カテゴリ:日常の雑感、覚書( 1374 )

既に朝から汗ばむ陽気で、自転車通勤は風を切って走っている時が快適である。赤信号で止まれば、体の中から熱気が湧いて出て閉口する。
ああ、このまま会社になど行かず、風を切ってどこまでも走って行きたい!!!のである。

千葉港の海辺に近づけば、海が臭う。
磯臭さを通り越して、これは明らかな腐敗臭、おそらく赤潮が発生しているのだろう。
これだけ気温が上がれば、微生物の活動にも大きな影響を与えるであろうが、要するに人間の活動によって沿岸が富栄養価しているのだ。

赤潮・青潮は、年に何度か遭遇するが、自然の緩衝能力の範囲を超えた有機物・栄養塩の排出がもたらす事象であろう。本来ならば自浄作用を発揮するべき海岸線への、人為的な改変が原因とする意見もある。遭遇するたびに、ヒトは環境に対して謙虚であらねばと思い知らされるのだ。
金曜日はゴーヤを収穫したので、上の息子を呼んでゴーヤチャンプルー・パーティとした。土曜日はいつもの朝飯、息子は帰り、夫婦は何もしない日。夕方に私は歯医者に行った。

前歯のインプラントにようやく歯が立つことになり、型取り。
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イオンで安かった鰯を買ってきて、今夜は鰯のオーブン焼き。梅味、塩胡椒、カレー味。梅雨時期のイワシは旨いことになっているらしい。

9日は日曜日、気温が上がっている。
カミサンは近所に開店手伝いに行ったので、私一人で掃除、洗濯、この際だ家のことをイロイロする。

九州の大規模災害、山肌が土砂崩れとなり樹木が流されて住宅を襲い、川をせき止める。何と恐ろしいことだ。
津波の時も感じたことだが、海辺、川辺、火山の周辺など、本来はヒトが住んではならぬ場所があるということだ。或いは覚悟して、備えて住まねばならぬということだ。

住宅を、家族を、これまでの人生の蓄積を一気に失った方々を目にして、発すべき言葉がない。
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4日 朝飯を済ませたら成田に移動、昼過ぎには着くはずが成田では滑走路で離陸を待つヒコーキ多数、小一時間はノロノロしていたのじゃあないかしら。当然 千歳到着は遅れてしまう。
今回はいろいろ動く必要があり、レンタカーを借りた。

母を見舞って、洗濯物を受け取り、実家で洗濯して、夕飯を作って食べているところにカミサンも合流だ。

5日 母の転院の日。朝イチで出かけて荷物を片付け、退院手続きをして、車椅子で運んでくれる福祉タクシーを待つ。予定通り10時半までに愛全病院のリハビリ病棟に到着、改装したばかりの病院で病室も小奇麗、廊下などはデーンと立派な椅子が置かれるなど、まるでホテルの如き也。

医師の問診だ、介護士の聴取だ、さあ一回目のリハビリだと、母もなかなか忙しい。お疲れ様である。母が気に入った地獄堂霊界通信の文庫本の続きと、TV用ヘッドフォンの延長コードを買い、こちとらも食事をして、再び母を見舞い、その後はカミサンを叔母様宅まで乗せて行く。

夕方には実家に戻り、必要最低限の庭の手入れ。隣の奥さんと立ち話して、どうぞ野菜を勝手に収穫して持って行って下さいね。

6日 今日ならJetstar便が安いので、朝は千歳空港に直行して、それでも事務所に戻れば午後2時を過ぎた。先月の販売実績を解析して、予想外の数字に驚きながら速報をこしらえて関係者にルール配信。よーし、すべき事は終えたので、遅く来た私は早く帰ります。

我が家では、冷蔵庫の残り物で料理をいろいろ。帰宅したカミサンに札幌での礼を言って乾杯。今週も残すところ明日一日だ、丁寧に過ごして参ろう。
帰宅した我が家では、ベランダゴーヤが迎えてくれた。そろそろ収穫、この土日で初チャンプルーでも作ってやろうか。
帰省の合間の出張などで、最近はバタバタだった。明後日からもまた帰省して、母の転院に付き添わねばならぬ。何もせずともよいこの土日は貴重な時間であった。
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1日の土曜日 カミサンは研修の引率とやらで出掛けて行ったので、私は懸案だった最後の洋服ダイスの衣替えをし、防虫剤をホームセンターに買いに行った。

結婚して新居を構えた時に購入した食卓が、表面が荒れて流石にミットモナくて気になっていた。そこで、サンドペーパーをかけた上でニスを塗ってみた。およそ30年ぶりのメンテナンスである。湿度の高い季節なので、除湿器を回して扇風機で風を送る。

近所の酒屋が隣町に移転したので、様子を見に行き、酒を買って帰る。

2日は日曜日 家の掃除をして、洗濯やら、ベランダゴーヤの世話やら。カミサンがビノス貝と蛸を買ったとメールをよこしたので、今夜は蛸でアヒージョだな。マッシュルームを買いに出て、足りなめの野菜をあれこれ買って戻る。
先日のNHK朝のニュースだったか、大手企業の重役だった方が退いても「顧問」と言う肩書を持ち、個室と運転手付きの車が使え、現職の重役が持ち込む相談に応える様子がTV画面に写っていた。

