1/28 激動の始まり

一時頃まで仕事をしただろうか、少し離れたマイフェイバリット蕎麦屋まで歩いていき、もり蕎麦をすすって、散歩がてらに自宅に戻り始めた。
ふと、車では通れない急な坂道が目に留まって、昇ってみれば、稲毛から新港にかけての海岸段丘の上の住宅地にでた。
ほう、なるほど、この道はこうなっていたか、十年以上も下から眺めていた丘の上を初めて歩いていると、有名な焼き蛤の老舗の前に立っている。
立派な店構えの自動ドア、ガラス越しに覗き込むとカウンターで売り物を並べているおばちゃんと目が合った。ニコッと笑っていただいた限りは、入らずを得まい。冷やかしで良いですか、と聞いて中に入り、結局、看板の焼き蛤を数串と、おたふく豆の煮たのを買って店を出た。

ぶらぶら歩いて、自宅に戻ったのが五時前、珍しく余裕のある午後であるからして、カミさんを誘って樽酒をぬる燗にして焼き蛤と豆で一杯やった。

夕方に悪戯をしたので夜は酒はよしておこうと、夕食はカレーになった。家族がほぼ食べ終わり、長男がお代わりカレーの皿に取り掛かっていたその時に、電話が鳴った。
札幌の義理の父からだった。「今病院にいる、〇〇〇(義母の名前)が死んだ、また電話する」とだけ言った。気丈なカミさんは「おじいちゃん、頑張ってね」と応えていた。

さあ何やら判らぬが、大変なことになったらしい。
幸い長男は大学の期末試験を先週に済ませて、事実上の春休み状態だ。次男はセンター入試を終えて学校には出なくとも良い身分を獲得していた。
家族で明日の朝の一便で札幌に向かうべく、荷造りを始めた。
10時を過ぎて義父から二度目の電話があった。どうやら亡くなったのは確かで、自宅で急死だったらしい。明日朝に行くから、と答えて、明日は早いからと息子等を寝かせた。
しかし、とりあえずの準備を済ませた我々の就寝は、12時を越えていた。
続く。
by yokuya2006 | 2007-02-04 23:03 | 日常の雑感、覚書 | Comments(0)