カテゴリ:日常の雑感、覚書( 1419 )

札幌から戻り7時のニュースを点けたら、大砂嵐の自動車事故の後は西部邁の自殺の報。

学生運動を率い、首相官邸襲撃を画し、しかし東京大学教授に至りその後は保守に転じて論客として名を売った師も、年をとり、伴侶を亡くされ、自らも咽頭がんを表明して、前途を見通せず自死を選択されたのでしょうか。

誠に聡明な方で、数多くの著作も、そして主催された月刊誌「発言者」も、愛読していた私です。
まるで江藤淳の自殺を思い起こさせる、行き場のない選択だったのでしょう。理に勝った方の人生の終わり方としては、判らなくもない。私もそんな年になったということです。

ここは安らかにお休みください。有難うございました。合掌。

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18日 有給休暇を使い果たして、欠勤には午前休も午後休もない。しかし、総合リーフの編集が押しているので、朝イチで会社に出て仕事をして、では親孝行をして参ります。
昼過ぎにカミサンを迎えに行き、成田空港から新千歳空港。

19日 母の退院の日である。
入院費用を払うべく銀行で出金してから病院に向かい、同室の方々にお菓子を配って無事退院。午後にはケアマネさん他、総勢6名が実家に来てくれて、今後の母のケアプラン策定。

20日 母の念願の冬モードを仕入れたら、食材の宅配が届くまでの食材の買い物。実家での今後のイロイロ。守り人を見て就寝。

21日 この三日間、母にたくさん食べさせようと料理に頑張った。
母にはくれぐれも無理をなさらぬようお願いして、昼前にカミサンと実家を出て、千歳空港から飛んだエアバスは離陸直後は大揺れだった。
日没頃に成田に降りて、我が家で夕飯。ああ日常が戻ってきた。

明日は降雪とか、ジャイアント・エスケープ号での通勤なるか。

昼休みに1,100円床屋で髪を刈った。
にーちゃん「どのくらい切りますか?」
私「耳がちゃんと出るくらいにして、横と後ろは刈り上げてました」と、これはいつもの返答である。

私「白髪が増えて、テッペンは薄くなっても、髪は伸びるよねぇ」
にーちゃん「男の人はやはり横と後ろが気になって(床屋に)来るみたいです」

つまり前髪と真ん中の伸びは遅くなっているのだが、横と後ろの髪の毛は若い頃と同じ速度で伸びるのであろう。
にーちゃん「何でそうなるンでしょうねぇ」
私「何でだろうねぇ」
ほぼ一か月に一度は髪を刈ってもらう私である。

新製品を加えた総合リーフレットの編集に専念した。
天気予報通りの雨になったが、夜はカミサンと待ち合わせして、小料理屋で一杯。千葉駅の改札階から上が新規オープンしており、どの店にも客が入っていた。ますます駅に人が集まり、周辺の店には脅威であることだろう。

我がPCが思わしくない。
我が社で標準の青いRGBでディスプレイを繋いで(今時ねぇ、)おり、hpマシンなので二つあるディスプレイポートにアダプタを介して、白いデジタル線で二つ目のディスプレイを繋いでいる。

今や仕事はメールと共にやってくるので、ボケるアナログ画面には主としてアウトルックを展開しておき、メインの高精細のデジタル画面でワードだ、エクセルだを広げて仕事をしている。たまに参考で開く画像データを、メーラーの上に重ねたりするわけである。

昨日から、このデジタルディスプレイが度々沈黙する。
以前もこの症状はあり、ポートを差し替え、コネクタを差し直したりすれば回復する。要するに接触不良なのだと認識していた。
昨日は夕方からはシングル画面で我慢して仕事をして、今日の朝に電源を投入したが、直っていない。まあ当たり前で、我々生物とは異なるので自己治癒能力があるはずもない。
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で、朝イチでラジヲ体操をしてとりあえずのメール返信をしたら、近所のホームセンターまで愛車を走らせ、接点復活剤を買ってきたのだ。ポートに、アダプタの両端に、白いディスプレイケーブルの両端に、そしてディスプレイ端子にスプレーして、電源を入れれば見事に復活した。
これで気持ちよく仕事ができるというものだ。

周囲の若者に自慢したが、接点復活剤?へえ~ってなもんである。端子の表面に形成された薄膜が導電性を確保する、なんて意味が分からんらしい。このデジタル世代の若者がこんな基本的なことを知らない、機械が動く原理を知らず、ただ便利を享受していて、その便利のもとに日常がどんどん積み重なっている。恐ろしいことだと思ったのだ。

動かなくなったら買いかえればイイじゃん、と言うことか。壊れているわけじゃないんですけどね、年寄りの感想である。

鏡餅を焼いて、昆布とスルメでとった出汁にセリと豚肉を放り込んでお雑煮。なかなか美味くできた。
ようやく寒気も緩んで、窓を開け放って家の掃除に精を出す。室温は16.4℃、着込んでおれば寒くはない。

