発生が予定できなくなり、飼料化が頓挫してしまったことがあった。廃棄物の再利用も含めたSCMは、確かに難しいのだろうけれど、是非とも排出物のサプライチェーンもマネジメントして欲しいものだ。

午後からは、都内で共同研究相手と遅れに遅れていた新規原料の相談があり、昼飯を食う暇もなく電車に飛び乗る。
5時には事務所に戻って残務整理、6時半の家族の食事会待合せには、辛くも間に合った。
NPOの事業年度が終わろうとしている。
昨日の夜に理事で集まり、4月早々に予定されている通常総会に向けて打合せを持った。
今年を振り返っての事業報告と収支決算。これを受けての次年度計画と収支予算。大規模な活動でもないのだが、法人格を持った団体であるからには、いい加減なことはできない。
6時に集まり、二時間弱は真剣に協議してから、少々遅いが会食となった。
和食の店に行くつもりが、隣のイタリアンレストランに引っ掛かり、しかし料理は旨かったな。
芋焼酎の後で、白ワインを追加して、楽しく語らった。

今日は、朝から総会に向けての書類の整理。どうやら完成させることができた。
これらの確認をとり、印刷して、総会案内の発送を済ませれば一段落である。

今日も昨日もかなり暖かく、部屋の窓を開けて外気を入れながら仕事ができた。
しだれ柳も色濃く芽吹いてきた、ところどころで梅の花が咲いている、桜の蕾も開花が近い。
春なのだ。この季節が一番好きかもしれない。
関東に住むようになって、そう思いはじめたようである。
中国から輸入されている飼料原料は多い。
中国産の大豆油粕ミール、中国産のビートパルプペレット、中国産の林檎粕ペレット、中国産のホミニーフィード、中国産のコーングルテンフィード、中国産の乾燥ビール粕、などなど。
最近、中国の港によっては輸出規制が厳しくなリ過ぎて、船積みがまったく見通せない事態が生じている。
例の事件の後で、今度あのような事故を起こしたら処罰の対象だと、現地の港湾検査係官は厳しく言われているそうだ。お陰で、飼料原料の荷姿が変わっただけで輸出停止になり、日本の輸入商社は頭を抱えている。

あちらこちらで、そんな悲鳴が聞こえだしている。
大変な時代になったものだ。
輸入した乾牧草を我々エサ屋から購入して、牛に与えるお客様は多い。
北海道ですら、15年前あたりから順調にユーザーは増えていた。特にメガファームと呼ばれる規模のお客様は、自給飼料基盤と言われる北海道にあっても、今や必須の購入飼料だ。
いわんや関東以西のお客様は、完全に購入飼料だけという方もいる。格好よく言えば、自給飼料生産を海外にアウトソーシングしていたわけだ。

昔、乳脂肪率の基準が引き上げになったときなどは、エサ屋が輸入牧草を持ってきてくれるから、3.5%がキープできる」などと有難がられたこともあった。しかし、今やエサ屋に電話すればお望みの品質の乾牧草がコンテナで届く便利な時代、皆これに慣れてしまった。
ここに来て、乾牧草も大幅に値上がりしている。配合飼料の高騰が言われるが、実はその前から乾牧草の値上がりが進行していた。
輸入総量は変わっていないらしい。これは依存度の高さを物語っているのだろう。しかし質的変化はある。プレミアム乾牧草をやめて、安いもの、ストロー類の需要が増えているのだ。

その海外の作付け状況だが、やはりバイオエタノール需要に押されて、或いは玉突き現象で、とうもろこし増産⇒大豆や麦などの穀物作付けの圧力⇒粗飼料作付けの減少といった図式が顕著になってきた。
要するに、北米ではアルファルファやスーダンなどの作付面積が大きく減っている。
豪州でも旱魃の影響で、オーツヘイが小麦にシフトしているという。
シュガービートの絞り粕であるビートパルプも、そもそも作付けが減少し、そしてアメリカやメキシコの好調な酪農業からの引き合いが増加して、日本への輸入量が激減しそうだ。

アルファルファを機械乾燥してペレット化した、業界用語のデハイペレットは、ぐんぐん値を上げている。ヘイキューブより、いやむしろアルファルファヘイ(乾牧草)が安い場面もあるだろう。
綿実も高値安定で、油脂源としては脂肪酸カルシウムなどのほうが有利だろう。
もう、これら粗飼料原料を安定して使える時代は終わったのかもしれない。