顧問だ相談役だが、会社の意思決定の権限や経営責任は無いにもかかわらず、ともすれば経営陣に院政を敷くかの如く振舞って弊害をもたらす場合があると、日本的な企業風土を指摘するのが趣旨だったようだ。株主総会で問題視されている、海外からは認められにくいとかの言い方もされていたようである。

ちなみにTVに写った顧問氏は、そのような方ではないらしく、これまで培った経験を社業に役立てるべく努力されておられるようだ。少なくともチャレンジなどとは仰らないのだろう。

実は私も「顧問」の端くれである。
私が所属する会社では「顧問」は二通りある。片や、役員を退いた者が位置づけられる「顧問」であって、しかし常勤ではなく云わば長年ご苦労様報酬であるらしい。つまり経営に口出しする顧問はいない。(と思われる)

もう一つは、私のような常勤の顧問で、部長職経験者が60歳定年後に再雇用される位置である。幹部職ではないので決定権はなく責任もないので気楽なものだ。日々しゃしゃり出ない様に気を付けて仕事をしている。経験はあるので、そこそこ便利に使ってください、てなもんである。

再雇用ではシニア社員制度がある。部長職未満の定年到達者は通常はシニア社員になり、一年更新で五年間の再雇用期間がある。私の立場は云わば「上級シニア」とでも称するべきか。同じ五年間のシニアなのだが、要するに一般のシニア社員より給料がやや高いのである。その分しっかり働かなくっちゃネ。

定年後にシニア社員になると、給料が激減するので初年度の重税感がハンパない。部長職経験者には上級シニアに位置付けて少々給付額を増やし、激変緩和措置を講じてもらっている感があり、これは有難いことである。文句を言えばバチが当たるというものだ。

ただ、これは実はシニア社員の給料が低すぎるからこその救済策であるかも知れず、とすれば顧問などを作らずにシニアの給料を底上げすればどうよ、と言いたくなるのも事実。まあ原資の問題なのだろう。

このTVを見て考えた。
とりあえず、次回作成の私の名刺には「顧問」の肩書を印刷しないことにしておこう。
25日は日曜日、家の掃除をしたら料理に取り掛かる。
昼には息子二人も駆けつけて、カミサンのお誕生会が華々しく開催された。バースデーケーキを食べてから、茹で卵と豆腐でボリュームアップしたバンバンジーサラダ、鶏むね肉のガーリック焼き、初めて作ったジャガイモのニョッキと空豆には、息子に買ってきてもらったゴルゴンゾーラチーズでソースを作る。

ビールをたくさん飲んでから、白ワインを二本空けて、そのあとは日本酒になって、庭のバジルでカプレーゼや、隠元豆のお浸しなど作った記憶がある。皆していいだけ飲み食いして、酔っぱらって、息子らが帰ったらバタンキューだった。しかし、ピアノでlet it beの練習をした記憶もかすかにある。

26日 昼前のJetstarに乗らねばならぬというのに、昨夜の飲み過ぎで朝はミルクティーのみ。それでもカミサンの弁当を作ったり、やることはやったのだ。

鉄路で成田空港、昼に到着した新千歳空港でレンタカーを借りて母の入院先まで。上着を持って来なかった事を後悔した、えらく気温が低いのだ。

母から持ってくるべきものを聞いて実家で荷造りして、戻って届けて、転院予定の病院に医療相談員氏を訪ねる。

詳しい説明を聞き、転院は7月5日を希望すると伝え、緊急入院してそのままになっていたリハビリを訪ねて料金を支払い、実家に戻れば軽く畑仕事をして青梗菜を収穫した。採りたての青梗菜を油揚げと炊き合わせる。うーむ細胞が生きている、美味い。

27日 実家の野菜を叔母の家に届けて市千歳空港、今度は関空行きのJetstar。久しぶりだな関西空港、乗ってきた飛行機にはスパイダーマンが描かれていた。
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鉄道より安いはずのバスで京都まで移動して、明日に備えて四条のホテルに入る。

札幌の病院からは、5日の転院OKの電話があった。来週も忙しくなるな。
ああ、今日はやるべきことがない。久しぶりにゆっくりとさせてもらった。
朝飯を食べて、ルイガノ号を走らせてクリニックで処方箋をもらい、調剤薬局で降圧剤をゲットした。今日はカミサンの大台に至る誕生日、昼飯にケーキを買ってきてコーヒーを入れる。

ほぼ毎日通っていたブログ主が、体調不良を理由に中止の告知。残念だが仕方がないか。TVでは歌舞伎役者のカミサンが若くしてガンで亡くなった報。若い方の死はお気の毒である。が、この役者は数年前に飲み屋で与太者と喧嘩して怪我をしたとかで騒がれていた男だな、多分。婚外子がいるとかも言われていたはず、波乱万丈であるなあ。商売とは言え、傾くのも大変だ。
周囲も騒ぎ過ぎであろう。ガンで若死にする人など、世の中に多数いるのだ。