昨日まではとても寒かった。しかし、年が明けての自転車通勤は寒風を切って走るのが新鮮だった。年末の仕事納めの日からご無沙汰であったので、二週間振りなのだ。

年が明けての帰省と出張、例によって土日が休めずにいたから、ようやくこの日曜日で一息つけた感がある。来週後半は母の退院が控えている、やるべき仕事も少々ある、リフレッシュして取り掛かるのである。

11日は前月の実績速報日、そこそこの成績をメール配信。
12日は第3Qまでの解析と午後らは二つの事業分科会、粛々と進めて参ろう。

5日 新年の朝礼があったものの、私の部署は全員お休み、結構な事である。こちとら有給休暇を使い果たしているので、たいして忙しくもないのだが出勤して電話番をする。定時を終えて、羽田空港から新千歳空港。千歳市内の宿に入ったのは22時過ぎだった。
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6日 宿でノンビリしていたら、早朝に千歳に入ったカミサンと息子がすでに私を追い越して札幌駅に到着とか。私としては体力温存策だったが、急がねば。とりあえず実家に向かう。
雪の山から甥の車を掘り起こし、カミサンを迎えに行き、一時帰宅する母を迎えに行く。
夕方には下の息子も合流して、夜は母を迎えて遅まきながらの新年会。

7日 母の一時帰宅二日目、昼飯を食べたらカミサンと下の息子は先に戻る。

8日 今日は母を病院に戻す日だ。残る三人で昼を食べて、上の息子は叔母様方に挨拶してから帰る由。夕刻には母を病院に送って行き、これで今回の私の仕事はお仕舞だ。

大晦日には下の息子が来てくれて、家族三人で宴会。
寒締めほうれん草のキッシュ、牛とラムのステーキ、温野菜サラダなど作り、NHKの紅白は途中まで見た記憶があるが、息子が何やらチャンネルを替えてしまい、まあどうでも良し、私は寝ます。

1日には、朝に雑煮を食べて、昼前には上の息子が来て、昼には昨日食べなかった蕎麦。夜は残ったキッシュに、納豆キムチの油揚げ包み焼、葱と豚肉のストウブ鍋など作り宴会。

2日は、上の息子が昼前に帰るというので、豚ブロック肉をストウブ鍋で塩レモン煮にして持たせ、午後には下の息子にも持たせて、夜は老夫婦で残り物をいろいろ。

3日は生野菜が少なくなったので買い物、一個398円のレタスに魂消る。買ったけど。夜は麻婆豆腐その他をいろいろ。

そして今日の4日は、朝から近所のイオンの抽選に行きすべて外れのティッシュペーパー。明日から出張不在となるので作り置き料理もいろいろ。
何だか料理ばかりしていた正月、楽しかったけど。

佐々木譲の武揚伝決定版の三巻を読了。読み応えがあった。
戊辰戦争・函館戦争が終わって、武揚が投降したところで残りは数ページ。投獄され、赦免され、明治政府に登用されてからの幾多の働きは、この本の中では夢の中だった。

五稜郭で敗れたのが33歳、73歳まで生きた武揚の人生からみれば、幕臣としての意地を見せエゾ共和国を夢見て戦った日々が半分だが、作者はこれを武揚伝と言う。確かに武揚の黄金期はここまでなのかもしれない。

しかし、投獄されてからの残りの半生も波乱万丈、彼はただ近代日本の繁栄に自らを捧げたのだ。

我が国初の公害訴訟たる足尾銅山の鉱毒事件の際の担当大臣として、最終的には調査委員会を設置して操業停止命令を出しているが引責辞任。これを受けて企業側は公害防止対策を実施して操業再開に漕ぎ付けるも、結果的には当時の技術では十分な対策ではなく事態は収束しなかった。

武揚が亡くなる数年前のことだ、もはや彼の胆力も衰えていたのだろうか。そんなことを考えながら、この幕末から明治にかけての偉人を振り返った正月だった。

今年が皆様にとって良い年となりますように。
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大晦日は、南半球の牛肉の塊を食す。
タスマニア産のブラックアンガス。400gの極厚ステーキ。素敵!
今年一年の出来事を書き留めておく。

母の通院、三度の入院と二度の退院で、仕事を絡めた札幌行きは今年一年で実に28回を数えることとなった。56回も飛行機に乗ったのは新記録だな、多分。
LCCがなければ破産している、Jetstarに感謝。それでも一回3万円以上はかかっているだろう、×28回、うーむ。
仕事に託けた時には、社費で行かせてもらっているのだが、、
そして、二つ歯のインプラント手術。これも大いに金がかかった。

