実家に戻り北海道新聞を開けば、「バイオガスプラント3基同時建設へ」の一面記事が目に飛び込んできた。
十勝管内の農協と組合員、農機具メーカーが共同出資して会社を立ち上げ、家畜ふん尿を原料とした大型バイオガス発電プラント3基を同町内に建設する」のだそうな。

酪農の規模拡大が進む傍らで、ふん尿処理が課題だったので計画を進めていた。」とある。となれば、これは危険だ。
何故かと言えば、バイオガス技術は糞尿処理技術ではないからである。

バイオガスはメタン発酵技術、つまりメタンガスと二酸化炭素の混合物を生成する。メタンはCH4、二酸化炭素はCO2。従って、バイオガスを生成すれば炭素:Cと水素:Hと酸素:Oは古細菌の働きで変換されるのだけれども、糞尿に含まれる窒素:Nとカリウム:Kとその他の塩類は減らない、むしろ濃縮されるのだ。
少し理科の時間を思い出してもらえれば簡単な理屈である。

記事では「液肥は畑に還元する」とサラリと書いているが、これが問題なのだ。バイオガスを取り出した後の液肥には、窒素やカリウムや濃縮された塩類はそのまま含まれていることになる。これはそのまま液肥に残るので、土壌に対する負荷は変わらない。処理後の液肥(とやら)を畑にまいても、糞尿処理の方法としては何ら解決していない。

むしろ、ハンドリングが良くなることで撒きやすくなり、施肥過剰が心配される。いわんや、北海道の酪農地帯の土壌は、すでに過剰施肥であり、牧草の栄養成分に悪影響を与えている現実を認識すべきである。

アンモニア:NH3はメタン菌を阻害するので、バイオガス発酵プロセスでアンモニア(窒素)を除去する方法はある。今回導入される施設が、このアンモニア除去プロセスを含んでいれば、問題は少なくなる。僅かばかりではあるが、、、


耕地面積に相談せずに、大頭数飼養のためにバイオガスを導入するなどもってのほかだ。何も解決しないからである。農機具メーカーとやらは、ここをしっかりと説明すべき義務がある。売らんかな、の時代ではないことはお判りでしょうね。

耕地面積に照らして適正な家畜頭数を飼養することを前提に、そこから最大限の利益をくみ上げるためには如何するべきか」をこそ、この際 議論していただきたいものだ。
コンビニの棚を眺めていたら、レトルトハンバーグに「黒毛牛肉」と書かれていて驚いた。よく見ると、そのあとに(アンガス種)と書いてある。これはダメだろう。

日本の高級牛肉は和牛、代表格は黒毛和種、まあ褐色をした褐毛和種(あか牛)なんかもいるのだが、消費者は黒毛と聞けば和牛を連想して、高級肉であり美味しいのだと捉えるはずだ。

で、アンガス種とはアバディーン・アンガス種のことで、確かに毛色は黒い(茶色もいる)がこれは和牛ではなく外国の牛である。肉専用種で確かに美味しく、世界の食用牛の代表格だ。
黒毛のアンガス種の肉ですから「黒毛牛肉」、何か文句ある?と小賢しい奴が考えたのだろうが、消費者を惑わせるのは確かだ。大手コンビニがやるべきことではない、恥を知れと言いたいネ。

同様に有名なのはヘレフォード種、これも海外ではポピュラーだ。大昔にオーストラリアのフィードロット(広大な肉牛肥育場)を見学したときは、アンガスとヘレフォードが中心だが、暑さに強いブラーマンなどもいて、これらの交雑種がほとんど区別なく飼われていた。

見慣れない黒牛がいたので、あれは何かと問えば「アンガスとヘレの交雑種」でブラックボーイと呼んでいるとか聞いたし、積極的にブラーマンと掛けて(交雑させて)暑熱耐性を持たせているとも聞いた。彼の地の人にしてみれば、要するに全部が肉牛なのだ。

ちなみに、ヘレは一般的には茶色で、ブラーマンは白い。前述のように茶色いアンガスもいる。海外では毛が黒い事には何の意味もないが、黒毛牛肉と言うからには、この牛肉は全て黒い毛皮を着ていたのだろうなと、イヤミの一つも言ってみたくなる。茶色の毛のアンガス種の肉が混じっていたら、不当表示ですからね。意味ないけど。
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LOFTで見つけたクリップ。 つい買ってしまった。 仕事にどしどし使ってまいりたい!!!
先日、家畜福祉の勉強会を聞いてから、私の中でモヤモヤが続いている。
当日は質問も出ていた、採卵鶏の強制換羽は家畜福祉に照らしてどうなのか、と言ったものだった。
会場は、畜産素人の消費者側の奥様方が多かったから、強制換羽の意味も判らなかったろう。講演した先生は、この技術は鶏のリフレッシュなので福祉に反するかの判断は一概には言えない、と答えていたと記憶している。

