7/17 家畜の幸せ

先日、家畜福祉の勉強会を聞いてから、私の中でモヤモヤが続いている。
当日は質問も出ていた、採卵鶏の強制換羽は家畜福祉に照らしてどうなのか、と言ったものだった。
会場は、畜産素人の消費者側の奥様方が多かったから、強制換羽の意味も判らなかったろう。講演した先生は、この技術は鶏のリフレッシュなので福祉に反するかの判断は一概には言えない、と答えていたと記憶している。

卵の品質が低下してきた採卵鶏を、一度絶食させて産卵を止める。すると鶏は古い羽根を落として生え替わり、卵巣や卵管は委縮した後に回復して良い卵を産み始める事になる。しかし、絶食のストレスで弱い鶏は死んでしまったり、この期間の免疫は当然低下するし、サルモネラの排菌が増えるなどとも言われている。しかし、本来は鶏を使い捨てではなく長生きさせる技術である。

採卵鶏には断嘴(だんし:デビーク)と言うのもあって、クチバシの先端を落とすのである。仲間をつつき回す事を防ぐ措置だが、これも家畜福祉に反すると言う。
そもそもケージ飼いが問題で、広い野原で自然のエサを与えれば、強制換羽や断嘴も必要ないのだと言われればその通りだが、これでは論点が拡大し過ぎて収拾がつかなかろう。

牛の場合はどうか。子牛のうちに角を焼いてしまう除角、睾丸を手でちぎり取る観血去勢(他の方法に比べてむしろストレスが少ないが)、乾牧草などに混入した針金などが胃袋内で暴れないように、磁石を飲ませるなんてのもあるし、鼻に穴をあける鼻環だって、BSE後に義務化された耳に穴をあけて装着する耳標だって、皆、生産性の向上を目指した人間の都合であるが、牛にはいい迷惑だ。

効率を追求せざるを得ない家畜生産の現場に、どこにどう家畜福祉の線を引くのか。果たして、誰もが納得する基準線は見出しうるのか。考えれば考えるほど難しい。

さて、日本の現在の畜産現場で、家畜は幸せだろうか。
確かに日本人は、例えば曲がり屋に代表されるように、馬や牛も家族の一員として一緒に暮らした良き伝統がある。アニミズムの流れもあり、動物や家畜に神を見る例もある。経済動物である家畜の死を悼む心も持っているはずである。
これは「家畜は神が与え給うた」と割り切ることをしない、日本人の美点であるかもしれない。
しかしこのことは、反面で動物との距離感を明確に意識しないことで、自分たちの都合によっては家畜の立場をいくら貶めても平気、無神経で、違和感、罪悪感を感じない酷い仕打ちに繋がっている、と感じざるを得ない場面が少なくない。
その意味では、むしろ神が示した距離感をメルクマールとする人々のほうが、家畜には総じて優しいのかもしれない。

実際に酪農地帯を歩いてみると、
肘まで浸かるドボドボに泥濘化したパドックで、腹まで真っ黒にして、同じく泥まみれのロール乾草を食べさせられている育成牛の群れ。乳房炎等で回復不能になった乳牛が、廃用扱いで治療もされず炎天下に放置されて死を待つ光景。蹄にウィルス性のイボが多発した牛舎で、痛みでパーラーから歩いて戻れず座り込んでしまう乳牛。掃除されていないウォーターカップで、汚れた水を飲まされる乳牛。近寄りたくない臭い牛舎。飛び散った糞やクモの巣だらけの牛舎。
残念ながら、枚挙にいとまが無いとは、この事だ。

道路際で、消費者の目からもいかにも無防備に、一部のメガファームのみならず小規模の酪農家の中でも毎日繰り返されているこのような家畜への酷い仕打ちを目にすると、飼養者の感性の麻痺を疑わざるを得ない。(全部がそうではありません)
このような飼養者には、やはり消費者からの指摘が、「こんな飼い方をした畜産物なら買いません」と言う言葉が必要なのかもしれない。

いや、昨今の飲用乳の需要低迷の中には、すでにそのような要素も含まれていないのか。
不信感からの、見えない消費者離れが進んでいるのかもしれないとすれば、これは関係者が意識して取り組まねばならない課題なのかもしれない。モヤモヤは、しばらく続きそうである。
by yokuya2006 | 2010-07-17 14:10 | 牛ネタ | Comments(5)
Commented by urasimaru at 2010-07-17 15:15
強制換羽等、ちょうど本で読んで初めて知ったところです。
私は、お店で買う時に卵や牛乳が動物のたまものだという感覚はほとんどないし、肉が家畜の体だとも感じていませんでした。…口蹄疫問題で、家畜を飼って生きている人の存在を改めて意識させられたような感じです。こういう「無知」「無関心」がいけないのかもしれないですね
Commented by クルミルク at 2010-07-18 05:42 x
耳に痛い事ばかり、しかしながら人に心地よい話ばかりでは、彼女等の幸せは到底訪れないだろう。
畜産現場では市場の要求に与して規模拡大がもはや限界まで進んでいる。けれど、与するべきは資本家ではなく市民で在るべきと言う基本にもし立ち返る事が出来るなら、規模を縮小しながら、多くの農家が家畜を飼い、コスト自体を落とすことは可能だと思う。
家畜の福祉の達成には社会システムの見直しをも意味するのかもしれない。市民に農業、畜産に興味を持ってもらう事が先か、農民が市民を意識することが先か、いずれにしても行政の対応に期待することなく市民レベルで進めるべきとぼくは思います。
Commented by yokuya2006 at 2010-07-18 08:42
urasimaruさん、畜産に縁のない市民の「無知」「無関心」に、我々畜産側が甘えてはいけない、と考えます。
畜産に限らず、スーパーに並ぶ食品の、その由来が市民には判らないほど、農業と乖離してしまった現代社会、特に都市生活ですね。効率追求一辺倒が見直されざるを得ない時期が来ているとは感じますが、これの改善は低コストと裏腹でしょう。消費者がどこまでコスト増を甘受するのか、消費者の前に流通側との合意形成も必要ですし、なかなか道は遠いと感じます。
Commented by yokuya2006 at 2010-07-18 09:21
クルミルクさん、エサ屋の分際で偉そうなことを書きまして、、、
業界こぞって効率追求によるコスト削減に邁進してきました。
現在の畜産の形は、各段階で其々のそれなりの努力が積み重なった結果です。
歪が無いとは言いません。しかし、この形に違和感を持ち「これで良いのか」と我々畜産側が憂いても、市民の側からの疑問が提出される事がほとんどないと(私は)捉えています。彼らの第一義は価格です、流通側の演出の果てかもしれませんが、

クルミルクさんは、生産者の立場から新たな需要を作ろうとしておられるわけです。私も放牧酪農には共感があります。価値観の修正を進めるための具体的手段が求められますね。
Commented by クルミルク at 2010-07-19 05:53 x
歯痒いですね。
取りあえずは関係者で進むべき理想について
共通する考えを持つべきでしょう。
会社の畜産現場との交流再開解禁日はいつ頃になりそうですか?
先ずは、牛乳を飲んで考えましょう(笑)