カテゴリ:日常の雑感、覚書( 1310 )

日曜日 カミサンとの都内散策を発案す。
掃除して昼過ぎに家を出る。まずは四ツ谷3丁目まで行って喜多方ラーメンを食し、外堀公園を目指して、一度来てみたかった新宿歴史博物館。

夏目漱石など明治の文豪が集ったことで有名な界隈、その後の大正、昭和の戦前戦後。都市近郊の田舎が、繁華街に変貌を遂げるこの街の歴史が面白かった。

都市は人が群れることで形成される。その時代の、そこに住む民衆の欲望と訴求熱量の蓄積だ。今の日本は成熟社会から老成社会に移行しつつあるが、当時の若き日本の匂いを感じることができた。

外堀公園を飯田橋まで、初めての経験で靖国神社、再び飯田橋で青森県のアンテナショップで買い物をして、中央・総武線で千葉まで戻ってきた。

千葉のエキナカの立ち飲み屋に引っかかり、帰宅して仕込んであった鯖の塩麴を焼き、買ってきた長芋を鮪と合わせて夕食。
11時まで、あたふたと仕事して、来週の札幌出張の日程を決めた。午後から四ツ谷で打ち合わせ、天気が良いのでウインドブレーカーはリュックにしまって歩く、ちと寒い。
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少し早いので飯田橋で降りて、外堀公園を歩く。向こうには東京理科大、こちらの法政大はドでかいビルディング。
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堀をまたいで市ヶ谷駅の上を走る水管橋、昔は橋を架けたのね。かなり歴史がある代物のようだ。
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おや、こんなところに八幡宮とお稲荷さん。そのまま靖国通りを歩いてモノモノしい防衛省あたりを回れば、30分が消化できた。

打ち合わせでは、来週に技術者氏を飲み会に誘いだすことに成功し、よーし先方の技術者氏と引き合わせて意見交換させてもらおう。こんな提案ができるのも、年の功であるなぁ。

雛祭りだというので、いつもとは違った料理にしようとて、刺身用だという冷凍赤海老とイナダ、千葉産の蛤を買って帰宅。海老はあまり鮮度が良く見えず、仕方がないので殻でとったスープに放り込む。海老の殻、カニの殻、蛤の出汁のでたスープに、マッシュルームとセロリとパセリを放り込んだら、まあ何と芳醇なこと。

イナダとカニとホタテも、刺身のつもりだったが、カミサンの発案で柚子胡椒ドレッシングでマリネで食べたら、白ワインとの相性が良かった。
27日 前週は休みが多かったから、残務整理でバタバタのうちに昼に至る。午後からは研究開発の会議に出席した。この報告だけを聞いていると、我々がサポートしたこともすべて研究員の手柄だな。まぁいいか、業績が伸びれば良いのだ。

28日 どうやら今月の我が部門の販売実績は極めて良好である。これは正直に嬉しい事だ。
夕方から歯医者に行き、先日キャンセルした分を改めて入れてもらう事とした。
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3/1日 ああ、3月に突入だ。朝礼があった。社長の言う重い荷物とはいったい何であろうか。謎だ。
4月発売の新製品のチラシ編集が佳境に入る。夕飯は、ネットで衝動買いしたカニで、カニ酢とカニ玉。先日行けなかったカニ専門店の敵を取ろうとしたのだけれど、これはあまり良い買い物ではなかったか。

2日 午後からの雨で、ルイガノ号を置いて電車通勤。
チラシの文字校正を終えて、ゴールが見えてきた。何だかんだと忙しく一日を終えた。
団地の大規模修繕も終盤で、廊下がペンキ塗りたて。歩き難し。終わる日が待ち遠しい。
家の掃除を済ませたら、この一週間の食料品を買い込んできた。
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ロマネスコが安かったので、今日のイワシのパン粉焼きの付け合わせにしてやろう。

それにしても毎度見事なフラクタル形状。本人もさぞかし面倒だろうと思いきや、ウィキによれば「このような構造を生成するために必要な設計情報も、比較的単純な手続きの再帰的な適用で済まされるので、遺伝情報に占める割合もごく少量で済むものと考えられる。」とあった。なるほどそうしたものか。

24日 またもや朝3時起きで成田空港、6時発のJetstarに乗り込んだところで具合が悪くなり、じっと耐えていた。悪寒がこみあげ、脂汗が出て、からあくびを繰り返す。同行したカミサンによれば顔も血の気が引いていたとかで、軽い貧血状態だったのだろう。このところ無理をし過ぎて、体がついてこれなかった様だ。私も歳をとったものである。