卵の品質が低下してきた採卵鶏を、一度絶食させて産卵を止める。すると鶏は古い羽根を落として生え替わり、卵巣や卵管は委縮した後に回復して良い卵を産み始める事になる。しかし、絶食のストレスで弱い鶏は死んでしまったり、この期間の免疫は当然低下するし、サルモネラの排菌が増えるなどとも言われている。しかし、本来は鶏を使い捨てではなく長生きさせる技術である。

採卵鶏には断嘴(だんし:デビーク)と言うのもあって、クチバシの先端を落とすのである。仲間をつつき回す事を防ぐ措置だが、これも家畜福祉に反すると言う。
そもそもケージ飼いが問題で、広い野原で自然のエサを与えれば、強制換羽や断嘴も必要ないのだと言われればその通りだが、これでは論点が拡大し過ぎて収拾がつかなかろう。

牛の場合はどうか。子牛のうちに角を焼いてしまう除角、睾丸を手でちぎり取る観血去勢(他の方法に比べてむしろストレスが少ないが)、乾牧草などに混入した針金などが胃袋内で暴れないように、磁石を飲ませるなんてのもあるし、鼻に穴をあける鼻環だって、BSE後に義務化された耳に穴をあけて装着する耳標だって、皆、生産性の向上を目指した人間の都合であるが、牛にはいい迷惑だ。

効率を追求せざるを得ない家畜生産の現場に、どこにどう家畜福祉の線を引くのか。果たして、誰もが納得する基準線は見出しうるのか。考えれば考えるほど難しい。

さて、日本の現在の畜産現場で、家畜は幸せだろうか。
確かに日本人は、例えば曲がり屋に代表されるように、馬や牛も家族の一員として一緒に暮らした良き伝統がある。アニミズムの流れもあり、動物や家畜に神を見る例もある。経済動物である家畜の死を悼む心も持っているはずである。
これは「家畜は神が与え給うた」と割り切ることをしない、日本人の美点であるかもしれない。
しかしこのことは、反面で動物との距離感を明確に意識しないことで、自分たちの都合によっては家畜の立場をいくら貶めても平気、無神経で、違和感、罪悪感を感じない酷い仕打ちに繋がっている、と感じざるを得ない場面が少なくない。
その意味では、むしろ神が示した距離感をメルクマールとする人々のほうが、家畜には総じて優しいのかもしれない。

実際に酪農地帯を歩いてみると、
肘まで浸かるドボドボに泥濘化したパドックで、腹まで真っ黒にして、同じく泥まみれのロール乾草を食べさせられている育成牛の群れ。乳房炎等で回復不能になった乳牛が、廃用扱いで治療もされず炎天下に放置されて死を待つ光景。蹄にウィルス性のイボが多発した牛舎で、痛みでパーラーから歩いて戻れず座り込んでしまう乳牛。掃除されていないウォーターカップで、汚れた水を飲まされる乳牛。近寄りたくない臭い牛舎。飛び散った糞やクモの巣だらけの牛舎。
残念ながら、枚挙にいとまが無いとは、この事だ。

道路際で、消費者の目からもいかにも無防備に、一部のメガファームのみならず小規模の酪農家の中でも毎日繰り返されているこのような家畜への酷い仕打ちを目にすると、飼養者の感性の麻痺を疑わざるを得ない。(全部がそうではありません)
このような飼養者には、やはり消費者からの指摘が、「こんな飼い方をした畜産物なら買いません」と言う言葉が必要なのかもしれない。

いや、昨今の飲用乳の需要低迷の中には、すでにそのような要素も含まれていないのか。
不信感からの、見えない消費者離れが進んでいるのかもしれないとすれば、これは関係者が意識して取り組まねばならない課題なのかもしれない。モヤモヤは、しばらく続きそうである。
取引先から声がかかったので、都内の勉強会に参加してきた。
業界の集まりではなく、消費者団体の主催のミニ集会で、総勢30名ほどだったろうか。

〇畜産革命 集約畜産から家畜福祉畜産へ
演者はこの分野の第一人者で、この方面の訳書も多い。
猛威を振るう口蹄疫、それより恐ろしいと言いきるBSE、鶏インフル等も切り口にして、国際獣疫事務局OIEの果たす機能とEUにおける家畜福祉畜産の進展を、唯一世界から取り残され国内も無関心な我が国の現状と比較して述べた。