今野敏をたくさん読んだ。任侠シリーズでこの作者を知り、警察小説の名手とてこれらを読み漁り、ちょうど孤拳伝も文庫で再販、STシリーズは読破、安積班シリーズはネットで全巻取り寄せた。

香月日輪の妖アパと三人悪のシリーズ、異世界居酒屋のぶシリーズ、そしてそろそろ読了する武揚伝、今年は移動時間が多かっただけに本が読めた。

二週間に一度の札幌通い、土日が休めず事務所に出れば体が辛い。年をとったなと思う。休日に自転車で市内を走り回る時間が取れないのも、体にはよくないようだ。

貯まっていた有給休暇は既に使い果たし、欠勤扱いも三日。これ以上休めない中で、さて母の退院後はどうなることやらだ。

1月 年末のカミサンの入退院で、久しぶりに札幌には戻らず千葉で正月を過ごす。中旬には出張がてらに母の顔を見に行く。月末には最初のインプラント手術、奥歯に土台を立てた。

2月 母が、通っていたお琴の会で尻餅をついたのが1月、で足に痛みが出てきて、整形外科やら脳神経外科を受診するために帰省。翌週には、痛みに耐えられないとて札幌市内の病院に入院させるべく再び札幌へ。

3月 同僚が二名転出した。ローランドの電子ピアノを買った。通っていたスタンドバーL&Jが閉店、聞けばマスターは年前に他界されていた。月末には前歯にもインプラントの土台を立てた。土日に二度、札幌に母を見舞った。

4月 母が退院した。同僚が体調を崩し長期の休暇に入ったので、職場は大変なことになった。とりあえず停滞していた販促物の作成など支援する。奥歯のインプラントに仮歯を立てた。うーむ顎の骨で噛んでいる感ある。

5月 母の通院やら、実家の畑仕事やらで、この月は三度にわたり計12日間も札幌にいた。仕事もあったのだが。
奥歯のインプラントを完了。長年使った洗濯機と冷蔵庫を新調、長男から夫婦箸を貰って喜んだ。

6月 実家から戻って、翌日の朝に母からヘルプあり。立てなくなったらしい、会社を休んで飛んでいく。結局 夜まで思わしくなく、救急車を呼ぶ羽目になった。脳神経外科に緊急入院。一週間ほど休みを取って対処した。月末にも見舞いと転院に向けての打ち合わせなどする。カミサンの誕生日あり、大台に乗ったね。

7月 母を老人病院のリハビリ病棟に転院させた。翌々週に医師やケアマネさんとのカンファレンスがあり、その後の見舞いを合わせて三度札幌に通う。結局は骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折だった。札幌市内のマンションを貸していた方が退去、新たに募集せねばとハウスクリーニング手配などした。

8月 不動産屋とマンションの管理契約、母の一時帰宅にカミサンにも助けてもらい、墓参りもこなす。今年もホッカイドウ競馬の冠レースあり、楽しんで戻る。前歯のインプラントにも歯を立てた。ポルテ号にカミサンが片手でも運転できる補助具を装着。我が愛車はルイガノ号からジャイアント・エスケープ号となった。

9月 大規模の太陽フレアが報じられた、が何事もなし。母が老人病院から退院、やれやれ。しかし、戻れば我が社は大変なことになっていた。野党のスキを突いたらしき訳分らん解散に至る。

10月 中旬に母から立てなくなったの報。整形外科に連れていき、再び先月までいた老人病院に再入院となった。腰椎の3番と5番に続いて、今度は2番とか。母は体を動かすたびにイテテテを繰り返す。またもや二週間に一度の札幌通いが復活した。
総選挙では野党に動きあり。すわ大連合か!で与党をビビらせたのも束の間で、排除しますの一言で与党の圧勝。呆れた。

11月 二週間に一度の見舞い(と洗濯物の受け取り)で札幌。仕事では、時節柄で飼料イネ関連の研究会やらで忙しかった。既に二度の忘年会あり。

12月 年末で取引先への挨拶が忙しい。63歳の誕生日を迎えて、親父様よりは長生きしたぞ。入社同期の忘年会とカミサンとの忘年会。クリスマス前に母の見舞いは済ませて、年が明ければ中旬にカンファレンスと退院の準備が待っている。今年も正月は千葉で迎えることとなった。
今日は仕事納め。
昼まで実績データをまとめるなどして、昼飯は外に出る。
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このところ厳しい冷え込みだ。昼休みの散歩の途中、船着き場でカモメが接近してきた。しばし語らう。?

午後は周辺の片づけ、机の拭き掃除などして、16時から会社の親睦会の総会。終われば、この一年ご苦労様の乾杯だ。
ビールを二杯ほど飲んだら、早めに帰宅した。
さあ、今年の仕事も終わったゾ。

入社以来初めての、有給休暇を使い果たして、母のサポートに追われた一年だった。