午後からは買い物に行き、ゴミ箱と椅子の布団を新調して、食料品を買ったら、トヨタの店に行く。右手が不自由なカミサンが自動車を運転するための補助具の情報を得ることができた。ハンドルに取り付ければ良いだけらしい、実現を目指してみるのである。

小松菜とシーフードのクリーム煮、鯖の塩焼きなどを作りて食す。久々の、我が家でゆったりできた一日であった。
22日 暫くぶりに会社に出て、今日は健康診断だ。
身長190cm、体重90kg、糖質コントロールを覚えてこの3年余り体重は変わらない。努力すれば、も少し落とせるのは分かったので、この辺りに留めている。

体は醸造酒以外の炭水化物を受け入れにくくなっており、会社のおやつで大きめの煎餅三枚を食べたら夕方までモタレる始末だ。

カミサンが大仕事の後の飲み会なので、私は昨日の麻婆豆腐にニラと豆腐を増量し、野菜と卵の炒めなど食す。

23日 母の転院に関していろいろ動きがあり、懸案の出張も上手くハマって、来週の予定が見通せた。バタバタだが、明日はカミサンの大台に至る誕生日、めでたい。日曜日には、息子共を呼んでお誕生会を開催予定也、めでたい。

キャベツとひき肉のスープ煮、胡瓜と茗荷の酢の物などを作りて、久方ぶりにカミサンといろいろ話しつつ食す。平安なる日常が戻ってきたが、前途は多難なり。
20日 火曜日。午前中に母が世話になっているケアマネさんとのミーティングを予定していたら、入院先の病院から電話がある。
腰のレントゲンを取ったら圧迫骨折らしき形跡ありとて、専門医の診断が必要とか。現在入院している病院は脳神経外科なのである。

先方の病院の受診が午前中なので、すぐにも出ますとの事で、では私も移動して現地合流としたわけなのだ。母を救急車で送ってもらい、その後は私が付き添って受診して、脊椎の専門医によれば第三と第五腰椎に圧迫骨折の痕跡あり。新しくはなく、古くもなく、これは1月の尻餅事故によるものであるらしい。これが母の現在の腰痛の原因であることが確認されたことになる。

帰路はまた救急車に迎えに来てもらい、帰路なので急がぬとも良かろうにサイレンを鳴らして移動する。音源と共に移動すればドップラー効果が生じないことを、身をもって体験した。

一度実家に戻って、畑仕事などして、夕刻に見舞いにより、そのまま千歳まで移動して宿泊。途中の札幌駅のライオンでビール。このくらい楽しませて下さい。

21日 基本料金5千円台のJetstarで昼過ぎに成田着。
後ろの若者が、短い脚をせわしなく組み替えるので、都度に席の後ろからキックが来る。閉口して隣の席に移動する。

この頃は、こーゆー若者が増えた気がする。
じっとしていられない、始終何をしていないと身が持たぬらしい。ペットボトルのお茶を飲み、スマホで遊び、落ち着きなく身を動かし、ヘッドホンで音楽を聴いたかと思えば、トイレに立つ。オジサンは呆れるのである。

到着した成田は小雨ながら風が巻いている。
駐車場に置いてあったポルテ号を回収して、事務所に直行。夕刻からの会議に間に合わせる。外部からの要請にどうこたえるかの会議だが、たぶん一番正確に素早く対応できるのは私だけなのだが、どうも勝手が違う。

ここまで判らぬメンバーが増えると、群盲象を撫でる感ある。
まあ、客観的に作業が進められる事だと言う事にしておこうか。シニアの身だ、いらぬ事は言わぬのだ。

帰宅して久々にカミサンと話す。
18日の日曜日、昨日は甥が、今日は義理の兄ともう一人の甥が、入院中の母を見舞ってくれたようである。
私は午後からカメレオン号で向かって、母からいろいろ持ってくるものを頼まれる。母は少しは体が動くようになったようだ。
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19日 月曜日になってしまった。昨年も盛大に有給休暇を取っており、今年もこの様子では、あと10日程を残すのみだ。
私はあと何日休めるのだ、有給休暇を使い果たしたらどうなるのだ、介護休業とか言う制度はどうなっているのか、これらを聞きに上野幌の本社を訪ねた。
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札幌の南のはずれから東のはずれまで、片道25kmほどの道のりで8時半に出て10時10分到着。上りの坂より向かい風がきつかったし、ワイシャツだけだったので大いに体温を奪われて消耗した。

残る有給は10日程、その後は欠勤が30日まで許され、該当すれば介護休暇は無給ながら90日との事た。これまで会社に貢いできたつもりのシニアの身だ、ここは最大限にこれらを利用させてもらおうと思う。

昼前に月寒の叔母を訪ね、母を見舞った後は夕方だが洗濯。明日は帰り支度をしなければならぬのだ。寄り道して帰宅すれば、今日は50km以上走ったはずである。太腿の張りが心地良いのである。