EUでは主流の家畜福祉の概念はもはや定着し、また輸出畜産物の差別化要素としても機能させており、政府としての取組みが遅れる米国でも一部の州や大手外食産業や生産者では自主的・先駆的なガイドライン策定が目立つ。中国や韓国でも実は注目度は高い。日本では消費者団体こそが「GMOや生産国差別でなく、国内の畜産の現場にも目を向け勉強し発言する必要」を説いた。

鯨議論と同じだ、などと言った我が国独特のピンボケ批判は止めて、家畜福祉がヒトの栄養と健康に直結するとの「国際的な認識」を醸成したい、とした。
具体的には、EUでは採卵鶏のバタリーケージ飼育と雌豚のストール飼育は2012年までに段階的に廃止の流れである。
我が国では農水省のアニマルウェルフェア飼養管理指針が、鶏で2008年度、ブロイラーと乳用牛とで2009年度、2010年度には肉用牛と馬が策定予定だが、知っているものがどれだけいるのか、またその概念は議論不十分と言わざるを得ない。
集約的畜産、過密飼養、加工畜産への批判は、時間がなく語り切れなかった感あり。

〇口蹄疫の防疫対策を考える
演者は、宮崎県での口蹄疫の発生を振り返り、殺処分の根拠となった家畜伝染病予防法と防疫指針の現実との乖離を指摘した。
法は昭和26年の制定であって、現在の飼養密度をまったく想定していない。一般車両消毒が出来ず封じ込めに失敗、埋設場所がないことによる殺処分の遅れ等において、超法規の特別措置法を必要としたがこれを果たして普遍化できるか。

もとより、大規模化した現在の畜産経営では「殺処分一辺倒の防疫対策」では産業としての畜産が成り立たない、守るべき畜産が消滅してしまうのは本末転倒で法改正が必要な所以である。
ワクチン接種による抗体なのか、ウイルス感染による抗体なのかを判別できる新しいワクチンの開発が急務である。

周辺に生息するイノシシ・鹿などのモニタリングも重要だが、これは農水省管轄でない。
殺処分した埋設地の環境汚染も、継続したモニタングも必要である。
リングワクチネーションは行うべきだったが、結果として失敗し、その周辺からポツリポツリと発症を見た。7/4にも更に発症した。これで終息すると考えるのは楽観に過ぎるだろう。
このような大規模疾病に対処しうる生産者しか生き残れない、その事を憂いてもおられたようだ。
口蹄疫が猛威を振るう中、政府が鳩山首相を長とする対策本部を設置した。
遅きに失するとの批判が多いが、気付いた時点で動くことは重要である。あと知恵で文句を言うのは誰でもできる。
対策チームの長には、折悪しく外遊して非難の的となった農水大臣ではなく、山田副大臣を置いた。氏は近県長崎の出身で司法に詳しく、肉牛と養豚牧場の経営の実績もあるのだから、キャスティングとしては良い。是非、後世「蔓延をきわどく食い止めた現場に強い政治家」と名を残すようリーダーシップを、本領発揮を期待したい。

非常事態宣言をした東国原知事、タイミングとしては妥当である。震源たる地域の生産者からすればこれも遅すぎると感じようが、非常事態宣言による県全体の新たな混乱と経済活動の停滞等を考えれば、苦渋の決断だっただろう。川南町から発症は南下して高鍋町、そして新富町にまで及んだ時点での宣言である。明らかに初期の発生場所での封じ込めに失敗した事を受けての宣言の発布である。氏は当初から積極的に情報公開し、陣頭指揮をとっているから立派である。

ああしていれば、こうしていればと、当事者にしてみれば、皆 立場立場で見解が異なるのは当たり前なのだ。全ての人間に正しいと評価される事などあり得ない。

新富町には、東九州自動車道の末端「西都IC」があったはずで、もしウィルスが自動車に付着するなどして九州の高速道路に侵入すれば、その結果は想像するに恐ろしいものだ。一般車両の消毒は、徹底すべきである。

ようやく国が緊急財源を用意すると言うが、被災した生産者は悲惨である。生計の手段を突然奪われ、しかも殺処分が決まった家畜に泣きながらエサを与えているなどと聞けば、こちらも泣けてくる。彼らにしてみれば、これまでの人生が否定されたも同然である。

近隣での発症を聞いて、明日は我が身と怯える生産者にとっては、まさに地獄の日々が続いていることであろう。そして、急きょ駆り出され殺処分を担当させられている獣医たち。獣医は動物が好きで志し、日々家畜を健康に飼う、病気を治すための仕事をしている方々であって、目の前の数百頭の家畜をさあ殺して見せろと言われれば絶句するだろう。そのストレスたるや生産者に勝るとも劣らないのではないか。

