10/25 友の死のあと

静岡までの日帰り出張があったので、新横浜まで戻ったところで下車して泊まっておき、先日亡くなった友の実家を訪ねてみた。
仏壇で焼香させてもらえば、性格そのままの生真面目な顔をした彼の遺影がそこにあった。

彼の事務所で、父上、兄上、奥様と、しばし話す。
40を過ぎた頃から血圧が高くなり、これは家系なのかもしれない。
彼は大酒は飲まず、煙草もやらなかった。
亡くなる数日前から倦怠感と脱力感に襲われていたらしい。亡くなった当日は、朝から胸の痛みを覚えて自ら救急車を呼び病院に向かったそうだが、診察を終えてタクシーで帰宅、自室で休んでいたと言う。ゼイゼイとものを喋れないほどの状況だったが、そのうち復調し、事務所で片付け仕事までして、その後また床について、兄上に背中を揉んでもらって就寝、家族が気がついたときには既に死亡していた。

自宅で検死が行われ、診断書には死因は心臓破裂による心タンポナーデ、左右冠動脈に梗塞ありと書かれていた。心臓拍動が阻害され、ポンプとして機能できなくなったわけである。
数日前からの脱力感と当日の朝からの強い胸の痛みは、正に心筋梗塞の症状であり、既に心筋壊死による心臓破裂が進んでいたかもしれない。病院に行き診察を受けているのに何故、と思わざるを得ないが、藪で医師不足で近所では知られた病院だったらしい。

自覚症状は当然あったろう。ここまで進まぬうちにバルーンやステントによる血行再建や、間に合えば冠動脈バイパス手術もできただろうに、いかに病院嫌いでもまだ幼い子供を育てる責任があるのだから、死んでも良いとはなるまい。

仕事については無理のし通しだったようだ。
ホームページが功奏して、勿論のこと彼の真面目な仕事振りが評価されてだろうが、お客様が増えた。集客が安定すれば、そろそろ社員を雇って自分が全て出歩かなくとも良いようにしたいと言っていたそうだ。彼のPCO技術を会社として継承させることが夢だったろう。彼の心臓病の原因には、仕事のストレスが大きく関わっていたことは否めない。彼の蓄積したPCO技術は失われてしまった。

とりあえず、ご家族には「会社のホームページがそのままになっており、電話番号も表示されているので、これは閉じる必要がある」「ブログも中断放置されており、これは費用はかからないが、メンテナンスは必要である」とご説明して、対処を任せていただいた。

ブログには、彼の独立前のエピソードが書かれてあった。
奥様は、これを書き始めた彼に何か不吉なものを感じていたそうだ。まるで自分の人生のまとめにかかったようだと。
しかし、今ではこれが残されて良かったと言い、ブログを製本化しましょう、との私の提案には、是非そうして欲しい、子供達が読める時期になったら渡してやりたいとのお考えだった。

飲んでいた抗圧剤を止めて、毎日自分で血圧を測り、食事の塩分などには注意していたと聞いた。自分の体は自己管理できると、いかにも考えそうな彼だったが、どうも過信したようだ。
溢れる涙を押さえながら話してくださった奥様の悲しみように接して、まだ幼い可愛い子供さん二人の笑顔に触れて、誠に残念でならないのだ。
君が健康でさえあれば、これから子供を育てる苦労と喜びと、君が世に問うた技術論の実証もでき、仕事も順調、会社も発展できるという、まさに君の人生の黄金期が待っていたのだ。
by yokuya2006 | 2008-10-25 22:41 | 日常の雑感、覚書 | Comments(0)