何とか回復して新千歳空港、実家で母の入院準備、14時めがけて市内の病院に向かった。かなり老朽化した建物だが、スタッフはとても親切で、年寄りを扱いなれている。聞けば患者の平均年齢は80数歳とか。

25日 実家に泊まり、再び足りない荷物を持って見舞いに行く。早めに終えて、正月に顔を出せなかった月寒の叔母宅を訪ねた。下の叔母は年末に膝の人工関節手術を受けたそうで、来週は別の足で入院予定。上の叔母も、体のいたるところが痛くて辛く、リハビリに通っているとかで、皆して歳をとったと盛り上がった。?

成田空港に置いていたポルテ号で9時過ぎに帰宅、バルサとチャグムの活躍を見て就寝。
22日の朝は3時に起きて成田空港、6時のJetstar便で新千歳空港、JRで札幌、地下鉄で真駒内、バスには時間があるのでタクシーで10時には実家到着。タクシーには持ってもらって母から診察券と健康保険証とお薬手帳を預かり、再びタクシーで眼科と耳鼻科。

本来ならば本人が受け取らねばならぬ処方箋だが、代理で私が受け取って調剤薬局。薬をゲットしたら平岸に移動して、母の主治医に相談。短期入院の目途をつけて、途中のコンビニで昼飯のサンドイッチを買って、母と遅い昼食。

自宅で養生して回復して欲しかったが、もはや限界であるらしいので緊急避難の入院を決めた。ここで持ち直して、再び自宅で暮らせるところまで回復して欲しいものなり。

夜の便で成田に戻り、明日の出張に備えてこのまま成田に泊まる。勿論これは自腹の宿泊だが、5千円の東横インは有難い。
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23日 レインシャワーとか言う新設備。お湯が真上から降ってくるのはイイ感じだ。
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成田の東横インは、大規模増設工事中である。今日も見渡せばほとんどが中国人旅行者だったようだ。

東関道から圏央道を移動して美浦トレセン。販売店の営業氏といろいろと話して戻る。
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そうそう、遅い朝飯は、発酵の里「神崎」の発酵定食、デザートにはファミマのヨーグルト。疲れた体には発酵食品だな、うん。

車を自宅に置いて、ルイガノ号で出勤。メールに対処して、雑務をこなして、明日はお休みします。来週からは、安定して仕事に向かえそうだ。
今日も風が強い、そして気温も低い。
雑用を片付けるうちに、月次ミーティング。来月に、部内のお二人が転勤となった。補充はあるのだろうな、私の考えることではないか。

仕事の合間に、明日のスケジュールを組む。翌日の昼前には隣県に用事もできたので、こりゃまたハードなことになった。気を引き締めてまいろう。

今夜はカミサンが友達と夕食、私は飯を作る必要がなくなったので、寒風に吹かれる帰路にラーメンで温まってきた。

明日は3時起きだ、もう寝ます。明日の予定が無事にこなせれば吉である。
いつも通りに起きて、しかし早めに朝を済ませて、8時半の同僚との市内待ち合わせに車を走らせる。ピックアップして、市内の農家さんで写真撮影。同僚を最寄り駅に送って、私は成田空港を目指したまでは予定通りだった。
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しかし、第3ターミナルに着いてみれば我が便は欠航。到着地の大雪とのこと。
キャンセル窓口に並んだが、今日と明日の便は満席で、となれば仕方がない、預けたポルテ号に戻って自宅まで戻ってきた。高速代と駐車料金の数千円を払い、午後休を取り、まだ私は千葉に居る。
成田でいいだけ砂嵐に吹かれて髪の毛はザラザラ、これはまったく理不尽である。
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実家の母にはケアマネさんに打ち合わせに行ってもらい、私は明後日の早朝便で移動することにした。会社事務所に確認すれば、折悪しく先日すっぽかした相手先からは23日のアポがメールで届いているらしく、では明後日は日帰りせねばならぬようだ。

人生ままならぬ、煮詰まっているが、ここは持ちこたえて何とかするのだ。
13日は、母の整形外科に同伴、レントゲンではどこにも難は認められず、ところがその夜に眩暈がしたらしい。翌日起きれば今度は脳神経外科に連れて行けという。
尻餅をついた際に、壁に頭を打ち付けていて、タンコブができた。母の周囲に、頭を打ってから一か月後に硬膜下出血が判明した方がいたらしく、これを心配している。
私としては、足が痛いという母なのに二日間も検査で広い病院内を歩き回ることによる体への負担が心配なのだが、ここは本人の言うとおりにしてやろう。

