1/29 札幌での一日目

朝4時に起きて、5時発の空港連絡バスに乗る。6時45分の朝一便に乗って千歳空港。除雪作業で着陸を5分ほど待たされた。レンタカーをとりあえず木曜日まで借りて、10時前には妻の実家に到着した。

なるほど既に亡き人は白い布に顔を覆われて横たわってい、一膳飯が設えられている。
義父から、当日の様子を聞く。夕方4時まで町内の友人宅で話をし、自宅に戻ってからはちょっと早めの夕食を父と済ませ、晩酌を始めた父を残して居間のテレビで笑点を見ていた。
少し目を離した父が気がつくと、母は不自然な格好で屈み込んでいたという。
声をかけても返事がない。父が鼻と口に手を当てると、息をしている様子がない。急いで救急車を呼び、電話で指示されるままに心臓マッサージを試みたが、駆けつけた救急隊員は「既に瞳孔が開いている」と言い、指定病院に搬送されてそのまま死亡が確認された。診断は心不全であった。

家に戻ると、刑事が訪ねて来て、死亡当時の様子をあれこれと尋ねる。果ては母が死んだ様子を父に再現せよと言う。俺が殺したようなことを言う、と父は憤慨していた。
ようやく現場検証が済み、お寺に連絡して枕経を唱えてもらったのが11時過ぎ、何とお寺さんの親族も当日亡くなっており、お坊様はこれから旭川に行かねばならぬ。では代わりを務めるお寺さんを紹介してもらい、葬儀会社に手配して、父はほとんど寝ていない。気の毒なことだ。

俗に言うピンピンコロリ、死ぬまで元気で、誰にも介護の迷惑をかけずに突然死、を地で行ったわけだが、残されたものたちの衝撃は大変なものだ。なにせまったく心の準備ができていない。死に方は理想的かも知れぬが、もう少し孫の成長を見守って欲しかった。

そんな話をするうちに、親戚が集まり始めた。
それまでとりあえず駆けつけて父をサポートしてくれた父の弟分の親類から引継ぎを受けながら、そうか自分が取り仕切らねばならぬのかと気が付き始めた。
妻は一人娘で、一番近い男は父を除けば私だったのだ。

通夜は翌日と決まっていた。泊り込むことになった親戚達と、酒も入った夕食となったが、皆突然のことで興奮しながら、或いは父のこれまでの行状を責めたりもしだす。母の妹達とその旦那達は、やはり母側に立つのか父の分が悪い。突如として伴侶を失って戸惑う父に対して、つい感情的な言を吐いたり、まだそれどころでないのに「一人になった父をこれから如何する」と言い出すものがいたり、私も半分キレながら大混乱のうちに就寝とあいなった。
続く。
by yokuya2006 | 2007-02-05 23:31 | 日常の雑感、覚書 | Comments(0)