現場はまさに修羅場である。
こうして関東にいてお気楽に記事を書いている私も同罪かもしれないが、これまで畜産に近くもない口蹄疫の存在も知らなかった方々が、ろくに調べもせずに国が悪い、県が悪い、政党が悪いと憤っている。
知らぬ事は言わぬ事。
現場の痛みを受け止め、今は静かに見守り祈るしかなかろうと考えるのだ。
米国著名アナリストが近い将来の米ドルを悲観したとか、最近のドル安を米政府が容認したとかで、今年夏には95円だったドルが、じりじりと値下がりしていたのが、何と今日の昼過ぎには急降下、86.2円をつける大騒ぎだ。

私の所属する会社はエサ会社であるから、原則としてインポーターである。円高による原料安は短期的には歓迎かもしれないが、原料安はそのまま次の四半期には製品価格に転嫁される業界だから、喜んではいられない。原価が下がっても、そうそう利益を上げられない宿命である。

f0057955_22205112.jpgむしろ、またぞろ自給飼料(酪農家が栽培する牧草や飼料作物)や、エコフィード(食品副産物を飼料化したもの)の割高感が顕著になり、取組み意欲が減退するのではないかと心配だ。
輸入飼料に頼っては、我が国の耕地への窒素蓄積と局所的偏在が増すばかりである。

閑話休題。昼休みに、近所で見かけた工事の看板。相変わらずの、ありえない斑紋の「うそ牛」の絵である。

顔もウソ、目も鼻もウソ、尻尾もウソ、描いた人は牛をキチンと見ていないことは明白だ。日本列島の形が斑紋になっているのがミソであるらしい。しかし、どうやら肯定的に乳用牛を捉えてもらっているのは、業界人としては有難いことなのかもしれないナ。
牛をめぐる環境が激変していると言うのに、この牛はひたすら平和である。羨ましいことだ。

また、ウソ牛を見ました。ウシおばさん、お元気だろうか。
朝から昼まで、新製品のリーフレット原稿を作り、午後から研究農場へ。
午後から研究員と打合せ、来客対応、そして近所のお客様を久々に訪問した。
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牧場の車庫のシャッターを白色に新調して、そこに絵を描いている。美術大学に通う娘さんと、そのお仲間とか。色使いといい、構図といい、なかなかの傑作でありました。
午前中は報告書の作成、午後から市内でお客様と打合せ、終われば都内に移動して、夕方からは取引会社の支店長さんの送別会に出席した。
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会場となった丸の内には、カラフルな牛達が、ここに、あそこに置かれている。
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見慣れたホルスタインと比べれば、小型の牛だ。
しかし、立派な角があり、そして小振りだが乳房もあるので、子牛ではない。
ネットで調べてたら、カウパレード 東京 丸の内 2008なるもので、全部で80頭近くのウシが、東京駅の丸の内側のそこかしこに配置されているらしい。
ちなみに実物大と書いてあったが、、、?
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アートなウシが丸の内ジャック!だそうである。
この、酪農がピンチのこの時期に、都会ではウシがひたすらアートしている。
酪農の窮状を訴えるウシが一頭もいないのは、どうしたわけなのだ。
かように、生産現場と消費地は乖離している。
f0057955_21144580.jpg長年に渡って農水省の試験場に勤務され、ここ数年は日本大学の生物資源科学部の教授であられた阿部亮先生。
近年の農水省主催のエコフィードのシンポジウムなどには、必ず座長を勤められていた。
この3月で退官されたのを機会に、酪農雑誌などに寄稿された畜産随筆を本にまとめられた。
題字は、阿部先生ご本人と思いきや、先生の恩師であられるそうな。

1991年のデーリィジャパンへの寄稿文から、この本は始まっている。そういえば、1980年代だったと記憶しているが、この方のまとめられた飼料原料の特性図鑑といったものがデーリィジャパンの付録に付いてきて、これが素晴らしい出来で引く手あまただったので、DJ編集部に頼んで表紙を替えて増刷してもらい、当社のお客様にお配りしたことがあった。
常に現場主義、そしてTMRやエコフィードなどを、いち早く、率先して取り上げてこられた方なのである。

帰宅の途中、生垣の光に集う花たちを見た。偶然ではないだろう。光が、熱が、花たちを集わせているのだろう。こう慕われては、灯りも幸せであるね。甲斐があったと言うものだ。
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