14日は大事を取ってタクシー移動と、病院内は車椅子を押した。
で、やはり何ともなかった。頭を打ったぐらいでいちいち硬膜下出血していては、人類は既に死に絶えている。まあ、不安の連鎖に襲われている母には、納得すべきことだったのだろう。

15日 滞在が一日延びて、水曜日の午後に成田から出社。新製品ロゴの作業にバタバタして、周囲に迷惑をかけてしまった。

16日 バタバタと仕事をしつつ、午後からは来客対応。もうこのメーカーさんとも25年の付き合いだ。言いたいことは山ほどあれど、私も大人になったものだ。
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17日 聞きたかったセミナーは昨日終わっていたけれど、業務のネタ探しに国際展示場の健康博覧会。終われば機能性原料の取引先と打ち合わせ。ちょうどよい機会だ、神田のヨナヨナでビールを飲みながらあれこれ話して有意義であった。

18日 あっという間の土曜日、昼前に母から電話、ますます足が痛んで立てなくなった由。言わんこっちゃない、検査のハシゴでかえって足腰を痛めてしまったようだ。これは困ったことになったが、土日は現地のケアマネさんも病院も休みであるので、どーしようもない。
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既にJetstarは満席、移動は明日以降だ。カミサンと蕎麦を手繰りて市内探索。
夕方には下の息子を呼んで、稲毛海岸のビール屋で飲み、我が家に戻ってまた飲む。

19日 昨夜は仕事が忙しく合流できなかった上の息子が来て、皆で昼飯を食う。母に電話して、月曜日の午後からの帰省とした。ケアマネさんと話して、必要ならば母の入院に向けてあれこれせねばならぬ。どーにも困ったことになってきた。
11日の夜に札幌の母から電話がある。先月尻餅をついた後遺症が今頃出たのかもしれず、左足をつくと痛んで歩けぬとか。月曜日の通院に付き添うために、急ぎ日曜日に帰省することとした。

大急ぎで我が家の掃除をして、カミサンに成田空港まで付き合ってもらい、立ち喰い寿司を食べたらいつものJetstar。雪まつりの最終日のため、まだ料金は高めだ。
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流石に寒い札幌、しかし日本海側を襲った大雪は、今回はここではあまり雪を落としていないようだ。

さあて、これから整形外科まで。もはや老朽化した人工関節がどうにかなっていなければ吉である。バリアフリーの実家では、歩行器を押して歩けば何とか生活はしていけるようであるけれど、、、

検査の結果では、レントゲンに写らぬほどの腰部椎骨の微小な圧迫骨折が疑われた。背中を叩けば痛い場所がある。多分そんなところだろう、何とか歩けてはいるのだから。

とりあえず重大な事にはならず、一安心だ。
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11日の土曜日 風は冷たいが快晴でお散歩日和。カミサンが行った事がないという千葉寺を見るべく、モノレール県庁前駅からテクテク歩く。れん月で蕎麦を手繰り、後ろの丘を登れば、創建709年というウルトラ古い千葉寺がある。見事な山門、大銀杏の木、周囲に無造作に広がる墓所。

千葉寺町、葛城と抜けて、更なる丘の上にそびえる千葉大医学部を目標に亥鼻、旭橋から都川を渡って本町公園で一休み。ここまでくれば市街地も整備されているが、千葉寺から亥鼻あたりまでは流石に昔から人が住んでいるだけあって、車も入れない道が、しかも直線ではなく、都度に枝分かれして、ジモティでなければすぐに道に迷ってしまう。
千葉はぐるりと周囲に山がないので、どこを向いて歩いているかがわからなくなる土地柄なのだ。

近所のコンビニでカップ酒とつまみを買ってきて、公園のベンチで一杯やる。公園の看板によれば、この都川が大昔は市内をグルリと大回りして池になっており、椿森あたりで対岸に渡ったらしい。更級日記に記載があるという。なんでも上総の国府に任官していた父の任務完了により、寛仁4年(1020年)に作者が京に戻る途中で、大雨で増水した川に二日間の足止めを余儀なくされたとか。これまた古い話である。

あの更級日記の作者が少女時代にここを通ったのだ。おそらく道すがらに千葉寺にも詣でたことだろう。京の都までは、いったい何日を要したのだろう。今度読んでみようかしら、更級日記。今の時代だ、現代語訳などもあるのだろうな。