ついでに言えば、リンカルも値上げである。
今、異常なスピードで進む円高は、我々インポーターにとっては福音ではある。
しかし、株安と、その後に来るだろう景気の減速とインフレを考えれば、喜んではいられまいね。
土日は事務所で仕事で、10日の月曜日は午後から都内で他社さんと打合せと宴会。
11日は早朝から釧路に飛んで、午後からの会議、その後は宴会で釧路宿泊。
12日は羽田から会社に戻ってすぐに社内監査があり、そして部の歓送迎会で、しかも私は幹事である。一体どうしてこんなに忙しいのか。
13日は、午後からのお客様対応で懸案事項に方向が見えたが、その後もみっちりと仕事。
14日は終日プロジェクト会議で、夜はと言えば明日の会議の資料作りに意地を出して夜遅くまで。土曜日だと言うのに15日は、午後からの会議に向けて朝から自宅で資料の仕上げ。お陰で、午後からの会議は何とかなったようではある。
さあ、次の仕事にかかり、それでも夜8時過ぎには退社した。

f0057955_2145399.jpg本日は16日の日曜日、少し遅めに会社に出て、窓のブラインドを開け放ち、小窓も空けて春めいた空気を室内に取り入れて、猛然と残り仕事を片付ける。
机の上の懸案書類が片付いて行き、メールの返事も打ち終えたころには、何とかく先が見えてきた。ようやく仕事に追いついた自分がいる。明日への持越しもあるにはあるが、全てがコントロール可能な状況にまで辿り着いた。

この忙しさのお陰で、とうとう15日に予定していたNPOの理事会を延期してもらう羽目になったのだが、来週からは、何とか余裕を持って物事に対処できそうな気がしている。

帰りに酒屋で買ってきたウイスキー。二本買えば、少し安かった。昨日でアードベッグもほぼ飲み終えていたので、今日からはこれを寝酒にしよう。酒が選べるのも、余裕が出来てきた証拠なりと。
会議が思いがけず早く終わった。
最寄駅で電車を待ちながら、携帯電話で路線情報サイトを開き、空港駅の到着時間を調べる。
次に航空会社のサイトに入って、到着時間に合わせて予約便の時間を変更して、座席指定まで済ませてしまう。
航空会社のサイトから、航空券情報を二次元バーコードとして携帯電話の画面に取り込んでおけば、空港各所の読み取り機に画面をかざすだけで通過できる。
空港でエントリーする必要がない。航空券を受取る必要もない。
お陰で、電車で空港に到着してすぐに飛行機に乗ることができ、まだ明るいうちに羽田まで移動することができた。
携帯電話は、今や立派な携帯情報端末装置として進化し機能している。使えば便利なユビキタス社会も目の前だ。

しかし、こんなもの無くても良いのだ。
駅で時刻表を見て電車を待てば良い。目の前で電車が行ってしまえば、悔しがれば良い。
待ち時間が空けば、持参した文庫本を読んで時間をつぶす。
あくせくと急がずに、折角の旅なのだから、ゆっくりと周囲を見物しても良い。
と、オヤジはやせ我慢して考える。

羽田は小雨。空港バスに乗り込むが、早く着いたのが災いして、湾岸高速は夕方ラッシュで自然渋滞。千葉まで1時間半かかってしまった。
何だ、ちゃんと敵を取られたではないか。
午前中の来客を済ませて、雑務を片付け、1時の電車に乗れば3時の飛行機に間に合った。
この時間の飛行機は、それほど混んではいない。居眠りをしていたら、後ろの客が具合が悪くなったようで、CAが客を気遣う声で起された。重大なことにはならなかったようだった。
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千歳に宿泊。北海道は、まだ寒い。足元の雪がザラメ状でザクザク歩く。そうそう、この季節の雪はこうなんだったな、と思いながら歩く。f0057955_2023534.jpg

5日は上野で打合せ。昼飯を食べて会社に戻る。
4日は午後からさいたま新都心で農水省の説明会。
エサの安全性の確保について、関連する企業に更に安全上の管理を求めるガイドラインが示された。
パブコメを終えて、これから公布の作業にかかり、来年には実施される運びである。
会社に残務整理に向かう。途中で書店により、いつもは買わぬ雑誌を買う。
新聞広告で目にとまったのだが、講談社の月刊現代に気になる記事が載っていた。
記者が畜産に精通していないので、ところどころ業界人として読めばおかしな部分もあるが、この告発内容は本当なのか。大騒ぎになるのだろうか。

事務所では気にかかっていた仕事だけを片付けて、3時過ぎに帰宅。
自宅に戻れば机の周りの大掃除、風呂を洗って湯をはり、夕飯はキムチ鍋を作る。
合間にNPOの会計帳簿を整理した。この二日間で、ようやく周辺のやるべきことを済ませて、何か気分が落ち着いたことだ。
夜にカミサンが戻る。義父は少しずつ元気を回復している様子だ。